自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

久遠実成の仏とは何か

昨日は「釈迦は悟りを開いていない」という事で記事にしました。

このあたりについて、実は日蓮法華経を精読して理解した成仏観も、その様に理解していたのではないでしょうか。今回はその内容について記事にしてみます。

◆開目抄に見える成仏観

この辺りについて、日蓮は開目抄の中で論及しています。

開目抄は日蓮正宗創価学会では「人本尊開顕の書」と呼ばれていますが、歴史的な背景や当時の日蓮の状況、また四条金吾にこの御書を託したという観点から見れば、実はそのような御書、人としての本尊が日蓮であると明かしたものではない。これが私の結論です。恐らく開目抄とは、人本尊開顕の書ではなく、日蓮の自身の思想について遺言的にまとめた御書であると思うのです。この辺りの事については、また別に開目抄の内容について記事にしたいと思いますので、ここでは論じる事はしません。

日寛師に至っては「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」という事から、文底秘沈抄などで深堀していますが、これも私からみたら言葉遊びの論にしか思えませんし、この「文底秘沈」という言葉を使って、結果として日蓮の真意をより人々が解り難く事をしたのでは無いかとさえ思えてしまうのです。

日蓮はまず法華経と他の経典を比較して考えてみた時、法華経には他の経典には無い大きな差異があると述べました。

「此に予愚見をもつて前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに其の相違多しといえども先ず世間の学者もゆるし我が身にもさもやとうちをぼうる事は二乗作仏久遠実成なるべし、」

ここでは法華経と他の経典を比較してみると、様々な相違がある中で、他の学者と日蓮もそうだと感じる事は二乗作仏と久遠実成であると書いています。

二乗作仏とは何か。それは法華経以前の経典の中では、二乗の境涯(声聞・縁覚)の人達は仏になる事が出来ないと徹底して否定されて来たのですが、法華経の譬喩品第三において舎利弗が未来において華光如来として成仏する事が約束され、以降、十大弟子やその他の弟子たちも順次、未来に於ける成仏を約束する言葉が与えられました。これらの事を二乗作仏と呼んでいます。

これは法華経以前の経典(爾前経とも言います)から見たら、挙動天地の事なのですが、もし二乗が仏に成れないとした場合、後の久遠実成を明かしても、逆に人々を混乱させてしまうからかもしれません。

そして如来寿量品第十六において、久遠実成が明かされました。これはどういった意味があったのか、日蓮は開目抄の中でこの事を以下の様に書いています。

「始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり」

ここでは久遠実成を明かす事で「始成正覚を破れば四教の果をやぶる」とある様に、実は心の本源が仏である事が明かされた事で、釈迦がこの世界で出家して悟りを開いたという、それまでの成仏の考えを否定した事になります。ここでこれを「四教の果」と呼んでいますが、これは天台大師智顗の「五時八教」の中にある、華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時のうち、法華涅槃以前の四つの時に説かれた成仏の事を指します。

次に「四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ」とある様に、成仏とは長きにわたり修行(因行)をした結果、得られる境涯(果徳)という考え方も否定されましたので、それまで説かれて来た修行という事も否定をされた事になります。

また「爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて」とある様に。法華経迹門にあっても仏とは修行の結果得られる境涯としていました。これは先の舎利弗が華光如来として未来世に成仏するという事ですね。しかし久遠実成ではその記別自体をも否定をした事になりました。

そして「本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり」とある様に、そこで示された事こそが本門(本当の意味)の十界の因果であり、それこそが法華経の肝心の法門だと日蓮は明確に書いているのです。

◆本門の十界の因果

ではその「本門の十界の因果」とはどういった事を指すのか、そこについて日蓮は以下の様に書いています。

「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし」

ここでは九界と言っていますが、地獄界から菩薩界という心の動きは全て無始の仏界(久遠実成の仏)に本来備わっている働きであり、それまで仏界という「現じ難い心の働き」とは、九界の心の姿の働きの奥底に備わり現れる事だというのです。そしてその観点に立って十界互具・百界千如・一念三千を理解すべきと書いているのです。

これは少し難しい話ですよね。

まず仏界という事について、十界論では横並びに人の心に備わる境涯だと教えられてきました。地獄界というどうしようもない苦しみの境涯から、人々を救いたいと願う菩薩境涯。しかし仏界だけは説明できません。

しかしこれが本門の十界の因果の観点となると、九界とは仏界に具わっている姿であり、その仏界は人々の前には九界の姿として現れてくるというのです。つまり横並びの様に九界と仏界を論ずるものでは無いという事です。

要をまとめて言えば、仏界こそが人の心の動きを作り出す根源的な存在であり、この仏というのは九界の姿を通してこの世界に現れているという事と言っても良いでしょう。

そもそも仏界とは何か、それは阿耨多羅三藐三菩提を得た境涯となっています。つまりこの世界の中に出てくる心の動きとは、全てがこの悟りを得た境涯である仏界の働きによって起こされているという事になるのです。

しかしそうなってくると、仏教では四門出遊という説話があります。これは釈迦がまだ王子の時、王舎城がら出かけようとした時に、ある門では病に伏せって苦しむ人の姿を見て、また別の門では老いに苦しむ人の姿を見て、さらに別の門では死人の姿を見たという説話です。そして最後の門では出家者を見て、この人生にある四苦(生・老・病・死)を解決するには出家の道に拠るしかないと考え、後に出家をしたという事が描かれています。

仏教の目的とはそもそもこの四苦の解決をする事が根本にありますが、これが「本門の十界の因果」の上から考えた時には、この四苦も別の意味を持ってくるのです。

今回はここまでにします。この続きはまた次回に。

 

釈迦は悟りを開いていない

仏教では開祖の釈迦は「悟り」を開いたと言われています。

ではその悟りとはどういった事なのか、経典では「阿耨多羅三藐三菩提」とも言い、それは無明や煩悩を断絶したという風に言われたりしていますが、以前から言われているのは「仏教では悟りの具体的な内容については言及されていない」という事です。

まあ悟りの後の「境地」については、幾ばくかの例を挙げて説明されていますし、原始仏教大乗仏教でも、だいたい共通しているのは、長きにわたり仏道修行をして得られる境地だという事です。

これは「歴劫修行」という、何世代にも生死を繰り返しながら、仏の下で修行に励む事で、その先に得られるのが悟りであり、仏という境涯だと言う事でした。

法華経に於ける成仏観

法華経に於いても、迹門という「従地涌出品」までの間の成仏もこの歴劫修行の先の成仏という事を指していて、舎利弗や目健蓮、迦葉や阿難などの十大弟子に与えられたのは「記別」という、未来世に於ける成仏の約束だったのです。

しかし妙法蓮華経の本門「如来寿量品」で説かれた仏とは「久遠実成の仏」となり、そこで言う仏とは「五百塵点劫」という、思惟も出来ない遠い過去に釈迦は既に悟りを得て成仏をしていたという事です。

ちなみに五百塵点劫とは、どの位の時間を指すのか、そこについて説明します。

これは「五百千万億那由他阿僧祇」という数の三千大千世界(全宇宙)をすり潰して塵にする事から始まります。

まず数量としては以下の数ですね。全て積算で計算する値です。

五百千万億那由他阿僧祇=五百✕千✕万✕億✕那由他(10の48乗)✕阿僧祇(10の52乗)

この数の宇宙を磨り潰して、全てを塵にします。それだけではありません、その塵を持ち、東へ向かい同じく「五百千万億那由他阿僧祇」の三千大千世界を過ぎて1粒、また「五百千万億那由他阿僧祇」の三千大千世界を過ぎて1粒、という事を繰り返していき、その塵が全て落とし終わったら、いままで過ぎて来た塵を落とした、落とさないに関わらず全ての三千大千世界をまとめて再度磨り潰します。そしてその1粒を1劫(43億2千万年とも言います)として考えた数値の「百千万億那由他」倍という時間です。

どうですか、解りますか?

如来寿量品では、この数を理解する事が出来るかと釈迦は弟子に問います。すると弥勒菩薩が以下の様に返しました。

「世尊、是の諸の世界は無量無辺にして、算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏、無漏智を以ても思惟して其の限数を知ること能わじ。」

ここで弥勒菩薩は「今世界の大きさも限りなく広大で、計算で知る事は出きません。その数は全ての智慧ある者や菩薩の智慧を以ってしても、その数を知る事が出来ません」と答えたのです。ある意味で当たり前ですね。

そして釈迦はそんな大昔に既に悟りを得て、仏になっていたのだと説いた事を久遠実成と呼んでいるのです。

◆久遠元初というまやかし

日蓮正宗で日寛師は、この五百塵点劫を「まるで昨日の様に感じるほどの更に大昔」と言い、それを久遠元初と言いました。そして日蓮はその久遠元初に悟りを得て成仏し、その仮の姿が久遠実成の釈迦だと言ったのです。

つまり日蓮こそが根源の仏だと言うのです。

しかし法華経の内容を少しでも読んでいれば、この日寛師の言う「日蓮本仏論」は単なるまやかしである事が解ります。

教典の中で弥勒菩薩をして「既に算術などで理解する事が出来ない」という時間を「まるで昨日の様に」なんて定義する事自体がナンセンスなのです。それでは日寛師は弥勒菩薩をも超える存在とでも言うのでしょうか。

そして日寛師は釈迦を日蓮の迹仏として位置づけ、釈迦仏法は末法の私達にとっては無縁の仏法だと定義しました。これにより、特に以降の日蓮正宗門信徒の中には既存の仏教に対して軽視観を醸成してしまいました。

現に創価学会の活動家や法華講員は仏教の基礎的な事には、あまりにも知らなすぎる事からも、それが解ります。

私からすれば、昨今、創価学会の内輪で議論となっている「教学要綱」の問題の一番根っこにあるのは、こういった既存仏教に対する軽視した姿勢だと思うのです。そもそも日蓮は「久遠実成の釈尊」を大事にしていました。これは随身仏もそうですし、四条金吾から釈迦仏を造立したと連絡を受けた際には、仏像の開眼供養の意義についても丁寧に指導している御書が現存しています。

創価学会では近年になり、従来から日蓮正宗が定義していた「日蓮本仏論」を取り下げ、釈迦を本仏として定義し直しました。ただこれは創価学会として仏教の本筋に戻したという事ではなく、日蓮正宗大石寺との決別の一貫としての話であり、創価学会の宗教としては未だ一貫性に欠く言動でしかありません。何故なら未だに会員には日寛師書写の文字曼荼羅を御本尊として置かせていますし、何より2014年11月に教義変更した時に、「日寛師の教学は見直す」と言いながら、未だにその行動を取っておらず、選挙に勤しむ活動家たちの中では「末法の御本仏・日蓮大聖人」が当たり前の様に根付いています。また一部の教学要綱を肯定する創価学会活動家の論説などは、私から言えば肝心な部分が抜けた珍説でしかないのです。

◆釈迦は悟りを開いていない

以前に誰かの論文であったのですが「釈迦は悟りを開いておらず、知ったに過ぎない」という話がありました。そして「後世の弟子たちが、釈迦を忖度するあまり”悟りを開いた存在”として定義づけた」という事がそこには書かれていました。

私はこの意見に同意しています。

法華経如来寿量品では、久遠実成を明かした事で何が指し示されたのか。それはけして従来の悟りを開くとか、成仏するという事ではありません。簡単に言えば、生きとし生ける存在の心の本質に存在するものが仏であり、その仏という存在が、それぞれの時代に出現し、それは「如来」と呼ばれ人々を救済する存在として出現もすれば、修行者や凡夫の姿としての出現しているという事なのです。

如来寿量品の中では久遠実成を明かした釈迦が、その久遠の昔からこの世界に様々な仏や菩薩の姿として出現した事が説かれていますが、その中で燃燈仏であった事もあると明かしました。

燃燈仏とはインド応誕の釈迦の前世、儒童梵士という修行者の時、その師匠となった仏です。儒童梵士は燃燈仏の下で修行を行い、そこで来世には釈迦如来として成仏の記別を与えた仏です。

この時、本地(本当の姿)という観点で見た時、燃燈仏の本地も久遠実成の釈迦であり、儒童梵士も久遠実成の釈迦なのです。同じ時期に久遠実成の釈迦が仏と凡夫、師匠と弟子という姿でこの世界に出現していた事を、この如来寿量品では明かされたのです。またこれはジャータカ伝説の中に出てくる釈迦の過去世の姿全てに当てはまる事にもなってきますし、このジャータカ伝説に於いては釈迦の過去世の姿は、何も人間に留まる事ではなく、動物や様々な神々の姿として説かれています。

これらの事から考えた場合、久遠実成とは単に長遠の過去世という事ではなく、現代の言葉で言えば「根源的」という事の観点で捉えた方が、より近しい言葉になると私は考えているのです。

つまり「仏」とは、人など有情全ての「心の本源」に存在するものと言ってもいいと思うのです。

そしてこれは「悟りを得たから得られる境涯」という事でもなく、そもそも「悟りを開く=成仏」という概念もここでは存在しなくなると思います。

そしてこの事について、如来寿量品では以下の言葉で示しています。

「諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては、是の人の為に我少くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。」

ここでは、法を求める人の中で徳が薄く垢の重い人を見た時、その人の為に私(久遠実成の釈迦)は、私は若い頃に出家して、修行した後に悟りを得たと説いてきたと述べています。つまり如来寿量品以前に説かれた「修行した結果として悟りを得る(成仏)」という事は、方便の一つに過ぎなかったと言うのです。

ここから私は「釈迦は悟りを開いていない」と考えました。

では釈迦はどういう人であったのかと言えば、それは「心の本質を理解した人」という事だったのではないでしょうか。そしてそれは「成仏」という事では無いのです。

この話題は、少し続けていきます。(続く)

 

ドラゴンスネーク⑤

◆マライタ島にある地下UFO基地

1996年、1997年、2002年にマライタ島への遠征にボライヨン氏は行き、そこで調査した内容について共有されていました。

この内容によると、人々が信じようと信じまいと、NASAとその関係者は1961年にマライタ島の中央東部の地下にあるUFO基地の居住者(異星人)と最初に接触しました。これが彼ら(NASA及び関係者)が今日保有している部分的な異星人テクノロジーを獲得した方法だったのです。これはBlack Mailによる情報でした。

これは地質学者のグロファー氏が1958年から1960年の間、この地域で数回の探検調査を行っていた時に、これらUFOを目撃し英国(当時の植民地管理国)に報告した内容です。

どうやら1961年にNASAから来たという白人が、マライタ島の中央東部に来て、グロファー氏の妻の親戚に「UFOの地下基地の入り口に案内する様」に依頼をしたと言います。彼は当時、その地域に住んでいるクワイオ族の女性と結婚していた唯一の白人でした。このNASAの男性は1週間行ってから戻ってきて、今後の支援を求めて来たと言うのです。

クワイ島(クワイオ族とクワイオ族の居住地の堺にある)の北と、ナモ島の南周囲にある深さ10メートルにあるサンゴ礁の中に、直径50メートルの底なしの円形のリーフがありますが、UFOは、ほぼ毎晩そのサンゴ礁から出入りするのが目撃されています。

ボライヨン氏の友人も、日中にこのUFOの穴で釣りをするのが好きだと言っています。何故なら危険な外洋に出なくても、その深さで大きな外洋型の魚が豊富に生息しているからだと言います。彼らは200ポンド以上のラインを使うそうですが、それでも穴の底を打つことが出来ない位に深いと言っています。

ボライヨン氏はこのリーフの穴は、その上から巨大な宇宙船によってレーザー等が使われて作られたのではないかと推測しています。

マライタ島の本土で、その円形リーフの穴から約3~4マイル内陸に湖がありますが、そこがリーフの穴と接続された出入り口と言われています。これは地元の少年たちが夜釣りに出かけた時、一方からUFOが入り、もう一方から出てくるのが目撃されています。

またボライヨン氏の友人の祖父は、夕暮れ時にこの湖から出てきたUFOから焼き殺されたと言います。そしてこの話はこの地域の住民たちは皆知っている話だと言っています。エイリアンは何世代にもわたって、この周辺住民に恐怖を植え付け、また多くの人が行方不明にもなっているのです。

クワイオとクワラ地域には、ジャングルの山に3つの出入り口があります。これらに光の玉がタイプのUFO が出入りする場所です。これらの穴は個々が拠点ではなく、全てつながっており、島の地下には大きなUFO拠点基地がある事を彼は信じています。これはボライヨン氏独自の推測ですが、ここ周辺ではキンバーライト岩の火山の下にある、希少宝石を彼らは採掘しているのかと考えています。

彼の妻の両親が持っている宝石は、ダイヤモンドの比重よりもかるかに高い比重を持ち、光をあてると石の中心に映像が見える様な屈折率を持っています。彼はかつて32.4カラットのこの宝石(ETストーンと呼んでいる)を持っていましたが、このユニークな宝石に関連する民話が、この地域に幾つかあります。

さらにこの島にはエイリアンと思われるラモ文明の名残も多く残っており、ガダルカナル島も同様ですが、これらは全て繋がったものと思われます。

ボライヨン氏は、この他にも南マライタの滝の下にある湖にUFO基地がある事を突き止めました。これは地元の人々も知っているそうで、メインタウンがあるAffiouから約3キロ、ジャングルの山を約1キロ進むと、右手に小さなMalaitaがある道路を北上し、その場所でUFOが出入りする姿を見る事が出来ます。これは地元ではほぼ毎晩、道路に沿って飛行しているのが見られています。

多くのソロモン諸島の人々は、フラットなエイ型のUFOで、その下には大きな光があって進むにつれてうなる様な音をする姿を話してくれました。地元の人達は、彼らがジャングルの上を低く飛んでいて、釣りをしている場所の近くから浮上するのを目撃されています。この形のUFOは村の近くに着陸すると、中から白人もしくは黒人が出ていますが、彼らは奇妙な制服を着ているそうで、それは世界のどこにも見られない姿だと言います。これは独自の推論を掻き立てます。

 

◆まとめ

ここまでガダルカナル島に在住するボライヨン氏の手記を紹介してきました。彼の調査は200年初頭には継続していた様ですが、その後の進展については、現段階で確認は出来ていません。ただソロモン諸島ではUFOの目撃が多発し、中には地元住民が被害にあっているという話もありましたが、実際にそれらの出来事が世界に向けて公表されてはいないようです。

またボライヨン氏の記述の中で、地元の地名なども随所にありますが、これが音読による当て字なのか、Google Mapではピタリとした地名が検索できないものが多々あります。

このソロモン諸島のUFOによる襲撃事件としては、以前にブラジルの地方でも類似した報告があり、その時はブラジル軍が調査にあたりましたが、調査結果は未だに公開されておらず、最近ではAmazon Primeのドキュメンタリーで取り上げられてもいましたが、そこでは未だに発生しているともありました。

このソロモン諸島は人口も少なく、まだ発展途上の地域でもあるので、こういった地元住民の体験などもリアルタイムに上がる事は中々無いと思います。そんな中で元RAAFエンジニアのボライヨン氏の報告は、とても興味を引く内容でした。その中で最後にあった「フラットなエイ型のUFO」とは、近年多くみられる三角形UFOを想像させるもので、それは一部では米軍が秘密裏に開発している「TR-3B」という航空機だと言われていますが、その航空機から白人や黒人が出てきているという事も、とても興味を引く内容だと思います。

 

ドラゴンスネーク④

◆沈みゆく現実感

博物館へ行った翌週、ボライヨン氏はそれまでの出来事について考察してみました。そしてこれらの現実は彼は初めて気づいた人間である事に彼は気付き、この状況の重要性を理解しました。彼は地元住民がドラゴンスネークとして恐れていたものが、UFOである事に気付いた初めての人物だったのです。

ここで目撃するまで、彼はUFOの存在には懐疑的論者でした。しかしこの立場は劇的に変化していました。

そして彼は、この事について調査をこれから進めた時の結果についても考えました。この結果は彼の人生に肯定的な事も起こすし、否定的な事も引き起こしていくでしょう。その否定的なマイナス面の一つに、このソロモン諸島で平穏な生活を送ろうという事への影響がありました。

若くして退職し、このソロモン諸島で平穏に楽しもうと当初は考えていただけで、まさかそこでUFOを追いかけるという事は想像もしていませんでした。またこのUFOが何千人もの兵士が自由の為に命をかけて戦った戦場に関係し、しかもその戦争で沈んだ艦船の近くで出入りしているという事実を考えた時、彼はこのUFOが戦死した人々の墓所を荒らしている様に感じたのです。

この事はボライヨン氏の心にとても重く圧し掛かりました。

しかしある夜、彼が釣りをしていた時にその迷いは変わりました。この時彼は、USSシカゴの難破船の近くにUFOが沈み、そして再び出現してより明るく輝き出てくるのを見ていました。そのUFOは彼の方向に向かって飛んで切るのを見た時、彼は双眼鏡を固定し三角法の観点で確認すると、UFOが視界を遮っていた為に難破船を見る事が出来ないはずです。しかし彼の視野にはUFOと船の両方が見えていたのです。

約30秒後、そのUFOは直ぐに消滅しました。

UFOはどこにも行かず、単に明るい光を消したかの様に消滅しました。この時、自分とUFOの位置を考えた時に、良く解らなくなったのですが、UFOはそれを見ている人の事は気にかけていない様に思えました。こうなると原住民でUFOを見たという人が、どの様な状況で見たのか、とても気になったのです。

彼はこそこそとしている事は嫌いです。

いずれにせよ気分を切り替え、兵士モードとなってドラゴンスネークの情報収集に邁進すべく、まずは計画の検討を始めました。そしてこの調査により、この事は地域住民すべての人が一般的に知っている事であり、それは迷信の一部として語られている事も明らかになりました。

彼が経験したUFOの突然の消失については、ここに書くにはあまりにも多く話があったので、ここでは割愛しました。

◆ドラゴンへの遠征

ある翌朝の事、ボライヨン氏は友人のジョセフの家に行って、彼にこの調査計画の事を伝えました。この計画で彼は、UFOの位置を観察する事が出来る様、夜中に視界の高い位置に身を置く事をジョセフに伝え、そして地図を広げ、この調査が可能な場所の検討を始めました。

調査の場所は「マウントドラゴン」のある場所から、UFOが山を越えて飛んでいるのを発見される事なく海岸へ抜け出るルートは1つしかありません。それはマウントドラゴンを過ぎて北方向に走る長さ5キロの谷を経由するルートです。これはその辺りから東へ数キロメートルの範囲に住んでいる人達からも聞き出しました。その日の午後に、このエリア周辺を検索し、必要な条件を満たす800フィートほどの山を調査場所に決めて帰宅しました。その後、ボライヨン氏は兵士に戻った時の様に必要な物品の準備に取り掛かったのです。

翌日、彼は必要だと思う全ての機器を集めました。その中には30ミリショットと7.62ミリのショットガンもありました。また野生の豚に悩まされる危険性もありますが、装備としては充分揃えました。この時、彼の妻はこの行動に感情的になり、彼との間でちょっとした口論にもなりました。

ボライヨン氏とジョセフは午後8時に自宅を出発し、観測場所へと向かいました。これまでの調査で、UFOは午後10時と午前3時に出現する傾向が解っています。車は茂みに駐車し、そこからトーチライトを点灯して山頂を目指しました。この調査場所は東向きに270度視界が開けています。

この場所では左側に海を見渡す事が出来て、右側には谷の入り口が見渡せるので、UFOが出現した時には見逃す事は無いと思いました。

この場所で座り、ビールを飲みながら待っていると、午前2時35分頃に谷の入り口を出るUFOの光がかすかに見えました。彼とジョセフは興奮してきました。双眼鏡でUFOを観察していると、それがかなりの速度でボライヨン氏とジョセフのいる場所に移動してきている事に気付きました。これは後で約100ノットと推定できました。約0.5キロメートル離れた300フィートの高度を推定速度で1分後に接近してくるのをずっと見ていました。

このUFOは近くを通過すると、直ぐに瞬間的に左45度に回転し、驚異的なスピードに加速して行ったのです。彼は双眼鏡から目を離しましたが、UFOの光はまだ海面近くを移動し、数秒以内に地平線の彼方に消えていきました。

この観測ですべては報われた気持ちになりました。このUFOは間違いなくこの谷のどこかから来た事、そしてそれは2人の首長が彼に与えた情報が正しかった事を証明したのです。

当時、彼はマウントドラゴンに遠征して、UFOをフィルムに記録したいと思いましたが、彼の資金は生活費以外に余裕はなく、2週間に1度の軍人年金では、どうやっても資金不足の状況でした。

この調査に必要な機器は揃っておらず、夜間撮影可能なビデオカメラすら持ち合わせていません。彼はコダックのカメラは持っていましたが、それは夜間撮影にはあまり役にも立っておらず、資金を調達するにも相談する相手は1人しかいない状況だったのです。

この調査から数週間後の午前3時頃、彼とジョセフは家の外の草の上にいました。その時にUFOに気付き、ココナツの木の周辺で火を焚きました。するとUFOはゆっくりと彼らの方に近づいてきました。このままUFOが進んでくれば彼らを飛び越えていくのではないかとおもい、ボライヨン氏とジョセフは家のドアに向かい移動しました。UFOが家の近くの木々のてっぺんに来る頃には、二人は家のドアにたっていました。そこで見えた光は、一度にアーク溶接の光りが数十個当たる様に周辺を照らし出したのです。

肉眼でこの機体を間近に見たのはこれが初めてでした。その後UFOは通り過ぎて行ったのですが、音は一切しませんでした。この時、ボライヨン氏とジョセフは何が起きているかを互いに声で確認できたほどでした。

この後、ボライヨン氏とジョセフはマウントドラゴンに再度行く事を決めました。その山にある滝の湖に、本当にUFOの基地があるかを確認する事を心に決めたのです。

 

今日は参議院選挙の公示日です

さて、本日は参議院選挙の公示日です。今日から7/20(日)までの間、選挙戦が行われます。今回の改選議席は124議席で、選挙区選出が74名、比例代表選出が50名の議席を巡り、舌戦が繰り広げられる事になります。

私は昨年の衆議院選挙で、投票率が上がるかどうかを見ていましたが、ふたを開けてみたら2021年の総選挙では55.93%であったのに対して、2024年の総選挙では53.95%と、投票率の下落に歯止めがかかる事はありませんでした。

これは政治への「しらけ」が大きな要因と当時の私は思いました。

思うに今の日本は、貧困格差が広がっているといっても、多くの人はそんな中でもなんとか生活が出来ています。一部の発展途上国の様に紙幣の額ではなく、重さで買い物をするほどのハイパーインフレは起きていません。また移民問題があると言っても、今のところ顕著なのは、例えば埼玉県川口市周辺とか、全国範囲で見れば、やはり一部の限られたエリアの中でのみ見られる問題。だから多くの国民にとって、とりあえず現状で大きな変化(不都合)が無い限り、選挙は意識しなくても現在の生活は維持できると感じている事も、投票率の上がらない原因の一つなのかもしれません。

あと肝心の政治家にしても、選挙の時くらいしか表に出てきていませんから、やはり国民の生活からは実感として縁遠いという事も関係しているのかとも思います。

毎度の事で書きますが、創価学会では選挙の票集めが自身の信仰活動と直結し、票を集めるために御題目を唱え、人に公明党自民党への投票をお願いする行為は勇気の対話と定義をし、その勇気の対話は、彼らの信仰の中では折伏という他人を利する行為に準ずると信じているので、政策以前に現世利益の為に、必死に選挙に取り組みます。

そしてそれが鎌倉時代日蓮が幕府に対して行った国家諌暁と同等と信じ、それによって日本社会はもとより世界平和に通じると妄信している訳です。だから創価学会の活動家に関して言えば、選挙活動に「白ける」という事は存在しないのです。

何しろ彼らにとって、選挙とは現世御利益を得られる絶好の機会なんですからね。

しかしそんな「特殊な思想」を持たない一般有権者からすれば、現状、それほど投票の必要性も感じないし、政治家を一人、政党を一つ、選挙で指名しろと言われた処で、別に期待する政治家も居なければ、政党なんてのもうさん臭く感じているので、投票棄権という事もあるのでしょう。

でもですね、そんな呑気に考えていても世界は動いていますし、日本の社会は変動し続けています。

だから一つの観点として、現在の政権の行っている与党の政治に対して「YES」「NO」は突きつけるという意義が、選挙には常にある事は忘れてはいけないと思うのです。

確かに日本の政治家は碌な人物が存在していません。

自民党は政治が家業化しているため、二世や三世、四世という息子や孫が政治家という立場を「老舗の仕事」の様に継承しています。これはいわゆる「世襲議員」ですね。彼ら世襲議員の背後には、様々な既得権益者が存在し、国の税金を「ちゅーちゅー」し、既得権益を得続けるために、この世襲議員を後押しています。しかもここ近年では自民党が立憲民主よりもリベラルな政党色に変貌を遂げてしまいました。

公明党については議員の大半が創価学会の元幹部や、創価学会の中の「エリート」と言われる人物です。彼らはそもそも政治家を目指す志を以って生きてきた訳ではなく、創価学会の職業宗教家の幹部達が、会員の中から従順で彼らの視点から「優秀」な人を選抜し「君は次、どこそこで立候補してね」と指示され立候補。そしてその「どこそこ」にある創価学会組織は、本部から支持された候補者を全面的に応援して当選させます。基本、公明党とは創価学会の政治部門なので、彼らの議員の行動の本筋は、創価学会の求める本筋に沿って忠実に行動します。

立憲民主はそもそも旧社民党などのリベラル人たちが、選挙で寄合って議席を確保する為に野合している様な政治家集団です。まあ一部、昔は保守を詠っていた議員もいるようですけど、彼らは議員になる事が目的であって、日本の国の行く先なんて考えてもいません。

その他、共産党社民党については、語る事も無いので割愛します。

この様に見ると、政党も政治も「国民の政治的な代弁者」として付託できる先は極めて少ないと思いますが、もしそうであっても現在の政権与党の政治に対して「YES」「NO」は突きつける権利を国民として持っている事は理解すべきなのです。

国の政治家を鍛えるのも、怠けさせるのも、そこは国民が持っている権利です。これが議会制民主主義という体制なのです。

ここまで政治家や政党が「機能不全状態」に陥ってしまった状態でも、そこは国民の意思として示す必要がありますし、そういった行動を続けることから、国の政治というのに変化を起こしていく事も可能なのです。

まあ、それは「可能」というレベルの話であって、即に「変化」を起こせる事でも無いんですけどね。でも国民として、それは忘れてはいけない事だと思います。

実はいま、日本国が置かれている状況はかなり切迫している状況です。ここまで国民が野放図に政治家を放置した事で、もう既に手遅れの段階に入ってきているかもしれません。しかしそういう意識だけでも喚起したいと、私個人は考えています。

 

皆さん、選挙には行きましょう!!

 

ドラゴンスネーク③

ボライヨン氏は購入した島の地図を片手に、ドラゴンスネークの基地がどこにあるのか、自力で訪ね歩き調査を始めました。

そうすると案の定、島民の多くはその基地がどこにあるのか知っていました。彼ら島民は地図を見た事が無いようで、そこに慣れるには時間がかかりましたが、明確な場所を示したのです。

その場所は地図上に名前のついていない山としてありましたが、ボライヨン氏は便宜的にその山を「マウントドラゴン」として呼ぶことにしました。そしてその場所は、Crow Fileから内陸に8キロはいったあたりでした。島民はボライヨン氏に山の中にある大きな滝と、その下に水の落ちる大きな湖があると言い、その中にドラゴンスネークが住んでいると言うのです。

マウントドラゴンを更に調べていくと、この山は川の源流にあって小さな湖がある事がわかりました。これは確かに島民たちの証言通りの場所だったのです。

◆間一髪の出来事と文化証拠

ある日の朝早く、ジョセフがボライヨン氏の家を訪ねてきました。彼が言うのは知人の漁師が2晩前にUFOにより負傷して病院に居るというのです。場所は村から3キロほど東に行った場所との事で、ボライヨン氏がどんな傷を負ったのか質問すると、漁師は全身に火傷を負っていると言うのです。

ボライヨン氏の奥さんのミリアムは、買い物をして家族の場所に行きたいといっていたので、この時に合わせて病院へ行き、この漁師を見舞いに行く事にしました。

車を出し、ミリアムを町で降ろした後、ジョセフとボライヨン氏は病院に向かいました。病院に行き、病室に案内してもらうと彼らは漁師のベッドサイドに立ちました。漁師は全身を包帯でまかれており、痛みを抑えるための薬を投与されていました。ジョセフはガダルカナル語で漁師に何があったのか、聞き出す事にしました。

漁師が言うには、午前3時頃にグラスファイバーボートに乗って釣りをしていた時、ドラゴンスネークが飛んでいるのを目撃し、あろう事かドラゴンスネークに向かいトーチをフラッシュし始めたそうです。するとドラゴンスネークが彼の方向に直ぐに飛んできて頭上まで来ました。この時彼はパニックに陥り、ボートのエンジンをかけて舟を動かし、ドラゴンスネークから逃げようとしました。ボートは岸に向かいジグザクに動いていきましたがドラゴンスネークは執拗に彼のボートに付いてきました、この時、ドラゴンスネークから何らかの光がボートに照射されましたが、それはボートの一部に当たっただけでした。その後、ボートを確認すると内部塗装の一部が焦げ跡になっているのが確認できたそうです。

彼はボートをビーチに押し上げ、茂みの中に逃げ込みましたが、ドラゴンスネークは彼を追跡し、木の後ろに隠れていた彼の真上に来たそうです。彼は何とか逃げようとしたのですが、ドラゴンスネークは常に付いてきたのです。そしてついに彼は文字通り跪いて両手を握って神に祈りを捧げました。するとドラゴンスネークは何処かへ飛んでいき、彼も何とか自分の村に戻りましたが、その後、この病院に搬送されて来たそうです。

この漁師の証言を聞いた後、ジョセフとボライヨン氏は病院を出てミリアムを迎えに行きました。その時、ミリアムの父親のジョンとこのドラゴンスネークの話題となり、白人はこのドラゴンスネークとは他の世界から来た異星人であり、この飛行物体を操縦しているという事を信じているという話をしました。この時ジョンは、この異星人はどんな姿をしているのかを聞いてきたので、大きな頭に大きな目、4本の指があり4フィートほどの身長をしていると教えました。

するとジョンは、ソロモン文化博物館に、その類の存在を描写した写真が掲載されている本があると言うので、少し驚きました。そしてジョンに、その本を見せてもらえるかを聞いて一緒に町の博物館に行く事にしました。

博物館に到着すると、この本について検索してもらうと、その本が出てきました。

15ページほどの本ですが、この本にはテレビで見慣れたエイリアンの詳細なスケッチが掲載されていました。島民のこの奇妙な生き物の目撃証言から描いて、博物館に所蔵しているものだと言うのです。

この本の最初の部分には、これらの生物は神話上の存在であると書かれていましたが、私が知りたかった事は、彼らは白人英語圏のメディアの記事を読んだ事がないのかという事でした。昔のソロモン諸島の部族の人達は、この世界の空は瓶であり、地表は平面だと信じていたのです。当時の私にとって、これはもう一つの謎となったのです。

ボライヨン氏はミリアムを乗せ、帰路に着き居ました。その時にボライヨン氏は以前に、ジョセフと彼の奥さん、そして弟のベンが釣りをしている時にUFOを見た時間を教えてくれと聞くと、3人ともUFOを目撃したのは深夜12時頃だというのです。そして見た距離は約50メートルほど離れていたと言いました。

UFOは釣りをしている人に興味があるのか、それぞれの上に1分間ほどホバリングして後、サンタイザベル島の方向に信じられないスピードで飛んで行ったと言います。この時3人は1キロの幅に広がって釣りをしていたそうです。

ジョセフは面白い話だろうと言っていましたが、この話には大事な事があったのです。

 

ドラゴンスネーク②

ボライヨン氏がこの土地に引っ越してきて、数日が過ぎました。

◆ドラゴスネーク出現

彼は日々釣りに熱中し、美しいサンゴ礁で魚を沢山釣り上げていました。友人のジョセフは村では最高の漁師と呼ばれていますが、ある時、彼は夜に松明を点けてやれば魚捕り出来ると言うので、夜に槍で魚を捕る事にしました。ジョセフは槍で魚とりをしている間、ボライヨン氏も何本かの釣り糸を垂れて、どんな魚が取れるか様子見をしていました。

ジョセフが漁を終えてダグアウトカヌーを海から引きあげて来て、既に取ってきていた魚の山に、更に漁ってきた魚をくわえ、ボライヨン氏と二人で魚を洗っていた時、ジョセフは突然大きな声で叫びました。

「そこそこそこ!!ドラゴンスネーク!ドラゴンスネーク!」

彼はビーチの右手を指さして叫んでいましたが、ボライヨン氏もそれを見た時、直ぐに信じられませんでした。

約1キロほどの沖合に、非常に明るく光る白い物体があって、それが水の上をゆっくりと飛んでいます。私はこれが現実なのか自問自答しながら妻のミリアムに双眼鏡を持ってくる様に言いました。

双眼鏡で見てみると、それは星の様に明るく光った約60フィートの円形であり、一切音を立てずに動いていて、それが海の中に沈むまでの数分間に渡り観察する事が出来ました。

するとジョセフは10分ほど待ってみなと言いましたので待っていると、その明るい物体は再び海の中から出現し、以前にも増して明るく輝いていました。

この目撃体験に少し驚いたので、ジョセフとボライヨンは家に帰ってから「ドラゴンスネーク」について様々な話をしました。ジョセフからは、もしある夜にドラゴンスネークを見ない日があったら、翌日の晩には必ず見る事が出来るよ。と言っていました。確かにそれから7か月の間で、このドラゴンスネークの目撃はボライヨン氏自身、60回までカウントを取っていましたが、途中で記録を止めるほどその後、頻繁にみる事が出来たのです。

またこの時にボライヨン氏はジョセフに宇宙の仕組みについて説明し、タイムライブの本に掲載されているUFOの写真を見せ、これがドラゴンスネークであり、白人の世界ではそれを「未確認飛行物体」と呼んでいる事を説明しました。ジョセフや彼らはこのUFOをドラゴンスネークと呼び恐れていて、それについて彼自身、知見を持っていなかった事にとても驚きもしていました。

ボライヨン氏自身も、この体験には少し恐怖を感じていたのです。

彼は自身の目撃例が60回を越えるまでの間で、北西ガダルカナルのUFOの滝の水の底を調べ、後に隣の島であるマライタ島の中央東海岸と、その島の中央にあると言われるUFOの基地について調査をしました。この最初の目撃によりこういった調査を独自に行った事で、地球外生命体に対するボライヨン氏の考え方は大きく変えられました。またこのドラゴンスネークというものは、実は一世紀以上もこの地域で語られていた事が明らかになったのです。

またこの調査結果を見てみると、ガダルカナル島とマライタ島の地球外生物は、この島にいる島民を容認できず、非友好的な行動を示している事が判りました。実際に調査をする中であからさまな誘拐事件や殺人事件も確認できたのです。一つの例として、1900年代初頭には、ボライヨン氏の現地の原住民の友人の祖父が、このドラゴンスネークによって焼却殺害された事件も確認出来ました。

◆UFOの活動を地図にプロットする

ボライヨン氏はこの最初の目撃から2週間の間、最初の目撃と同じ場所で更に三回目撃をしました。彼はこの目撃を繰り返す中で疑問を持ちました。

 ・UFOは常に海に沈んでいくが、これは何が目的なのか。
 ・そして海の中では、どこへ移動しているのか。

村の目の前の海は、第二次世界大戦で連合国軍と日本海軍が激戦を繰り広げた海です。この激戦により、オーストラリアの重巡洋艦のHMASキャンベラ、またアメリカの重巡洋艦のUSSシカゴが撃沈された場所になっています。ボライヨン氏はこの撃沈がどの様に為されたかは判りませんが、もしタイタニック号の様に沈没した艦船を調査して、ドキュメンタリー番組にする事が出来たら、とても面白いものになるとも考えました。

それから更に数日後、ボライヨン氏は友人のジョセフと一緒にホラニアに行き、エンジン付きの23フィートのグラスファイバーボートを購入しました。また歴史博物館に立ち寄って、これから調査する海域に関する情報を調べる事にしました。すると驚いた事ですが、重巡洋艦HMASキャンベラや重巡洋艦USSシカゴが沈んだ場所で、UFOが海の中に消えていた事が判ったのです。これは単なる偶然なのでしょうか。

このUFOがこれら古い戦艦に何らかの興味を持っていると言うのか、もしそうならばそれは戦艦の何に対して関心を持っての行動なのか。これは当時、ボライヨン氏にも不可解な疑問となったのです。

この歴史博物館に立ち寄った後、島の地図のある役所へ行き、ガダルカナル島の北西部の1/25,000の地形図を購入して帰りました。

実はジョセフとホラニアに行っている間に、彼には10番目の子供が産まれていました。20歳代後半の夫妻で10番目の子供が産まれるというのは、驚くべき事だとボライヨン氏は思いました。そして翌週の日曜日には、産まれた子供の洗礼が教会で行われ、その子供の名前に彼の妻はボライヨン氏にちなんだ名前を付けました。

この教会の洗礼には、ホラニア出身の白人司祭が来るとなっていて、ジョセフの子供以外にも5人の子供達が洗礼を受けに来ていました。白人司祭の行う洗礼を見る為に多くの人達が教会を訪れていたのです。

ボライヨン氏はその後の宴会の為に豚を2匹購入し、自宅の庭先で豚を調理し、宴会を行う準備をしましたが、洗礼が終わるとその宴会には多くの人達が訪れてくれて大賑わいとなり、中には地元の首長も来てくれていました。

ジョセフが自宅へ戻った後、ボライヨン氏は2人の首長の処へ行き、丁寧に自己紹介をして懇談をしました。そして懇談の話の中で彼はドラゴンスネークの話題を首長に投げかけました。すると首長はドラゴンスネークについて、実に多くの事を知っていたのです。

ひとりの首長には兄弟がいて、その一人は彼が小さい男の子の時代に、ドラゴンスネークによって殺害されたと言います。首長らは誘拐と殺害事件の事を私に聞かせてくれましたが、それを聞く事で、やはりUFOは明らかに地元民とは非友好的である事の確信を深めたのです。UFOに搭乗する異星人は、他の国では友好的な話もありますが、少なくともこのソロモン諸島では友好的では無いようです。

ボライヨン氏は自宅に戻り、購入した地図を元に、このドラゴンスネークの「基地」が何処にあるのか、自力で歩き調べる事にしました。