自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

創価学会関係

創価学会の役職について(7)-創価班の事③

今回は創価班の広宣部について書いていきます。 私が広宣部になったのは、23歳の時でした。この広宣部とは法華講や顕正会の対応をする部局として創価班の中にある組織で、そこで新規に部員を募集するという話しが先輩からあり、特に異論も無かったので広宣部…

創価学会の役職について(7)-創価班の事②

今回も創価班の経験について書いていきます。 ◆本山担当創価班 私が創価班になって間もなくの頃、第二次宗門問題が勃発しました。当初は宗門側でも一部僧侶の跳ね返りが起こしていたと末端組織では教えられており、問題勃発してから登山停止(1991年11月18日…

創価学会の役職について(7)-創価班の事①

ここで役職ではありませんが、創価班での事について少し書いてみます。 男子部で班長時代には創価班大学校でしたが、地区リーダーとなり、創価班でも現役の班員としての活動をしていましたので、そこで経験した事について紹介します。 ◆会館運営 当時は月一…

創価学会の役職について(6)-地区リーダー時代の事②

さて、もう少し地区リーダー時代の事を続けます。 今回書くのは少しセンシティブな感じの内容なので、本筋は変らない様に書きますが、かなりぼかして書かせてもらいます。 私が最後に地区リーダーをやった地区では、地区部長が途中で代わり私の先輩が地区部…

創価学会の役職について(5)-地区リーダー時代の事

創価学会の中で経験した役職の事について書いていきます。 私はこの地区リーダーを5年間、当時いた支部では四地区ありましたが、そのうち三地区で地区リーダーをやりました。最後は自分の統監のあった地区で半年程度だったと記憶してます。 いまの創価学会…

創価学会の役職について(4)-地区リーダー

さて、班長の事を書きましたが、この班長は1年間やっていました。 そして1年経過したある時、私の処へ部長が訪ねてきました。この当時、部長とは部活や朝勤行会で会う程度でしたが、いきなり来たのには少し驚きました。何事なのかと部長に聞くと「斎藤、お…

創価学会の役職について(3)-班長の活動

男子部の班長という役職は、家庭訪問というよりも折伏がメインでした。 私の場合、班長と同時に創価班大学校に入校してしまったからかもしれませんが、当時の学会活動の事で、今でも覚えているのは折伏の思いでばかりです。 折伏とは仏教用語で、相手の間違…

創価学会の役職について(2)-創価班大学校

班長の事は前回の記事に書きましたが、今回は創価班大学校について書いてみたいと思います。 創価班とは人材グループなので、役職という割り付けには該当しないとも思われますが、こちらでも私は役職を経験しているので、そういう事からこちらで書いてみたい…

創価学会の役職について(1)-班長

私が創価学会で初めて役職を受けたのは20歳の頃でした、役職は「班長」でした。この班長という役職は、男子部として始めに受ける役職なんですね。私が本部長の頃からはニューリーダーなんて名称に変わりましたが、基本的な事はあまり変わりないと思います。 …

創価学会の役職について

公明党が連立政権を離脱してから、ネット上がかなり騒がしい状況になっています。 私が何時も考える事なのですが、私の男子部の最終役職は分県青年部長でした。これは41歳当時の話です。もし私が男子部で副本部長という役職で終わっていたら、恐らく今頃は嫁…

御題目について考えた事③

さて、もう少し御題目の事について考えてみたいと思います。 ◆御題目の音律 私の父親の実家は日蓮宗です。そして叔父(父の兄-故人)は身延山に修行に行って、何でも戒名を付ける資格を取ったと言っていました。その叔父や同じく別の叔父(父の弟-故人)も…

御題目について考えた事②

さて、創価学会では御題目を唱える事を勧めます。それは「祈りを叶えるため」であり、「自分の宿業を転換するため」であったりします。 ◆唱題について この御題目の唱え方として創価学会で教えるのは、文字曼荼羅の「妙」の字を見つめて、ただひたすら御題目…

御題目について考えた事①

創価学会では、御題目を唱える事をとても重要視しています。 私が創価学会で活動を止めた時、それまでの仲間の幾人かは私に対して「御題目は唱えているんだよな?」とよく質問をしてきました。それは組織活動はやめても、創価学会の信仰は辞めていないよな、…

創価学会の教義改正③

2014年11月18日に原田会長が発表した教義改正は、三大秘法に関しての内容を変更したものですが、それに付随して創価学会が日蓮仏法と呼ぶ教義内容や、その歴史の解釈についても変更するものでした。 この事については翌年の2015年1月29日付の聖教新聞四面に…

創価学会の教義改正②

今回から教義改正の具体的な内容について、読み返しながら思う事を書いていきます。 1.本尊観の変更 2014年11月に行われた教学条項の会則改正の中身について、まずは取り上げてみます。 (旧条項)「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘…

創価学会の教義改正①

昨日の記事では、創価学会の行う折伏について思う処を書かせてもらいました。 端的に言えば折伏とは正しい法を以って、相手の間違いを指摘し、組み伏せる行いの事を指しています。でも果たして、創価学会は「正しい教え」を教義として持っていたのか。私はそ…

創価学会の折伏について②

創価学会の折伏で一段と過激さを増したのは、戦後の戸田城聖が会長の時代だったと思います。 戸田城聖は1951年5月3日に創価学会の二代目の会長に就任しました。この時に有名(とは言っても創価学会の中だけですが)なこの言葉を発しました。 「私が生きてい…

創価学会の折伏について①

さて、ここで創価学会の行う折伏(しゃくふく)という行為について書いてみたいと思います。 私がこの折伏(しゃくふく)を初めて行ったのは二十歳の頃、前の記事にも紹介しましたが、男子部で活動を始め、創価班大学校に入った時でした。 創価班という男子…

戸田城聖について④

創価学会の第二代会長の戸田城聖について、今の創価学会が公開している情報は限られていますが、創価学会の公式情報以外にも、その実像が垣間見える資料は存在します。今回はそういった情報について紹介します。 ◆映像とは何だろうか-テレビ制作者の挑戦- か…

戸田城聖について③

創価学会が「永遠の指導者」としている戸田城聖について、私なりに資料を読み込み見てきました。まず人格的には真面目で堅物な牧口常三郎と、大いなる俗物で実業家の戸田城聖では真反対な人物に見えます。 しかし創価学会という組織は、この2人によって作ら…

戸田城聖について②

◆上京 家族に別れを告げ、戸田甚一は単身で上京し、川瀬蒼天の部屋(今の東京都新宿区早稲田鶴巻町)に下宿して転がり込みました。この頃の戸田の日記には以下のものがありました。 「竜として臥せし真谷地を偲ぶ時 われを励ます子等の顔見ゆ」 「愛着のきず…

戸田城聖について①

牧口常三郎の事は一旦終えて、次に戸田城聖二代会長の事について書いてみます。 これは私の感想ですが、牧口常三郎とは明治時代から昭和初期にかけての時代の中で、偉大な教育者であったと思います。しかし「創価学会」の創始者ではないと思うのです。 明治…

牧口常三郎について⑤

牧口常三郎の設立した創価教育学会ですが、昭和の時代に入り時代の波に翻弄されていくのです。「赤化教員のオルグ」では警察庁、内務省との「蜜月時代」でした。そして昭和十四年(1939年)に麻布の菊水亭において事実上の第一回総会を開催しました。そ…

牧口常三郎について④

◆長野教員赤化事件への関与 この事件と創価教育学会の関与について、いま創価学会の活動家の中で知っている人はまずいないでしょう。これについて創価大学の宮田幸一教授のホームページを見てみると、この事件に関する事を「牧口常三郎全集」に掲載する事を…

牧口常三郎について③

◆三谷素啓氏との出会い 牧口常三郎が日蓮正宗に入信したのは昭和三年(1928年)、三谷素啓という人物から折伏されたという事です。創価学会ではこの人物については詳細に語られていません。一部の資料では「常在寺に属する『大石講』の幹部」とだけ記載…

牧口常三郎について②

牧口会長の事について、創価学会では永遠の指導者としながら、その実像を伏せている個所は多くあります。最近になってネット上でこういった情報が漏れ出てくる様になった事から、後手の様に様々な事を創価学会として論及しはじめていますが、それは論及して…

牧口常三郎について①

私は活動を止めた時、「池田大作という人物像を知りたい」と思い、様々な情報収集をしてきました。それは単に文献を当たると言うより、どちらかと言えば池田大作という人物を知る人、またより近い人から話を聞くという事を中心に行ってきました。 そこで知り…

池田大作の人となりについて

さて、私が活動から離れてから、実際に自分が「人生の師匠だ」と信じてきた池田大作という人物について、現在のところの所感、ではないのですが知っている事と知りえた事について、ここで少しまとめてみたいと思います。 本来ならば、もう活動を止めたという…

池田大作朝鮮人説

今から二十年以上前から言われている「池田大作朝鮮人説」について、今回は書いてみます。 未だにX(旧ツィッター)の場所でも「成太作(ソン・テチャク)」という名前を使い、さも池田大作氏が朝鮮人である様なデマが広がっています。 私は思うのです。何故…

大阪事件について

さて、小説人間革命でもドラマチックに描かれていた「大阪事件」について、少し書いてみます。 これは公明党が設立される前の事件ですが、創価学会と公明党の関係性を考える時には、代表的な事件であると思います。 大阪事件とは昭和32年(1957年)に起き…