
◆父親からの話
竈猫氏は家で晩飯を食べる時などに父親に話をしていたそうですが何時もスルーされていました。しかしある時、やはり晩飯を食べてると父親から聞かれました。
「お前らが行ったお化け屋敷って、***の***か?」
かにズバリその場所だったので「オヤジあそこ知っているの?」と聞くと、父親は「お前、あそこはなぁ。。」と語り始めました。
竈猫氏の父親は長年、石油関係の仕事をしていたのですが、以前に山の牧場の近くで大きな公共工事が行われていて、そこで使用しているパワーショベルとかユンボといった重機の燃料を納入するのに、軽油をタンクローリーで運んでいました。父親の仕事は外回りでしかも田舎でしたので、結構サボる事が出来たそうで、昼飯はそこの飯場で食べてから、タンクローリーを山の牧場の廃屋の前に止めて良く昼寝をしていました。
ある時、飯場で昼飯を食べていると、同じ飯場にいた現場監督の人から「**さん(竈猫氏の父親)は何時も度胸があるなぁと誉めていたんだよ」と言われたので、「え、何で?」と父親が聞くと「あんた何時もあの空き家の処で昼寝していたろう。みんな気味悪がってあそこはよう行かん場所や」との事でした。「何でですか?」と聞くと「あそこの廃墟の上には、何時晴れていても雲がある。どんなに晴れていても雲があるので、みんな気味悪がって近づく奴はいないんや」と言われました。そこから父親は軽油を配達する度に見ていたら、確かに廃屋の上には何時も雲があったと言うのです。
「お前な、本当に近寄ってはいけない場所というのは有るんだから、やめとけ」
そんな事を言われたそうです。そしてこれが中学生までの話。
◆その後の帰省で
その後「新耳袋」という本で中山氏の山の牧場の話を読んで、「こんな事もあるんだな」と思い、またいたこ28号さんの怪談会に参加してこの話をしたら、いたこさんから「是非もう一度行ってきてください」と言われたりもしました。
そこで中学生時代の体験を改めて思い返したりして、その中で思い出した事もあったそうです。それは牛舎で仕切られて理科室の様になっていたのですが、残りの部分も見ていた時、そこには白い粉が山盛りに積んであったのですが、これは中山氏の山の怪談との共通点の一つでした。
またこの当時、実家に帰省した時に偶々、中学生当時に山の牧場に一緒に行っていた友人と会いました。そこでその友人に怪談会の模様などを話していると「お前、相変わらず好きだな」と言われ、その時に竈猫氏は「何故、あの時に牛舎の中に入らなかったんだっけ」と聞くと、その友人はきょとんとした顔をして「お前忘れたのか?あの牛舎なんて、入り口はどこにも無かったじゃないか」と言われました。
廃墟で人の出入りを禁じる為に、入り口を板うちで塞ぐというのは良くありますが、あの牛舎には確かに入り口が無かった事を思い出しました。「では、あの道具は一体、どうやって入れていたのか」と思ったそうです。また変な生き物にエアーガンの玉は当たらなかったのかというと、実は生き物の前には見えないガラスの様なものがあった様で、それに当たったとの事。だから生き物の手前の空中で玉が弾かれていた事も思い出しました。
この帰省はお正月休みで帰省をしていたのですが、友人と会った日の夜中、自宅の玄関が「ドンドンドン」と叩かれました。当時、家の中で起きていたのは竈猫氏しかおらず「誰だよ、こんな時間に」と玄関を開けると、高校時代の友人がばっちり迷彩服を決めて「竈君、遊びましょ」と立っていました。
「何だこのバカは」と思いましたが、この時は正月三が日のまだ二日、「何あんたら?僕にはそんな知人は居ないよ」と言うと友人は「せっかく久しぶりに会った事だし、親睦を深める為に、サバゲ―でも行こうよ」と誘いに来たと言うのです。
見ると知らない人達もそこには居ました。この騒ぎを聞きつけて母親も起きて来てしまい「なに?こんな時間に」と言われたので、事情を説明すると母親は、その異様な集団を見て「あなた、さっさと出かけてきなさい」と言い放ちました。「いやいや、俺、道具無いし」と言うと、友人は「大丈夫、道具は用意してあるからさ」と言われ、結局、竈猫氏はこの友人達に付き合い、夜中にサバイバルゲームをする羽目になりました。
◆サバゲーにて

外に出てみると車三台に分乗して来ていた様で、中には初めて会う本業の人(現役自〇隊)も居て、総勢10名位いました。とりあえず車に乗せられ道具や迷彩服も渡されたので、「場所はどこでやるの?」と竈猫氏は友人に聞くと「お前面白そうな所、知っているじゃん。聞いたよ話。あそこに決まっているじゃん」と山の牧場でやる事を聞かされました。「俺はあそこには絶対に行かないよ」と竈猫氏は言いましたが、同行した本業の人達も「何かあったら俺たちが守ってやるから」と半ば強引に、山の牧場まで連れていかれたのです。
確かにサバゲ―の場所としてあの場所は良いかもしれない、でも竈猫氏が「何があっても知らないよ!」と言うと、「何かあっても退治してやるって」と友人と一緒に来ていた自〇隊の人が言いました。彼らは高校時代の友人が自〇隊で空てい団に入ったそうで、その繋がりもあって今回一緒に来ていたそうで、どうやら友人と一緒に来ていた人の半分はこの本業の人達でした。
車で移動し山の牧場に着くと、早速チーム分けをしました。そして友人らは何やら箱の中から妙な道具を取り出し始めたので「何それ?」と聞くと「いや、実はこれを使いたかったんだよ」と言いました。彼等が取り出したものを見るとそれは暗視装置でした。どうやらこれを使いたいが為に夜中にサバゲ―をやる事にした様で、しかも二種類で四台。それを2台づつ分けて三十分後にスタートという事でチームごとに分かれました。
ひとチームは牧草地側、そしてもうひとチームは廃墟側からスタートという事になりました。竈猫氏は牧草地側のチームでしたが、正直、この時は帰りたかったそうです。そして装備を確認し、暗視装置を付けてこれからスタートという事になりました。
この暗視装置はそれなりに高価なものですが、当時、ソビエト製のものが安く出回っていたのでそれを購入したそうです。北海道の港町にはロシア人も当時は多くいたので、そこから入手したみたいでした。大体、一台三万程度で、この暗視装置はスターライトスコープという物でしたが、実際に見てみるとかなり良く見えました。またイスラエル製の赤外線の暗視装置を持ち込んでいた奴もいて、そちらの方は一台二十万もする高価なものでかなり良く見える物でした。
このイスラエル製の赤外線暗視装置を使用していたメンバーが変な感じになっていました。そのメンバーが「お前の方は何か映っていないか?」と聞くので、ロシア製の方では「何もお前らしか映っていないぞ」と言うと、「お前、ちょっとこっち見てみろ」というのです。
そこでイスラエル製の暗視装置を着けて覗いてみると、牧草地には数日前に大雪が降っていたのですが、牧草地の根本あたりにが所々まるで逃げ水の様な何者かが畝って見えました。ロシア製の暗視装置では何も見えないのですが、明らかに赤外線の暗視装置では何かが居るのです。しかもその数が沢山見えていて、自分達の周囲を取り囲み始めていました。
それを見た本職の人達が「おい、何か俺たちは取り囲まれているぞ」と言い、囲い込みの範囲が徐々に迫ってきているようでした。彼は「おい、これはどう見ても罠だろう」という事を言っていたので、竈猫氏は「あのー、本職の皆さん。この時はどうするんですか?」と聞くと、本職の人は「お前ら、剣付け」と言いました。要は銃剣を着けろというのですが、竈猫氏はそんなモノはありません。でも本職の人は本当にガス銃の先に銃剣を着け始めたました。
「考えてもどうしようもない。奴ら(廃墟側のメンバー)と合流しよう!」という事で、一斉に廃墟目指して走りだしました。一人が「声出せ!」というので、みな「ワー!」とか「ギャー!」と大声を出して走りました。
廃墟に近づくと、何やら廃墟側でも「ワー!」とか「ギャー!」と声を出して大騒ぎになっていました。しかもガス銃を乱射している音まで聞こえるのです。何かに向って。そして廃墟側のチームとかち合うと「何だ!お前ここ!!」と竈猫氏は言われましたが、そんな事さっき言ったじゃんと思いました。
「どうした?」と廃墟側のメンバーに聞くと「何か変なのが一杯いる」と牧草地側のチームと同じ事を言っていたのです。「お前らの方はどうした?」と聞かれたので「うちらの方も(変なのが)一杯いる」と答えました。要は牧草地と廃墟側ともに囲まれた状況になっていました。「もうこうなったら、藪を突っ切るぞ」という事で、全員で夜中の闇の中、藪をかき分けかき分けして、ホウホウの体で道路にでて、車に乗って逃げだしたのです。
ただこのまま自宅に帰るのも嫌だったので、市街地中心で駅の近くにあるファミレスへと皆で立ち寄りました。
夜中のファミレスに迷彩服を着た男十人が入って行くのもかなり異様な光景だったと思いますが、今から考えたらよく警察を呼ばれなかったと思いました。そして全員でホットコーヒーを注文し、コーヒーを飲んだあとに出た言葉は「何なんだ?あそこは」というものでした。
そこで竈猫氏は中学の時に体験した事などを説明し、廃墟側にいた人達に「いったいあなた達は何見たの?」と聞きました。すると彼らはチームに分かれた後、廃墟に行き準備をしていたら、同じく赤外線の暗視装置を着けていた奴が「あーこれ良く見えるね」と周囲を見回して歩いていたそうです。そして廃墟の処でピタッと立ち止まり「うわ!!!」と腰を抜かしました。
「え?何」と他のメンバーは見えなかったそうですが、その赤外線暗視装置を付けたメンバーに聞くと、彼が言うにはガラスは無いのですが、その廃墟の窓が「ブレて見えた」と言うのです。そして窓の処から黒いトコロテンの様なものがニューっと出て来たと言い、そしてそれがドバドバと出て来て、足元にまで来たので腰を抜かしたというのです。
他のメンバーも赤外線暗視装置を着けてみると、それが見えたのでパニックとなったという事、竈猫氏がその窓の場所を確認すると、階段後ろの例の小部屋の近くの窓でした。つまりあの小部屋にあった斜め土管の様な穴から何者かが出て来たのかもしれないと思いました。
「もうこんな怖い処は二度と行かん」
「こんな処に連れてきやがって、覚えておけよ」
などと竈氏は言われ、その夜は解散しました。
ちなみにこの話をする中で、竈猫氏が思い出した事がありました。それは中学校の時に廃墟の居間に侵入した際、畳の下に敷かれていた新聞を見ると1983年の新聞だったそうです。その後、地元の図書館で調べると、1983年にその牧場では確かに一家心中があった事が確認できたという事です。