自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

創価学会の活動を止めた理由②

前回の続きです。

さて、県青年部長になりましたが、役回りはどちらかと言うと組織内のゴミさらいみたいな事が多くありました。

組織内にあった男子部と女子部や婦人部との間の色恋沙汰のごたごたとか。あとは傲慢な態度の壮年部幹部へのクレーム対応とか、まあ本当にここで組織内にある様々な事を観させて頂きました。

あと会館を使って大きな会合を行うと、近隣の道路に駐車する会員がいたりしますが、そのクレーム(地元住民とか警察とか)対応なんていうのもありました。一応「青年部長をやっています」と言うと通じる立場なんですよね。

そんな役職で見聞きした事は、また別の機会にお話ししますが、この役職を1年半ほどやって私は男子部という組織から壮年部へ「卒業」という事で移行する事になりました。

◆壮年部での希望

この立場で壮年部に移行すると地区部長という役職に無条件に付けられます。それが嫌だったので、壮年部の区長という人に人事の御断りの先手を入れようと、会いに行きました。

「壮年部になったら、一会員としてイチからやり直したい」

これが当時の偽らざる心境でした。もう青年部長をやって見せられた事や、色んな事に正直辟易していたんですね。だから地元でイチから会員として真面目にコツコツやりたいと思っていました。

でも区長からは却下。理由は既に私の立場や担当地区は壮年部の人事構想に組み入れられている事であって、要は区長のメンツが立たないと頑強に否定されました。結局、区長と様々な話をする中で、派遣で担当地区の「広宣長」をやるという事で落ち着いたのです。

まあ「広宣長」でも良いか。

そう思いましたが、担当地区も地元から離れて派遣であり、そこの支部長は男子部の若い時にお世話になった先輩だというので、そこでイチから活動をやり直そうと思っていました。

広宣流布の現実

壮年部になり、新たに広宣長として最末端の位置から活動を始めましたが、そこで見たのはどうにもならない現実でした。

例えば聖教新聞という機関紙ですが、購読していない世帯が地区内には結構多くありました。そこで言われたのは「斎藤君、御供養と思って新聞代を二部分出しなさい。仕事でいっぱい稼いでいるんだろ?」というお爺さん地区部長の言葉。私は自宅に嫁の都合で「マイ聖教」という事で新聞を二部購読していましたが、それとは別に派遣先でも二部取れというのです。しかもお金だけ出して、その新聞は地区内の未購読世帯に贈呈する為に使われると言うのです。

聖教新聞の550万部発行維持は、広宣流布の大事な戦いなんだ」

これがお爺さん地区部長のセリフでした。地区の婦人部もご主人が未入会とか、年金生活者も多く居たので、本音を聞くと「二部とか三部とか、多部数購読はきついのよね」という声もあったのですが、それを表では誰も言いません。地区の協議会では笑顔でニコニコしながら新聞代を支払うのです。これは同調圧力というやつでしょうか。

またこの当時は2005年頃なのですが、自民党の候補者への選挙支援でF(エフ)取りも行われていました。理由は「公明党の〇〇さんも大変お世話になっている自民党の議員だから」との事。でも私は青年部長時代、この公明党の〇〇さんのテレアポ事務局を見ていましたが、この自民党の候補者からの支援の名簿なんて見た事がありません。

あと地区部長と拠点を貸している壮年部と揉めて拠点が使えなくなった時には「魔が出来してきた!これからが本門の戦いなんだ!」なんて地区部長が一人盛り上がっていたり、婦人部の中でも陰口が常態化しているなど、もう見ていて辛くなる事が多くありました。

そんなある時、男子部時代の先輩である支部長から「斎藤もそろそろ地区部長やらないか」と声を掛けられました。この時、私は支部長に聖教新聞多部数購読の事、自民党議員への支援、組織内のごたごたなどを話をして、これら問題を地区として主体的に手をいれていく事、その際には支部長とは言え、指示にも反する事をやるかもしれませんが、それでも良いですかと聞きました。すると支部長からは一言。

「だったらお前はいらないよ」

要は今の地区の状態が「広宣流布の現実」なので、それをまずは受け入れて、支部長のもとでしっかり戦わない地区部長ならば不要だと言われたのです。

これで一気に気持ちは萎えましたね。

男子部時代には「自分の思う通りの組織を作れ」と教えられ、「おかしいと思った事は敢然と声を下から上に上げろ」なんて教えられたのですが、それは飽くまでも建前であり、反論する人、難しくややこしい輩はいらないという事だったのです。

まあ確かに私は扱いずらい人間だったんでしょうね。

これを言われた後、自宅に戻って嫁に言いました。

「申し訳ないけど、俺はもう学会活動は止めるわ」

これを聞いた嫁は「別に良いんじゃないの」とあっけらかんと言ってくれたので、この日を境に私は一切の学会活動家ら手を引きました。その後、支部長とか本部長とか区長とか訪問してきましたが、私はそもそも広宣部でもあったので、御書を片手に組織の矛盾点を突きまくり、改善をするなら良いが、そこはどうなんですか?と問い直すと、これら幹部は全て来なくなったのです。

◆信じてきた本質を求めて

こんな事をしていたので、気が付いたら組織内では「無い事、無い事」の私の噂が一気に広がっていました。まあ男子部でもそれなりの幹部をしていたので、それは想定内だったんのですが、同じ時期を男子部で一緒に活動していたメンバーまでが、何故か道であったりするとヨソヨソシい態度を見せてくる様になりました。

まあ組織内では「退転者」という事で、レッテルが固まったんでしょうね。

私は高校生の時から活動を続け、そこで池田大作という人物を教えられ、日蓮大聖人という存在を教えられてきました。

では実際にこれらの人はどんな人物だったのか。池田大作という人物は会館の中では何度か見かけた事もあったけど、書籍以外で実像を知る事なんてありません。また日蓮大聖人とは如何なる人物で、どんな事を求め、どんな人物であったのか、実際に理解している様で知らない事は多くありました。

この当時、2005年頃はブログも活発になり、ネットで検索すると様々な人たちとコミュニケーションをとる事が出来る様にもなってきていたので、そこを通じてこの自分自身の中にある疑問点について、独自の答えを導きだそうと思い、行動を始める事にしたのです。