
さて、先日「自公連立解消」の時に、自公連立政権の歴史について簡単ですが、振り返りの記事を書きました。しかしそれ以降、世の中のメディアには今後の政局で様々な予想を行っていますが、現段階(10/16)では誰もが明確な絵を想像できていないと思います。
これは良し悪しは別にして、自公連立政権において、自民党議員を安定的に当選ラインに押し上げていたのは公明党(創価学会)の集票力であり、また公明党にしても小選挙区では自民党支援者の票があればこそ、議席を確保出来ていたという事を表しているのではないでしょうか。
思うに自公連立解消をした事により、自民党も議席が減少する事が危ぶまれるし、公明党も小選挙区を中心にして議席を得る事が難しくなってしまうという事なのでしょう。ではこの先、今まで自民党を支えていた公明党票(前回の参議院選挙では590万票と言われていますが)を、一体どこの政党が獲得する事が出来るのか。そこが焦点になってきています。
一方の立憲民主党は前回の衆議院選挙の結果を見ても、自公の議席が減少したからと言ってそれが彼らの議席増を望む事が出来ず、従来であれば与党で減少した票は立憲民主等の野党に流れるべきが、新たな政党である国民民主党や参政党に流れてしまいました。
こうなると自民党と立憲民主党のどちらに国民民主党や参政党、あと日本維新の会が付くのかによって、今月中盤に行われる衆議院の首班指名選挙の結果に影響を与えると思われます。自民党の高市総裁が総理となるのか、それとも立憲民主の主導する内閣となるのか。
いずれにせよ、日本の政治は55年体制が崩壊した時よりも、より混迷を深める状態になってしまいました。
◆公明党の今後について
この四半世紀に渡り自公政権を支えてきた公明党ですが、それ以前に55年体制が崩壊した時、新進党の結成でも公明党は常にその屋台骨を支える位置にいました。この当時は「進歩的解党」と呼んで、一時期公明党は解党し公明党議員は新進党に所属していましたが、恐らく公明党(創価学会)の影響力が政権与党になかったのは、あの55年体制が崩壊した後の日本の政治の中では、2009年9月から2012年12月の民主党政権時代くらいだったのではないでしょうか。
いまX等を見ていると、公明党議員は必死に今回の連立離脱の正当性をアピールし、その周辺にいる公明党支援者(主にネットを中心にしている人たち)が、それを擁護する発言が多く見受けられます。
私の個人的な意見を言わせてもらえば、長期スパンで見た場合、55年体制が崩壊し、新進党を中心にして日本新党、新党さきがけが連立して細川護熙内閣が発足して以降、何かにつけて政権与党に公明党は参画して来ました。そして自公連立を組んでより四半世紀の間、この日本をひっぱる位置にいましたが、結果として日本はOECD加盟国内で1990年代には国民一人あたりのGDPは世界2位でしたが、2024年には39位まで暴落状態となっています。
これは明確に政治の問題であり、その政治を引っ張る位置にいた公明党も、その責めを逃れる立場ではいられません。公明党の国会議員は未だに「政策実績が一番」と吹聴し、その支援者たちも「実績オバケ」と表現して、必死に公明党の能力をアピールしていますが、正直、公明党に能力があるとしたら、その支持団体の創価学会の集票力だけであり、それ以外の能力は評価に値するものはないと私は考えているのです。
もし今後、この様な政党の公明党が日本の政治に関わり続けるのであれば、そこは様々な点を変えていかなければならないと思います。今回はその内容について思う事を書かせてもらいます。
①議員選考プロセスの改善
公明党で地方議員や国会議員を選考するプロセスですが、今は創価学会の「社会協議会」で行っていると言われています。しかし創価学会のこの「社会協議会」は完全にクローズトの会議体であり、創価学会の活動家であっても多くがその実態を知りませんし、そこでの協議内容を見る事が出来ません。
「創価学会は指導主義で行く」
これは戸田会長の言葉だと言われていますが、要は今の創価学会と公明党の関係は、創価学会が指導をするという事が原理原則になっているから、この様な組織形態なのでしょう。創価学会は会員を指導し、その会員から創価学会が選出した議員も、創価学会が指導する。
だから創価学会は内々で議員を選び、その選考プロセスも開示せずに、創価学会が候補者として決定した人物を、会員や活動家に支援をさせている訳ですが、これでは本当に能力のある政治家を出す事が出来るのでしょうか。現実的に考えた場合、この形式で選出される政治家とは、あくまでも創価学会の枠組みを超える思想を持つ政治家は輩出する事が出来ず、その事が世間から「公明党は下駄の雪」と揶揄されてしまっているのではないでしょうか。
時代は既に戦後八十年を過ぎています。もう時代も変化していれば、国民の持つ情報リテラシーも大きく変化をしているのです。
その事からこの選考プロセスについて改善をする必要があるのではありませんか?
・候補者選出のプロセス
今の公明党議員は創価学会の会員の中から、創価学会が議員候補者を選考しています。
例えば地方議員であれば、創価学会の地方組織の役職者(区圏幹部や、分県幹部以上)から選考し、国会議員であれば創価大学や有名大学出身者で、国家官僚や弁護士経験者を中心にして選考しています。中には一部、非学会員も含まれていますが、それは全体からすれば微々たるものです。
まずはこの選考プロセスについて改善をする必要があるでしょう。
具体的に言えば、創価学会に関係していない人物であっても、政治的に有能であれば公明党の国会議員として積極的に出馬できるようにしたら如何でしょうか?
政治的に有能な人物がいるならば、例えば現役の公明党議員が他政党からヘッドハントでも何でもして、公明党議員の候補者にすれば良いかと思います。
また創価学会の組織の中からも候補者を公募しても良いかもしれません。
創価学会の中でも会員で有能な人材がいるでしょう。また「我こそは」と思う人もいるかもしれません。そういった人が自分の意思で公明党議員の候補者として名乗りを上げられるプロセスがあっても良いと思います。
またそれ以外にも公明党にシンパシーを感じる非創価学会会員であっても、公明党から国会議員になりたいという人が居たら、積極的に門戸を開放したらどうでしょうか。ここについても自薦・他薦を問わずに設けてみても良いかもしれません。
・選考プロセスの公開(オープン化)
この様に現在では創価学会の一部の幹部の中で、まるで「御簾の裏側」で行っていた候補者の選定も間口を広げたら、より多くの候補者が集められると思いますので、次にその候補者を公明党の候補者として決定するプロセスについても公開(オープン化)してはどうでしょうか?
その際には各自で政治に関する想いや行動などを、しっかりとアピールできる場を設けて、その上で創価学会として(もしくはそこは公明党に一任しても良いかもしれませんが)候補者の選考を可視化して行えば、より能力のある人物を政治家として輩出する事が出来る様になると思うのです。
誰が、どの人物を、どの様な見識と考え方で、公明党の候補者として推薦したのか。
こういった選考毎にエビデンスとして残し、それを議員となった人物の評価と組み合わせて検討確認し、継続的な改善をするプロセスが構築できれば、おのずと候補者のレベルも上げて行けるというものです。
この様に、創価学会の会員もそうですが、世の中の誰もが判る様にオープンにしながら選考を進める事で、創価学会(公明党)としても、より緊張感をもって候補者の選考が出来ると思いますが、いかがでしょうか。
この様に選考された議員候補者であれば、創価学会の会員に限らずとも支援の枠も拡げられると思います。少なくとも候補者へのシンパシーを今以上に感じる事が、創価学会の会員もそうですが、その支援者たちも感じる事が出来る様になると思います。
②議員行動の評価
そして公明党の国会議員として当選した議員には、一定期間の間の実績を評価するプロセスを設けて、こちらについても評価結果を公開するというのはどうでしょうか。この評価については公明党議員相互の評価と共に、外部有識者による評価も加え、その内容を創価学会の機関誌などでも公開する。こうすれば議員としての質の向上にも寄与し、議員のレベルアップにもつながると思います。
もし評価が低い議員が居た場合、この評価を組織内や支援者に周知する事で、その議員も不要と判断されたら落選して頂ければいいだけで、そしてそこには新たな議員を公明党として立候補させても良いかもしれません。
③党代表選挙のオープン化
現在も公明党の党代表選挙は行われていますが、これは見てもわかる通り「出来レース」であり、既に結論ありきの姿となっています。そうですね、、例えるならば北朝鮮の国会議員選挙に様なものですね。
この党代表選挙についても、自民党や立憲民主党などを見習って、しっかりと公開公募で複数の候補者が立候補し、しっかりと議論をしていただいた後に、公明党の党員や、いわゆる「サポータ制度」の様なものも設けて、フルオープンで選挙を行い決める様にしたらいかがでしょうか?
立候補者の条件としては、例えば国会議員の年季で条件を設けても良いでしょうし、そこに地方議員の枠も加えても良いかもしれません。とにかく「公明党」という看板を背負って議員活動をしてきた人物であれば、誰もが党の代表として立候補を可能にする事で、今の様に「御簾の奥」ではなく、正々堂々と公開の場で党代表を選挙で競い決めれば良いと思います。
私が青年部時代、公明党の集票力は890万票はありました。
同じ男子部の幹部仲間では「1000万票、公明党が取れたらすごい時代になるぞ」と良く語り合ったものです。当時の私は公明党の能力を信じてもいましたし、それなりにレベルの高い議員が揃っていると信じていました。しかし政権与党に参画する様になって見えてきたのは、この公明党議員のレベルの低さでした。
いまネットでもいさ氏などが「創価学会≠公明党」というイメージ戦略的な事を言い出していましたが、どうせやるなら政党らしい制度を確立すべきではありませんか?
ただこういった制度を変えて、フルオープン化する事は、当然、創価学会の活動家の政治的な意識も向上させる必要がありますし、創価学会の会員以外から議員を擁立する事は、必然的に創価学会の指導部あたりの公明党に対する影響力というのも低下を招く事にもなるでしょう。場合によっては造反議員という人も出てくる可能性は高まりますし、党代表を選挙で選択するという事は、党内派閥を生み出す可能性も高くなります。党内派閥が出てくるという事は、創価学会の組織内にも派閥形成の可能性も高くなります。また広く社会の人から公明党の議員が見られる事にもなりますので、そこには従来の様な「創価学会の信心」という価値観だけではどうにもならない事も出てくるでしょう。
しかしそこまで政党としての組織改革を実施しない限り、創価学会の衰退と共に公明党の勢力も衰退する事は逃れる事が出来ないと思うのです。
詰まるところ、この公明党に求められているのは、創価学会の会員たちの意識改革に他ならない事を、そろそろ意識すべき時ではありませんか。