自燈明・法燈明のつづり

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大阪事件について

さて、小説人間革命でもドラマチックに描かれていた「大阪事件」について、少し書いてみます。

これは公明党が設立される前の事件ですが、創価学会公明党の関係性を考える時には、代表的な事件であると思います。

大阪事件とは昭和32年(1957年)に起きた公職選挙法違反事件で、創価学会陣営(当時は創価学会文化部の活動)がタバコなどで有権者を買収したとして数十名が逮捕、起訴された事件です。この時、創価学会の幹部として当時渉外部長であった池田大作氏と小泉氏(当時理事長)も逮捕されましたが、後の裁判で無罪となりました。

この事件の要因説として、現在では二つの説が言われています。

一つは警察や検察による陰謀と言う説で、こちらは現在に於いても創価学会の活動家が信じて主張しています。

この説の具体的な内容は、昭和30年(1955年)に創価学会は初めて政界に進出しますが、当時は政党を持たずに「王仏冥合」「国立戒壇建立」という宗教的な目的を前面に打ち出しての政治活動でした。こういった創価学会員による宗教活動に対して、既成権力側がその宗教に根差した人々の行動を潰しに掛かってきたのが大阪事件であるというものです。

ちなみに現在、創価学会活動家の中で「王仏冥合」「国立戒壇建立」の意味を知っている人は、かなり少なくなっていると思いますが。

もう一つは夕張炭鉱の報復説というものがあります。

こちらの方は、ルポライター竹中労氏が提唱しているもので、創価学会は昭和31年(1956年)に行われた第四回参議院選挙に独自の候補を擁立して活動を展開しました。その結果、夕張炭鉱労組の地元でも分裂選挙となってしまい、労組側は約3000票という組織票を失い落選、面目が丸つぶれになってしまったという事で、その報復として大阪事件を検察側にリークしたというものです。

実際に第四回参議院選挙前に、夕張炭鉱の労組幹部が創価学会の婦人部を呼出し「学会を辞めなければ、お前の旦那はクビだ!」と恫喝したり、選挙後には学会員の組合員に対して労働金庫の貸出を拒否する等、これら夕張炭鉱労組の差別的な弾圧を創価学会では「夕張炭鉱事件」として語り継いでいます。

新進勢力が既存の権益の中に食い込んできた場合、そこには当然「出る杭は打たれる」ではありませんが、様々な妨害工作というのは発生します。私の先輩(一応創価学会の会員)も数年前に公明党ではなく、独自に地元で地方議会に立候補した時には、公明党を始め様々な既得権益者からネガティブキャンペーンなどが行われました。この大阪事件にしても同様であり、これに関して言えば何も創価学会だけに特別起きた事件ではないでしょう。ましては昭和30年の参議院選挙において春木義一郎氏は当選しており、夕張では創価学会が独自候補を擁立した影響で炭鉱労組の票が減り、結果として候補者を落選に至らしめてしまえば、その様な動きがあっても不思議ではありません。

ただこの二つの説は、いずれも想定の域を出ていない話なのです。

この大阪事件において、一番のファクト(事実)は、創価学会再度で実際に買収活動が行われてしまったという事でしょう。これは創価学会サイドでも否定する事は出来ず、人間革命第十一巻にある「大阪」の章でも「首謀者・小村昌人」がタバコ事件(タバコに名刺、そして100円札を添付してばらまいた事)で逮捕された事が書かれています。

そうなれば検察当局としても見逃す事は出来ず、誰がその違反を指示したのか捜査も入り、現場の責任者である渉外部長の池田大作氏も拘留され、取り調べを受ける事になりました。また当時の理事長の小泉氏も拘留され事情聴取を受ける事は、いわば当然の事でしょう。

問題は組織的な犯罪行為が疑われ、時の組織の責任者が拘束される事を「法難」という様な宗教目線にすり替えてしまったという事だと思います。こういった事実については、美談にする必要もなく、むしろ事実を明確にする事が重要なのですが、創価学会の正式な歴史として事実は記録されていません。

この大阪事件ですが、具体的にどの様な事実が記録されていないのか、少し紹介します。

池田大作氏は、この当時の状況を以下の様に述べていました。

『昭和三十二年の七月三日、大阪府警から任意出頭を求められた私は、激流に飛び込むごとく、自ら大阪へ向かった。北海道からの乗り継ぎのため、いったん羽田空港に降り立つと、わが師・戸田先生が来てくださっていた。「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」 先生の目には、涙があった。痩せた私の体を、固く抱いてくださった。先生の体は熱かった。大阪府警に逮捕されたのは午後七時である。奇しくも十二年前、恩師が出獄された時と、同日同時刻であった。』『随筆・人間世紀の光(116) 「7月3日」と学会精神』より

つまり自らが大阪府警からの任意出頭の報せを受け、大阪府警に向かったと述べています。しかし現実はどうだったのでしょうか。

創価学会渉外部長を逮捕”
『さる四月の参院大阪地方区補選の際の創価学会選挙違反を追及している大阪府警捜査二課は、三日夜、東京都太田区××町×××創価学会渉外部長池田大作(二九)を公選法違反の疑いで自宅で逮捕した。』(日本経済新聞 1957/7/4夕刊)

報道によれば、池田氏は大阪で逮捕されていたのではなく、実は大田区蒲田の自宅で逮捕されていました。通常であれば呼出しを受けた段階で、本人が出頭すれば自宅で逮捕される事はありません。しかし実際には自宅で逮捕されているのです。つまり出頭要請があったのにも関わらず、それを無視した事から自宅まで警察が来て逮捕になったとしか考えられないのです。

小説人間革命では劇的な内容として描かれていましたが、しかし実際にはそれと異なる様相でした。この事で生前、池田氏からは何も説明はありませんでした。

また拘留から釈放に至るまでの事についても、会員に周知している内容とは異なっていました。

勾留は 十五日間に及んだ。過酷な取り調べが 続いた。
容疑を認めない 伸一に対し検察は、罪を認めなければ、「 会長の戸田城聖を 逮捕する 」などと言いだしたのだ。

一九五七年 ( 昭和三十二年 ) の七月といえば、恩師が逝去する九カ月前のことである。
戸田の衰弱は、既に激しかった。逮捕は、死にも つながりかねない。

独房での苦悶の末に、伸一は、容疑を認め裁判の場で、真実を明らかにすることを決意したのである。
(新・人間革命-勇気 抜粋)

この後、池田氏は検察の言い分を認めて釈放されたのですが、理事長であった小泉氏は前面否定を貫き、まだ獄につながれたままの状態でした。池田氏は師匠の戸田会長の身を案じて、検察からの取引を泣く泣く受け入れて釈放されたと言われていますが、それでは理事長の小泉氏は戸田会長の身を感じていない、不肖の弟子という事なのでしょうか?

では戸田会長は当時、どれだけ体調が悪化していたのか。

実は池田氏が出所した後、それほど間を置かず三ッ沢競技場で有名な原水爆禁止宣言を戸田会長は発表していますが、その映像を紹介します。


www.youtube.com

この映像を見てもらえば判ると思いますが、当時の戸田会長はさほど衰弱著しいという状況には見えません。果たして池田氏は本当に戸田会長の体調を慮り、検察の取引に応じたと言うのでしょうか。

ちなみに大阪事件の結果は、完全否定をした小泉氏の無罪確定は約1年後でした。一方の池田氏ですが、この無罪確定には三年半の時間を要しています。この無罪確定についても、けして「罪は無い」という事ではなく、当時の警察や検察党虚構の捜査の進め方に問題があったという事による無罪だったのですが、創価学会の組織の中では、こういった事もあまり知られていません。

創価学会では「師弟不二」を説き、その師匠たる池田大作という人物を模した山本伸一というキャラクタを描き、小説などで師匠の人間像や歴史的な背景などを会員に学ばせています。しかしその小説にこういった事実を掲載しないで学ばせる事で師弟関係を結ばせる事をしています。それにはどんな意味があるというのでしょうか。

この事実についても、是非、創価学会の史実として明記して欲しいものですね。