
日蓮は12歳で道善房を師匠として清澄寺に入りましたが、この時の逸話として語っておかなければならない事に「虚空蔵菩薩」から智慧の宝珠を頂いたという話について、少し書いておきたいと思います。
◆虚空蔵菩薩への請願
「而るを日蓮は安房の国東条の郷清澄山の住人なり、幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき」(善無畏三蔵抄)
これは清澄寺の時代の兄弟弟子である義浄房と浄顕房に与えたと言われる御書の中で、日蓮が語った事です。
ここでは清澄寺に入った時から、虚空蔵菩薩に願を立てて「日本一の智者にしてください」と祈ったところ、虚空蔵菩薩が高僧の姿で現れて、明星の様な智慧の宝珠を頂いたという事が書かれています。
虚空蔵菩薩は空海が室戸岬の洞窟、御厨人窟に籠もって虚空蔵菩薩求聞持法を修したという伝説でも有名な菩薩です。後に「真言亡国」という四箇の格言で、日蓮は真言宗を破折したのですが、幼少の時の日蓮が、その真言密教に縁のある菩薩に願を立てたという事は、後世に様々な憶測を呼びました。
例えば国柱会の田中智学は、大国聖日蓮上人という著書で「虚空蔵菩薩に智慧を祈って神験(しるし)のあったことを、後世に付け加えた種種の伝説談と混同してはならぬ」と言っているほど、この事を特別視していますし、日蓮教学の最高峰とも評された山川智應博士は、この事についてスターバックの回心説を引いて、天才の心理的変態現象であると言い、本化妙宗聯盟教導の高橋智遍師に至っては祈願の恍惚状態の感得であると言っています。
要は日蓮が幼少時期の「魔訶不可思議体験」だと言い、そこに虚空蔵菩薩が出てきている事は、まるで一つの変成意識状態、禅宗で言えば魔境を経験した様な事を言っています。
しかし日蓮は自身の御書の中で、こういった利根や通力、要は夢のお告げ的な事は徹底して否定しているのです。
「通力をもて智者愚者をばしるべからざるか、唯仏の遺言の如く一向に権教を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は権教に宿習ありて実経に入らざらん者は或は魔にたぼらかされて通を現ずるか、但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず。」(唱法華題目抄)
「仏の最後の禁しめに通を本とすべからずと見えたり」(題目弥陀名号勝劣事)
その日蓮がそんな利根や通力の様な体験をわざわざ語るでしょうか。ここには別の意味があるというのが近年の通説です。
◆虚空蔵菩薩は暗喩
先の善無畏三蔵抄には続きがあって、そこには以下の様に書かれています。
「此の諸経諸論諸宗の失を弁うる事は虚空蔵菩薩の御利生本師道善御房の御恩なるべし。」(善無畏三蔵抄)
つまり虚空蔵菩薩は道善房の事だと、明言こそしていませんが、その事をここで匂わせているのです。
日蓮が虚空蔵菩薩から受け取った宝珠とは如何なるものだったのでしょうか。
「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ、」(清澄寺大衆中)
ここで虚空蔵菩薩から頂いた大宝珠から得た智慧で、一切経を見てみれば、各宗派の勝劣を粗々しる事が出来たと語っています。
日蓮は清澄寺のある東条郷では、小松原の法難でも出てきますが、地頭の東条氏から日蓮は目を付けられています。その事から、もし道善房から教えられた事により、日蓮が「八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」となった場合、道善房にも難が及ぶかもしれない。それを考えた時、それを避けるためにこの様な暗喩を使ったのでは無いかと言われています。
◆宝珠の正体
では12歳で清澄寺に登った日蓮は、いったいどの様な宝珠の様な智慧を、師匠の道善房からもらったというのでしょうか。
清澄寺に登るまでの幼少期、日蓮は小湊の地で様々なものを見たのではないでしょうか。それは権力の二重構造(朝廷側と幕府側)による租税であったり、地頭の横暴であったり、または人々の間の諍いであったのかもしれません。そして本来、そういった社会の争いを治め、安寧の為に仏教があるべきが、仏教自体が既に権益を持った権力側にあり、人々の悩みや苦しみを救う事すら出来ていない現実。こういった事から、清澄寺で仏教を学ぶ事を志し、そのために「日本一の智者となりたい」という、強い願いとなっていたのでしょう、その強い願いに対して、師匠道善房は幼い日蓮(善日麿)に「三教指帰」を教授したのかもしれません。
三教指帰とは空海による宗教的寓意小説に仮託した出家宣言の書で、三教(仏教・儒教・道教)を比較して、仏教の優越性を説いていると言う者です。清澄寺はもともとが不思議法師という旅の僧が当時を訪れ、虚空蔵菩薩を祀る寺院として建立されました。その後に山岳信仰の霊場となり、日蓮のいた時代には天台宗の寺院になっていました。
三教指帰は初学に与える教書であり、日蓮もこの教書を元に一切経に向かい、その勝劣を読み解いていったのかもしれません。開目抄の冒頭にある以下の文。
「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。」
これにこの三教指帰の片鱗を感じ取る事が出来るのです。
あともう一つは、師匠の道善房から法華経についても、この時期に教わったのかもしれません。そしてこの事を「宝珠」として表現をしたと思うのです。清澄寺は天台密教の寺院でもあったので、そこには当然、天台大師智顗の教えもあれば、法華経もあったでしょ。仏教の肝心を知りたければ、この経典を学ぶが良いと言われた事も想像できるのです。
以上が簡単にではありますが、日蓮が幼少期にあった虚空蔵菩薩との対面の話の真相と思われる内容となります。
このあたりはやはり過ぎ去ってしまった年月も長いもので、実際にこれら内容を証明する証跡に欠けるので、推測の域を出ない話とはなってしまいます。しかしここで使われた「虚空蔵菩薩」やその他の暗喩は、日蓮の生涯の中、他の年代でも使われている様に見受けられるのです。こういった暗喩を偶に入れ込んでしまった事が、後世になり日蓮の実像を見えなくしてしまったという事もあるかもしれません。
【参考文献】
訂訛日蓮聖人伝 倉沢啓樹著
日蓮伝再考 山中講一郎著