自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

2025-08-01から1ヶ月間の記事一覧

開目抄について(11)-久遠実成について

さて、ここから開目抄下に入ります。 前回の記事で二乗作仏について法華経で説かれた事で、釈迦の十大弟子等の多くの弟子が聖人として敬われる様になったとの話をし、その後に華厳経で説かれた法は、実は釈迦の説いた教えではなく、他の仏国土から来た菩薩が…

開目抄について➉-法華経こそが大乗仏教の要

日蓮は法華経の行者を自認していますが、その日蓮に何故諸天の加護が無いのか、その事について考察を進めていきます。 ここからの内容は、個人的には「くどい」という感想を抱いてしまいましたが、考えて見ると、この事は日蓮の門下の中でも大きな疑念として…

開目抄について⑨-三国四師について

この開目抄は本当に長い御書なんですが、何故日蓮はこの様な長文の御書を、わざわざ佐渡の地で認めて、それを四条金吾へ与えたのでしょうか。これは恐らく日蓮が龍ノ口で斬首にされそうになり、その後、佐渡に流罪された事で、鎌倉を中心にした日蓮門下にも…

開目抄について⑧-日蓮自身に対する述壊

法華経は難信難解の法門であり、その法華経を広めようとした自身について語り始めます。 ◆但日蓮一人なり 「此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年辺土に生をうけ其の上下賎其の上貧道の身なり」 信じ難く理解し難い法華経を知り、それを広めよう…

開目抄について⑦―本門の因果について

ここから日蓮の教えの核心部分へと入っていきます。 ◆本門の因果について 「此等の二つの大法は一代の綱骨一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり、しかりといえどもいまだ発迹顕本せざればまことの一念三千もあ…

開目抄について⑥-久遠実成について

ここまで開目抄を紹介してきましたが、開目抄はとても長文の御書になっています。この御書を与えられたのは四条金吾を筆頭に、鎌倉の門下一同に対してです。当時の日蓮は佐渡に流罪され、何時斬首されてもおかしくない状況の中で、鎌倉に残った門下も様々な…

開目抄について⑤-二乗作仏について

開目抄では先に「二箇の大事あり」と、爾前経と法華経には二つの大きな違いがある事を述べましたが、ここでその事について詳述を始めます。 「此に予愚見をもつて前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに其の相違多しといえども先ず世間の学者もゆるし我…

開目抄について④-法華経宗の興亡

前の章では道教や儒教の中に仏教が混入した事について日蓮は述べていましたが、つづいて漢土(中国)や日本の中で、法華経宗と表題に書きましたが、天台大師智顗の打ち立てた宗派がどの様に興亡していったのかについて述べています。 日蓮の法華経信仰の原点…

開目抄について③-法華経について語る

開目抄について続けていきます。 ◆法華経について 「儒外内」と、人が修学すべき事の中で仏教が一番肝要な事とは言っても、その仏教の中は様々な宗派等に分かれていました。 「但し仏教に入て五十余年の経経八万法蔵を勘たるに小乗あり大乗あり権経あり実経…

開目抄について②-著述の思い

長い間、私はこの開目抄を「人本尊開顕の書」だと信じてきた。しかし創価学会や日蓮正宗からの「呪縛」から逃れて、改めて読んでみるとそこには違った内容が見えてきたのです。 ここで改めて当時の日蓮及び周囲の状況について確認してみます。日蓮が佐渡流罪…

開目抄について①-背景と大意

さて、今回は日蓮の事について書いていきます。 前回は塚原問答と、守護代の本間氏に対して「二月騒動」の事を伝えた事を紹介しました。この塚原問答の時期に日蓮が書き著した御書が「開目抄」となります。 当時は現代と違い、紙は貴重なものでした。そこ事…

日米和親条約

ペリーが再来航し、徳川幕府が締結したのが「日米和親条約」でした。 日米和親条約では次のような内容が定められました。 第1条* 日米両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。 第2条* 下田(即時)と箱館(1年後)を開港する(…

終戦の日に思う事

本日は終戦記念日。正式には1945年9月2日にアメリカ海軍艦船のミズーリ号で降伏文書に調印したので、そちらが終戦日であり、8月15日はポツダム宣言受諾日でもあるわけなんですね。 これに関連したものですが、以下の動画を紹介いたします。 www.youtube.com …

ペリー再来

江戸湾を退去してから半年過ぎた1854年2月13日(嘉永7年1月16日)、ペリー率いるアメリカの東インド艦隊は再び浦賀に来航しました。幕府との取り決めでは1年間の猶予としていましたが、あえてペリーが半年で再度来航した事に幕府は大いに焦りました。実はペ…

ペリー来航に対する幕府の対応

ペリー艦隊の来航に際し、浦賀奉行の戸田氏栄はアメリカ艦隊旗艦サスケハナに対して、まずは浦賀奉行与力である中島三郎助を派遣し、ペリーの渡航が将軍にアメリカ合衆国大統領親書を渡す事が目的だという事を把握しました。この時、サスケハナに乗艦するた…

ペリー来航

1852年11月24日、代将のマシュー・ガルフブレーズ・ペリー司令官を乗せた蒸気フリゲート艦「ミシシッピ号」は、1隻でノーフォーク港を出港し、一路アジアへと向かいました。始めミシシッピ号は大西洋を横断し、以下のルートを取りました。 ◆大西洋を経てア…

ペリー来航の序章

さて、徳川家のみ海外交易を独占していた江戸幕府ですが、慶長八年(1603年)から250年後にあたる嘉永六年(1853年)に大きな変化を余儀なくされる事件が訪れます。それがペリー来航です。 ◆ペリー来航までの世界の動向 日本で徳川幕府が政権を担ってより、…

大航海時代とカトリック教会の布教願望

さっそくですが、日本の歴史についてちょっと振り返りをしてみます。 とは言っても日本は初代天皇である神武天皇から考える紀元で言えば、本年(2025年)は皇紀2685年となり、これは世界の国の中でもかなり歴史のある国なのです。それを古事記とか日本書紀か…

日本の歴史を振り返って見たい

さてここで少し新たなカテゴリを設けて、自分の中で少し思索の範囲を広げてみたいと思います。 昨今の世界の状況を見て、その中で日本の国としての動きを見て、また国内の政治の動きを見ていると、やはり今の日本に決定的に不足しているのは「自分達の国の歴…

佐渡の日常と塚原問答

日蓮の事について続けます。 最近、SNSでは公明党やその支持者たちが必死に、公明党は凄いとか、実績オバケだとか言っていますが、彼らの大半はそもそも創価学会員であり、日蓮の顕した文字曼荼羅に日蓮の唱えた御題目を日々唱えているんですから、もう少し…

佐渡流罪

今回も日蓮の事を続けます。 相模国依知(現在の神奈川県厚木市)にとどめ置かれていた日蓮は、その後、幕府の命により佐渡島へ流罪となりました。 龍ノ口の首の座があったのは9月12日で、10月に幕府から佐渡流罪の決定がなされたので、1か月近く、この相模…

発迹顕本の意義についての考察

さて、ラセルタファイルで長い間、空いてしまいましたが、日蓮に対する思索を少し進めてみたいと思います。 ◆発迹顕本について 日蓮正宗や過去の創価学会ではこの「龍ノ口の法難」で日蓮は発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)されたと言われています。その具体的…

「第三の選択」(Alternative 3)

ここ最近の暑さはとても異常に感じていますが、皆さんはいかがお過ごしですか? 先日、所用で自家用車に乗りましたが、その時、車の管理画面に表示された外気温は「44℃」でした。流石にそれは無いと思いましたが、案の定、運転を始めると「37℃」に落ち着きま…

足元が見えていない公明党

先日(7/20)の参議院選挙、公明党で蓋を開けてみたら得票数が521万票という事で、公明党や創価学会ではかなり動揺している様ですね。 そんな昨日、以下の記事を拝見しました。 newsdig.tbs.co.jp この斎藤代表は、恐らく人は良いのでしょうが、政治家として…

ラセルタファイルで思う事

少し長い期間でしたが、ラセルタファイルについて紹介させて頂きました。 はじめに書いておきたい事ですが、このラセルタファイルの内容について、すべてが事実だとは私も思っていません。しかしながら私はこの話の中には興味深いピースが幾つか散りばめられ…

ラセルタファイルⅡ⑥

今回はラセルタがOle.Kの前に接触した、E、Fという人物とのファーストコンタクトの内容について書かれています。 ◆ラセルタのファーストコンタクト Ole.K:最初の記録を読んだ多くの人々から、あなたとE.F.との最初の接触がどのように起こったのかについて質…