自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

はじめに創価学会の事について

実は他のブログサービスで4年以上記事を書いてきましたが、そのブログサービスが終了するという事もあって、このHatena Blogへ引っ越しをする事にしました。

だからこちらに書くことは色々あったりするのですが、とりあえず何から書こうかと考えて、まずは創価学会と私の関係について、少しここで書いてみたいと思います。

私はいわゆる「学会二世」として生まれました。生まれた時から創価学会の会員だったという事です。でも我が家はそれほど熱心な学会活動家では無かったので、子供の頃には家に仏壇があるのは知っていましたが、それが創価学会という事を知らずに成長していきました。

少年部員会というのが創価学会にはありました。それは小学生の子供たちを対象にしたグループなのですが、その少年部員会に出たのは1回しか記憶にありません。どうやら我が家には未来部の担当者は来ていなかった様です。

そんな私が初めて創価学会を意識したのは、中学生になってからでした。

中等部員会の誘いがあって、ある個人拠点に行って初めて会合に出席しましたが、そこで男子部の人(当時、区男子部長で後に公明党議員になっていました)の話に引き付けられ、そこから創価学会という事に興味を持ち始めました。

そこから高校生になって、高等部員となった時には地域の責任者として活動を始めたりもしました。これは1980年代の事です。この当時、高等部の先輩は400ccのバイクに乗っていて、会合にはバイクで迎えに来てくれたりもしていましたので、その先輩の影響もあったかもしれません。また入学した工業高校でも1年上の先輩が学会員でしたので、そういう環境の影響もあったのでしょう。(因みに高校の先輩は見事なほど、BE-POPハイスクールの加藤ひろし似な人でした)

高校卒業後は専門学校へ進学しましたが、さすがにこの年齢になると遊ぶことも面白くなっていたので学会活動は半ばお休みでしたが、先輩がうざいと思うほど訪問してきたのを覚えています。

しかしその後、社会人となった時に転機が訪れました。

社会人となり仕事をする様になると、今から考えたら良くある事なのですが、仕事上で様々な問題に突き当たり、その時に男子部の先輩からの影響もあって、本格的に学会活動を開始したのです。これは1980年代の後半でした。

そこから様々な事があって、42歳頃に学会活動から離れるまで、四半世紀にわたり人生の時間の大半を創価学会の活動の中で費やしてきました。男子部最期の役職は県青年部長でしたね。

そして今は50代も後半になって、日々仕事と休日には趣味や家族と平穏に過ごしています。

しかし平穏に過ごしていると言っても、やはり四半世紀の間、創価学会に関わってきた事もあり、考える事が日常的なクセともなってしまいました。

以上が私と創価学会の関係の概要になります。

かなり端折って書いてしまいましたが、その時々で様々な事を考え、感じ、時には経験してきましたので、これからそういった事についてもこちらで書いてければなと考えています。

これからもよろしくお願いします。