自燈明・法燈明のつづり

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ロズウェル事件について

以前にも少し書きましたが、この世界というのは実に多くの謎があります。今回はその謎の中で、とても有名な事件「ロズウェル事件」について取り上げてみたいと思います。

ロズウェル事件の概要

ロズウェル事件は1947年にニューメキシコ州ロズウェル近郊にUFOが墜落したと言われる事件ですが、当時のアメリカ陸軍では航空軍の観測用気球が墜落したと公表しました。

この事件は1947年7月2日の深夜、ロズウェル周辺は激しい雷雨に襲われていたと言います。この夜、牧場経営者たちは雷鳴の間に爆発音を聞きました。

翌朝、牧場管理者のW.W.ブラゼル氏は残骸を発見、残骸の発見場所はニューメキシコ州ロズウェル近郊で、金属箔や薄い金属片が散らばっていたと言います。またそれら残骸はとても軽いものですが、異常に強度が強かったそうです。

7月6日の日曜日、ブラゼル氏はそれら残骸を箱に入れ、トラックの後ろに乗せて120キロ離れたロズウェルまで運びました。

ロズウェルには陸軍飛行場があり、そこには第509爆撃大隊の本部がありました。ちなみにこの部隊は世界で初めて原子爆弾を投下した部隊です。広島と長崎に原爆を落としたのはこの部隊でした。

この基地の情報部の責任者はジェシー・マーセル少佐でした。ブラゼル氏は残骸を回収した箱を少佐に渡し、少佐は彼の上司のところへ持っていきました。

そして7月8日(火曜日)の正午、ロズウェル飛行場は「空飛ぶ円盤を回収した」と発表。この発表が通信社に伝わると、欧州からオーストラリアまで世界に一気に拡散したのです。

マーセル少佐はB-29に搭乗し、フォートワーク第8航空群の司令官のロジャー・レイミー准将へ残骸を届けました。カースウェル航空軍基地にある准将のオフィスに行くと、准将は少佐を地図のある部屋へ連れて行き、そこから戻ると既に持ち込んだ残骸はどこかへと消えていました。

そして代わりにあったのは、壊れたネオプレン製の気球と、ボロボロになったレーダー反射器。准将はマーセル少佐にそれを持ち上げポーズを取らせました。また准将は少佐に記者たちとは話さないように命令し、帰宅後、この事は家族にも誰にも言うなと厳命したのです。

ロズウェルのマスコミは、24時間以内にこの円盤の話題を止めなければ、取材許可を剥奪すると陸軍から脅迫され、この空飛ぶ円盤は気象用観測気球だと言われる様になりました。

翌朝には、このニュースの話題は勢いを失い、”空飛ぶ円盤騒動収束、陸軍は噂を否定”と報道され、それ以降長い間、このニュースは話題にも上らなくなり、墜落したのは気象観測用気球の残骸だと言われる様になったのです。

レイミー准将のマスコミ会見後、マーセル少佐はフォートワースに一泊し、状況が落ち着き始めた時、彼はスケープゴートとして利用された事に気付きました。気球を取りポーズを取れと命じられましたが、それは彼が回収したものでは無いと知っていました。しかし彼はその事を胸の奥に秘めたまま、この後、3年後に退職しました。

その後、彼はルイジアナ州ホーマに戻り、テレビの修理業に従事しました。

しかしその後、長い間、なぜ真実が明かされないのが疑問に思い始め、その事で悩み始めたと言います。しかし家族の証言によれば、けしてその事を話す事はありませんでした。しかし自身が年老いて死ぬ前に、この真実について話をすることを決めたそうです。

事件から30年後の1980年9月20日に放送された「Inserch Of..」という番組に出演したマーセル氏は、この出来事について証言をしました。この番組は長い間、隠されていたロズウェル事件について、一番最初に取り上げた番組です。

この番組のマーセル氏の発言をきっかけにして、周囲ではこの事件の再調査の動きも出てき始めました。

アメリカ陸軍元中佐のケビン・ランドル氏は、陸軍の情報部に長年勤務し、イラク派遣時には情報将校として活躍した人物です。彼はハイネックUFO研究センターの元調査員であるドナルド・シュミット氏と、1989年2月にこの件について調査を始めました。

ランドル氏はこの事件について、当初は2日間滞在して調査すれば終わりだろうと考えていましたが、そんな簡単な事では無かったと言います。問題の1つ1947年の証言者たちが既に高齢となっていた事でした。この時、すでにマーセル氏も亡くなっていて、証言者たちが生きているうちに、証言を集めなくてはなりません。

彼らは早い段階で、マーセル氏の子息である軍医のジェシー・マーセル・ジュニア大佐に会いました。マーセル・ジュニア大佐は父親が残骸を入手した時の事を明確に覚えていました。

当時、寝ていた息子を起こしたマーセル少佐(父親)は、家族に回収した破片について見せていました。そこにはアルミ箔の様なもの、I(アイ)型をした20センチほどの金属棒があり、そこには何やら象形文字の様な紫色の文字が刻まれていたと言います。この時、マーセル少佐は息子に「地球外生命体の文字を見た最初の人間だな」と語りかけたそうです。またこれらのアルミ箔は薄いが極めて頑丈で破くことが出来ず、金属棒もバルサ材の様に軽いものだったそうです。

実はマーセル少佐は、息子や家族に対してルールを破り、残骸を見せていたのです。

マーセル氏が名乗り始めた事から、秘密厳守を誓わされた人たちの中にも次々に名乗り出て語り始める人も出始めました。

レイミー准将の参謀長だったトーマス・デュポース大佐は、気球は隠ぺい工作だった事を認め「マスコミの好奇心をそぐために、あの気球を使ったんだ」と語りました。また牧場管理者のブラゼル氏の息子ビル氏は、自分でも破片を見つけた事を語り、「あれは気球では無かった」と証言しました。この時回収した破片は葉巻ボックス1箱分はあったそうですが、突然、航空軍の何者かが訪れてきて持っていかれたそうです。

この証言は述べ600人以上もの人数になり、それはロズウェル事件に直接、また間接的に関わった人たちの証言でした。

これら調査によると、残骸回収に軍がかけた労力は、単に気象観測用の気球の回収という理由には合わないものでした。もし気象観測用の気球であれば、なぜ周辺に厳重な警備が必要であったのか。またこの調査の中で、事件は複雑な様相を見せてきたと言います。

残骸の発見場所には破片しか見当たらなく、この破片をまき散らした宇宙船が実際に墜落した場所の捜索も行われていたのです。

証言者たちによると1947年、テキサス工科大学の考古学者のチームが異様な物体を発見しました。それはフォルクスワーゲンのビートルほどの宇宙船で、この物体の発見場所は、残骸の発見場所から南東に43キロほど行った場所でした。恐らくそこが最終墜落場所だと思われたそうで、そこには人間ではない死体もみつかりました。

これによりロズウェル事件の重要度は格段と高くなったと言います。

この死体に関する証言は、信用に足りる人たちからの証言もあったそうです。ここで発見された死体は、身長が1メートル20センチで人間より小さく、頭は異様に大きい吊り目でした。

実はこの死体の話題は、調査当初から目撃談としては出ていたのですが、この墜落現場の証言からも証明されていきました。

第一空輸部隊のパイロットだったオリバー・ヘンダーソン大尉は、この死体の空輸に携わっていた事が、妻のサッフォーから証言されました。この死体の空輸先はオハイオ州のデイトン基地で、そこで宇宙船と死体については詳しく調査が為された様です。

◆空軍による再調査

ケビン・ランドル氏とドナルド・シュミット氏、両氏の調査がテレビで報道され、ニューメキシコ州の州議員のシフ氏が多くの証言者の代弁者として1994年にアメリカ政府に対してロズウェル事件の資料の閲覧を要求する運動を行いました。それに対して空軍は1994年7月に、このロズウェル事件について再調査を行い231ページの報告書を発表しました。しかしこの報告書の内容が従来の気球説を繰り返すだけの内容であり、そこでは「プロジェクト・モーグル」という秘密計画があり、そこで観測用気球が取り扱われていた事、また衝突実験で利用する人形があり、それが異星人の死体と見間違われという内容を発表しました。しかしそれが更なる多くの疑問を抱かせました。

しかし結果として、この報告書の発表を受けてアメリカ国内の主要メディアは、ロズウェル事件を改めて気象観測用気球だという内容を支持し、その後もまともに取り上げる事はなくなりました。「政府がそういうなら同調する」というスタンスです。

要はケビン・ランドル氏とドナルド・シュミット氏により調査された結果は全て「フェイクニュース」としてマスコミでは取り扱われたのです。

◆現在の状況

2023年7月、国防総省がUAP(未確認空中現象)として空母艦載機が撮影した動画を公表し、その議会公聴会においてもこのロズウェル事件は取り上げられました。しかしこのロズウェル事件については、明確な証拠がいまだ見つかっていないのが現状です。

1947年当時、このロズウェル事件に関係した人は数百人に上りますが、今ではその大半が亡くなっており、その遺族の多くは秘密を隠し通す身内である関係者を身近に見ていたので、その身内の名誉の為にも真実の公表を望んでいます。

果たしてこの事件がこの先、明確な証拠と共に公表される事はあるのでしょうか。恐らくそういう事は、この先も起きない様に思えます。

 

【参考資料】
NetFlex 未解決ミステリー Ep4