歴史や政治
年明け早々に世界は大きな変革期の姿を現わしています。 本年1月3日未明、アメリカはベネズエラに対して大規模な軍事作戦を起こし、マドゥロ大統領夫妻の身柄を拘束し、アメリカへ移送、アメリカで裁判に掛ける事が報道され、あわせて今後のベネズエラの内…
この年末、仕事は早めに休暇を取りましたが、やはり色んな用事が立て続いてしまい、こちらのブログ記事の更新を少しお座成りにしてしまいました。 今回はX(旧Twitter)でもよく話題になっている移民問題について、私が思う処を少し書いてみたいと思います。…
さて「生麦事件」によりイギリス政府は幕府に対して謝罪と賠償金10万ポンドを要求し、それと合わせて薩摩藩は幕府の統制が及んでいないとして、艦隊を派遣して薩摩藩と直接交渉し、犯人の処罰、及び2万5千ポンドの賠償金を要求する事を幕府に通告してい…
前回は公武合体政策について少し書いてみました。その後、長州藩について少し触れましたが、ここで再度、公武合体制政策前後に時代の眼を移し、見て行きたいと思います。 公武合体政策その推進役となっていたのは薩摩藩の島津久光でしたが、久光は徳川家茂と…
幕末の動きで、とても重要な動きをした藩があります。それは長州藩です。 「明治維新という名の洗脳」(苫米地英人著)には、とても興味深い内容が書かれていましたので、それを参考に少しこの長州藩について自分が感じた事を書いてみます。 ◆長州藩という藩…
昨日は良い天気でしたね。 もう間もなく12月なんですが、昨日は比較的温暖な陽気で、箱根や丹沢、奥多摩なども紅葉で多く人出があった様です。 斯くいう私は、昨日は伊豆下田まで行って「下田バーガー」を食べていました。 昨日の伊豆下田もそこそこ人がい…
今回は幕末の歴史について取り上げます。 前回は日米修好通商条約の締結など、諸外国との通商条約を大老の井伊直弼の独断で締結した事を書きました。一般的な歴史では「独断」で締結と言われていましたが、実は井伊直弼自身は独断で締結するという強い意志が…
さて、いまこのブログでは政治と歴史という事で、安政の五カ国条約や安政の大獄、そして桜田門外の変について書かせてもらっています。ここでは江戸幕府が開国をするまでの事を書いていましたが、そもそも日本は歴史の教科書でも学ぶ様な「鎖国政策」を何故…
「尊王攘夷」とはNHKの大河ドラマで幕末を取り上げたものであれば、必ず出てくる言葉です。この言葉は学校の歴史の授業でも学ぶ事ですが、幕末の動きを理解する上で大事なキーワードでもあるので、ここで少し振り返って見ます。 ◆尊王攘夷 尊王攘夷とは、簡…
安政元年(1854年)に江戸幕府はアメリカやイギリス、ロシア等と和親条約を締結しました。それまで「鎖国」と言われていましたが、これは外交や交易を江戸幕府(徳川家)が独占していた事で、その海外との交易も長崎の出島に限定をしていました。しかしこの…
前回はインドのムガル帝国の滅亡と、その後のインドの植民地化について少し書いてみました。次はアヘン戦争について少し書いてみたいと思います。 ◆アヘン戦争について アヘン戦争には第一次アヘン戦争と第二次アヘン戦争があります。 第一次アヘン戦争は184…
いま日本国内では、自公連立政権の崩壊の話題で持ち切りになっています。 そこの議論の中で「高市総裁は極右だ」という意見や「高市総裁になれば戦争へと突き進む日本になる」という言動も多く見受けられます。 しかし国家間の戦争とは、そんな単純な絵図で…
日本の幕末から明治期にかけて、世界は「帝国主義」を軸として動いていました。 日本の歴史を理解する上で、当時の世界情勢についても理解する事は大事かと思いますので、今回はこの「帝国主義」という事について少し振り返りをしてみます。 日蓮は「心地観…
さて、前回の歴史の記事では日米和親条約について取り上げました。 徳川幕府がアメリカとの間で日米和親条約を締結すると、他の帝国列強が相次いで条約締結へと動き出してきました。これにはロシアやイギリス、オランダやフランスなどが遅れをとるまいと次々…
10月4日(土)に自民党総裁選挙が行われて、新総裁に高市早苗女史が選出されました。 まず初めに言いたいのは、今の日本の状況というのは、一人の宰相が頑張った処で解決される事というのは、極めて限定的だという事です。 そもそも自民党は今や少数与党です…
ペリーが再来航し、徳川幕府が締結したのが「日米和親条約」でした。 日米和親条約では次のような内容が定められました。 第1条* 日米両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永久に和親が結ばれる。 第2条* 下田(即時)と箱館(1年後)を開港する(…
本日は終戦記念日。正式には1945年9月2日にアメリカ海軍艦船のミズーリ号で降伏文書に調印したので、そちらが終戦日であり、8月15日はポツダム宣言受諾日でもあるわけなんですね。 これに関連したものですが、以下の動画を紹介いたします。 www.youtube.com …
江戸湾を退去してから半年過ぎた1854年2月13日(嘉永7年1月16日)、ペリー率いるアメリカの東インド艦隊は再び浦賀に来航しました。幕府との取り決めでは1年間の猶予としていましたが、あえてペリーが半年で再度来航した事に幕府は大いに焦りました。実はペ…
ペリー艦隊の来航に際し、浦賀奉行の戸田氏栄はアメリカ艦隊旗艦サスケハナに対して、まずは浦賀奉行与力である中島三郎助を派遣し、ペリーの渡航が将軍にアメリカ合衆国大統領親書を渡す事が目的だという事を把握しました。この時、サスケハナに乗艦するた…
1852年11月24日、代将のマシュー・ガルフブレーズ・ペリー司令官を乗せた蒸気フリゲート艦「ミシシッピ号」は、1隻でノーフォーク港を出港し、一路アジアへと向かいました。始めミシシッピ号は大西洋を横断し、以下のルートを取りました。 ◆大西洋を経てア…
さて、徳川家のみ海外交易を独占していた江戸幕府ですが、慶長八年(1603年)から250年後にあたる嘉永六年(1853年)に大きな変化を余儀なくされる事件が訪れます。それがペリー来航です。 ◆ペリー来航までの世界の動向 日本で徳川幕府が政権を担ってより、…
さっそくですが、日本の歴史についてちょっと振り返りをしてみます。 とは言っても日本は初代天皇である神武天皇から考える紀元で言えば、本年(2025年)は皇紀2685年となり、これは世界の国の中でもかなり歴史のある国なのです。それを古事記とか日本書紀か…
さてここで少し新たなカテゴリを設けて、自分の中で少し思索の範囲を広げてみたいと思います。 昨今の世界の状況を見て、その中で日本の国としての動きを見て、また国内の政治の動きを見ていると、やはり今の日本に決定的に不足しているのは「自分達の国の歴…