
今回は公明党について少し書かせてもらいます。
私も四半世紀、創価学会に関係してきてしまったんで、けして他人事では済まされないという気持ちを実は持っているのです。
私は20歳の頃、当時は既に学会活動にどっぷりはまっていましたが、この時に実感として感じた事は「創価学会が公明党を支えているんだな」という事、そして「創価学会が公明党を支援しないと公明党は政党としてなりたたない」という事でした。
この肌実感として感じた事は、実は今でもあまり変わっていません。
最近は公明党の国会議員や地方議員、そして創価学会の中の活動家もSNSへの露出度を高めており、X(旧ツィッター)を開くと、それはもう様々な公明党に対する主張であふれかえっています。
これは恐らく創価学会の指導部からの「指示」が強く出ているのでしょうね。
昨年(2024年)の総選挙では、創価学会の組織が強いと言われた関西で、公明党議員の落選が相次ぎました。おそらくこの現状を見て、公明党(創価学会)は危機感を強く抱き、起死回生の策の一つとしてSNSに目をつけているのでしょう。
これについて、ちょっと私からすれば、個人的に見るに堪えない感じを持ってしまっています。落選議員がYoutuber気取りで動画を多く上げたり、帰化議員である政調会長の動画が多く上がり、それを公明党シンパ(学会活動家)が異様に持ち上げ拡散に勤しんでいる。
本当にそれでこの公明党の退潮機運を挽回できると考えているのでしょうか。
◆公明党への信用感の喪失
私はそもそも2004年当時に公明党がぶちあげた「年金安心100年プラン」に大きな落胆を感じています。当時はまだ学会活動をしていた時期で、友人に対して年金の重要性や老後資金の確保がいかに重要なのかを語り、投票依頼をしていました。
当時は学会の会館に公明党元議員が来て「老後の資金として現役時代の50パーセントを保証する」と豪語して語っていました。参加者からの「その財源はどうするのか?」という質問についても「国家公務員をここ10年間、新規採用を止めるだけでも財源は確保できる」「無駄な公務員が大勢いるのだから、その整理をすれば問題ない」と自信満々に言っていたのです。
しかしそれから二十年経過して、現在はどうでしょうか?
例えばこども家庭庁なる役所を2023年に政府は創設し、そこに多くの公務員を宛がい多くの予算をつぎ込んでいます。そしてそもそも年金はどうかと言えば、二十年前に豪語していた「現役時代の50パーセントは確保する」というのも、どこ吹く風の様な状態で、年金安心100年プランは制度の維持を言ったものだと言い、最近では「厚生年金を国民年金に割り当てる」と石破総理も発言して物議を醸しだしています。
私も社会人として多くの年金を支払ってきましたが、恐らく生涯で支払った金額と同等か若干少ない年金額が受け取れるのか、微妙な世代です。そして私より若い世代では、そもそも年金は負担が多く需給は少ないというマイナスになるのは目に見えています。
だから最近の若い世代では「年金なんて払っていられるか」という声も大きくなってしまい、これではこの先、この制度自体も空洞化してしまうのではないでしょうか。
そもそも公明党が信用を落としたのは、こういった公約を蔑ろにしただけではなく、昨年の総選挙では自民党すら推薦を見送った「裏金議員」を公明党として推薦したという行動にも原因があると思います。
それ以外にも、過去の安保法制の時には、それまで掲げてきた「護憲」の旗を公明党は捨て去ってしまい、その事を慶応大学の小林節教授に指摘されても無視するばかりか、平和博士のヨハン・ガルトゥング博士が池田大作氏に送ったメッセージすら無視していました。
こんな行動を「宗教政党」が取ってしまっては信用度もがた落ちするのは当然でしょう。
その結果が、2005年当時には900万票近くあったものが、2024年では600万票台まで票を減らした事で現れているのであって、そこでSNSに露出度を上げたところで、対して効果は認められないと思います。
◆政教一致の問題
公明党と創価学会は「政教一致」で叩かれていますが、これに対して創価学会では平成20年2月に出された内閣法制局長の答弁を元に「デマだ」「公明党を貶める行為だ」と主張しています。
確かに宗教団体が政治活動を制限されるものではないので、この公明党の主張などは理屈にあっています。
でも創価学会と公明党の問題というのは、こういった法律解釈(憲法解釈)の問題ではなく、そもそも「信仰活動として集票活動をする事」に対する問題が根っこにあるわけです。
これは今でも具体的にある事で、創価学会の活動家は公明党の支援依頼(集票活動)を行う事に「信仰上の功徳がある」と会員に教え、会員はその創価学会の教えを信じて公明党の議員の支援をするだけにとどまらず、地域によっては自民党議員の支援も行っています。
私は以前に、地元の高齢婦人が「自民党の〇〇さんへの投票をお願いします」という行動を駅前で不特定多数の人に行った事を見て、「こりゃやりすぎではないか」と感じました。しかし創価学会の末端幹部はその高齢婦人の行動を賛美し「それこそが池田門下としての鏡で功徳は大きい」なんて指導をしていました。
政策や議員の実績よりも、信仰の功徳で投票を語るのはオカシな話です。
「良いとか嫌ではなく、(自民党候補者への支援は)やり切るんです!」
こんな発言を幹部がするところも見ていましたが、正直、これは民主主義制度に対する冒とくでもあり、この行動の先では民主主義制度は壊されてしまう危険性を大いに秘めていると思うのですが、皆さんはそう思いませんか?
政教一致の問題では無いのです。宗教団体、そしてその宗教の信仰者の矜持とモラルとして、果たしてどうなのか、そこが問われていると私は思うのです。
私は以前、男子部で県幹部と言う役職をしていた時、とある支部の活動者会に呼ばれ、そこで公明党をどうしても支援できないという会員と懇談しました。その時に私は「政治信条の自由は憲法でも保障されている」事を話し、「所詮、選挙なんだから自由にやればよく、信仰とは別なんだ」という話をした事があります。
この時、帰宅した深夜に県男子部長から連絡が入り、なんでも支部からクレームが挙がったと言われました。
「どうして部員を公明党支援に覆してくれなかったのか」
これがクレーム内容でした。
私は県男子部長から「物凄い事を言ったそうじゃん」と言われたので、内容を淡々と返し「何か問題がありますか?」と返したところ、うやむやになったのです。
◆公明党の根源的な問題
ここで詳細には述べませんが、公明党と創価学会の関係性。あと党設立の段階からの問題というのがありますので、政党としてはそこに目を向け体質改善を行うと共に、創価学会という宗教団体との関係性も見直しを掛けない限り、公明党の退潮状態は解消しないと思います。果たしてそういった現実を、まずは創価学会として認められるのか、公明党としてどう考えるのか、本来はそこを考えるべきであって、SNSで挽回しようなんていうのは所詮小手先の技でしかないと私は思うのです。
今回の記事はここまでにしますが、これ以降もこの件については書いていきたいと思います。