自燈明・法燈明のつづり

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創価学会の教義改正②

今回から教義改正の具体的な内容について、読み返しながら思う事を書いていきます。

1.本尊観の変更

2014年11月に行われた教学条項の会則改正の中身について、まずは取り上げてみます。

(旧条項)
日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」

(新条項)
日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命たる世界広宣流布を実現することを大願とする」

この部分で主に変更された箇所に下線を付けてみました。

ここで判るのは御本尊についての考え方を変更した事が判ります。

旧条項では「一閻浮提総与・三代秘法の大御本尊を信じ」と書かれており、これは現在、富士大石寺の奉安堂に安置されている大本尊を指していました。

しかし新条項では「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」と改変していますが、これは明らかに大石寺の大本尊を本尊とする事を取り下げ、三大秘法を信じる事にしました。

この事について原田会長は以下の様に説明しています。

大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇として具体的に顕されたのであります。末法衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。そして、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となります。改正のこの部分は、その大聖人の法門を信ずるということであります。

この部分について、さらりと読んでしまえば「ああ成程」と思う人もいるかもしれませんが、ここでは従来の三大秘法の考え方を大幅に変更しています。

三大秘法とは日蓮末法の人々を救う為、その根本となる教えを指していて、日蓮宗派の中では日蓮宗日蓮正宗で、この三大秘法の考え方が異なっていました。そして創価学会は今まで日蓮正宗の三大秘法を踏襲していたのです。日蓮正宗では三大秘法として以下の通りとしていました。

・本門の本尊:「人」と「法」があり、「人」は久遠元初自受用身の再誕日蓮・「法」は十界互具事の一念三千の大曼荼羅のこととし、これらが一体である(人法一箇の本尊)とする。

・本門の戒壇「事」と「義」があり、「事」は本門戒壇の大御本尊を安置するところ・「義」は日蓮正宗の末寺ならびに信者家庭へ下付された御本尊を安置するところのこと。

・本門の題目:「信」と「行」があり、「信」は本門戒壇の大御本尊を信じること・「行」は「信」をもって南無妙法蓮華経と自ら唱えること。

しかし今回の改正で、この三大秘法は以下の内容に変更したのです。

・本門の本尊:末法衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したもの。

・本門の戒壇本門の題目を唱える場。

・本門の題目:本門の本尊に唱える南無妙法蓮華経

日蓮正宗の三大秘法は、日寛師の教学の考え方であり、その基本には大石寺の大本尊を根本にしています。しかし今回、創価学会ではその大石寺の大本尊を変えて、「末法衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊」に変更しました。

そもそも創価学会日蓮正宗は宗教法人としては別なので、その宗教の本尊を如何に制定するかは法人の裁量範囲です。しかしここで考えなければならない事が幾つかあります。

日蓮直筆の本尊について

現在、現存する日蓮直筆の本尊は123体あります。これらの中には文永八年に始めた顕されたと言われている「楊枝本尊」から弘安五年に顕された文字曼荼羅まであります。

またそれ以外にも十界曼荼羅ではないものも存在します。また賛文や認められている仏菩薩や諸天善神も多岐に渡りますので、例えば「若悩乱者頭破作七分」「有供養者福過十号」という讃文の無い文字曼荼羅も多数ありますし、金剛大日如来や胎蔵大日如来が釈迦如来多宝如来と並んで認められている文字曼荼羅も存在しますが、そういった事実を学会員は知らないでしょう。
一言で「全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したもの」と言っても、では今まで創価学会の中で教えられた教学で、こういった相貌が根本の法を示している意義を説明出来るのでしょうか。

日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅」と言いますが、日蓮直筆の曼陀羅には十界が極めて簡略化された曼陀羅もありますが、このあたりについては、どの様に分類した上で、それを「本門の本尊」と呼ぶのでしょう。

あともう一つ、これは一般会員は知らないと思いますが、それぞれ現存する文字曼荼羅には版権というものも存在しますので創価学会が勝手に印刷する事も出来ません。つまり日蓮直筆の曼陀羅と言っても創価学会が本尊に出来ないものが大半となっていますが、その扱いについてはどの様に考えての言動なのか、そういう事も不明確だと思うのです。

また本門の戒壇と言っても、例えば日蓮宗の寺院に学会員が行き、そこで日蓮直筆の文字曼荼羅があった場合、そこで御題目を学会員が唱えたら、その場所は本門の戒壇になるのか。場所は関係なく日蓮直筆の文字曼荼羅がある場所で唱える題目というのは、それは本門の題目になるのか。等々。少し考えただけでも、あまりに不明確な定義づけでしかないのが解ります。

創価学会の会員が、そもそもそんな謗法の場所に出向いてそんな事をやる訳ないだろ」

しかし教義なんですから、その辺りもしっかりと教学的な裏付け(文証・理証)を以って定義をすべきですが、そういった事は何も今回は決められていません。

ただ一つここで言っておきたい事なのですが、だからと言って、私は日蓮正宗の三大秘法が正しいとか、理にかなっているとは思いません。これは別の章立てでまとめたいと思いますが、日寛師の教学が、結果として大石寺の大本尊に信者を縛り付け、しかも日蓮の文字曼荼羅を、まるで幸運を呼び込むお札の様に誤解をさせてしまった事も事実です。

私が言いたい事は、三大秘法は根本的な事項なのですから、もっと教学的な事や歴史的な背景もしっかりと調べた上で、そもそも日蓮の本尊観とはどの様なものであったのか、また過去に創価学会はこの日寛師の教学を会員に教え教化して、その三大秘法を信じ、多くの会員を活動に身を挺して信心をさせて来たのですから、変える部分はしっかりと会員に提示をし、過去にどの様な経緯でその三大秘法を信じさせて来たのかを宗教団体として総括して、その内容を会員にしっかりと説明する義務があると思うのです。

けして宗教団体の本尊観の変更を、こんな安易な内容で変更して、それでよしとするものでは無い。私はそう考えているのです。