立正安国論について続けます。
・5つ目の問いと答えについて
ここで客人は憤慨して言います。「何ぞ近年の災を以て聖代の時に課せ強ちに先師を毀り更に聖人を罵るや」と。つまり法然上人ほどの聖人はいないではないか、何故あなたは敢えてあら捜しの様に咎を見つけては、近年の災害に結びつけて法然上人を罵るのかと。
ここで主人は笑みを称えて答えます。「蓼の葉に習い臭きことを溷厠に忘る善言を聞いて悪言と思い謗者を指して聖人と謂い正師を疑つて悪侶に擬す、其の迷誠に深く其の罪浅からず」と、ここでは蓼の臭さで便所の臭い事を忘れる様に、客人は悪僧を聖人とまちがってしまっているのであって、実はそれこそ罪が深い事を指摘します。ここでは卑近な例で客人の怒りを静止し、その由来を説明していきます。
まず世の中に災いが襲う災には、その兆候として思想の乱れが出て着る事を摩訶止観を引用して示します。そして慈覚大師の入唐巡礼記を引いて、唐の武宗皇帝時代には念仏を重用した事により国は戦乱に巻き込まれたしまった状況を示し、その後、武宗帝は寺院を多く破壊した結果、国が滅んでしまった事を示します。
そして法然を重用した後鳥羽院が鎌倉幕府に大敗した事は、既に承知の事でしょうと言い、これら中国の先例について忘れてはいけないと客人に答えたのです。
・6つ目の問いと答えについて
ここで客人は少し落ち着きを取り戻し、「未だ淵底を究めざるに数ば其の趣を知る但し華洛より柳営に至るまで釈門に枢?在り仏家に棟梁在り、然るに未だ勘状を進らせず上奏に及ばず」と。つまりそこまでの事は知らなかったが、意味は理解した。しかしその悪僧であれば罪に問われていないがどうかと問い返します。また法然上人をそこまで悪気に言う事はないだろうと言うのです。
主人はここで「予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ」と、自身が仏教を学ぶ中で成長してきた事の立場を述べつつ、その立場で大恩ある仏教が衰微する事は哀しい事だと述べます。
まず法然が罪に問われていないと言う客人の問いに対し、元仁年間(1224年~1225年)に延暦寺や興福寺からの奏聞があり、勅宣や御行書が下され、法然の念仏宗が弾劾された事実を突きつけます。「其の後未だ御勘気を許されず豈未だ勘状を進らせずと云わんや」。この弾劾は未だに許されていないが、これで罪が無いと言えるのだろうかと指摘します。
・七つ目の問いと答えについて
ここで客人は落ち着きを取り戻し、ここまで主人の語った内容は理解できた事を述べますが、しかし「若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す」と、対治(対処)の方法はどの様にしたら良いかを主人に問います。
それに対して主人は謙遜しながらも「仏道に入つて数ば愚案を廻すに謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。」と、ここではその対治法とは、正しく仏道を行じる人々を重んじ、謗法の人々を戒める必要がある事を述べ、それによって国家は安寧になり天下泰平になると述べます。
ここで言う謗法の者について主人は涅槃経を引用し、それは一闡提人である事を示し、この一闡提人を戒めるには、その命を断ずる必要がある事、また一闡提人を殺害しても仏教の中では罪にならない事を述べます。また仏法を護るためには武力を用いる事も必要であると仁王経や涅槃経にある波斯匿王や有徳王と覚徳比丘の故事を示して述べ、法華経にはこの経典を信じない者は無間地獄へ行くとあるので、一闡提人は多くの人を無間地獄に落としてしまう存在なので罪にはならないと述べます。そして当時の日本の中は、法然の選択集によって仏教を壊し仏を破壊しているのだから、「早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断つべし。」と、この一闡提人である謗法の者を断じるしかないと述べるのです。
・8つ目の問いと答え
この主人の答えを聞いた客人は、「若し謗法の輩を断じ若し仏禁の違を絶せんには彼の経文の如く斬罪に行う可きか、若し然らば殺害相加つて罪業何んが為んや。」と、いくらなんでも謗法を断じるとは言え、僧侶を斬罪にする事は、そこで大きな罪業を積んでしまうのではないかと主人に問います。
それに対して主人は「客明に経文を見て猶斯の言を成す心の及ばざるか理の通ぜざるか、全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪むなり」と言い、経文の中の言葉で私は斬罪と言ったのであり、その本義は謗法を戒める事にあると述べます。また釈迦の時代以前であれば罪を犯した者を斬罪にする事もあったが、釈迦以降の世の中は、謗法の者への布施を止めるという事がこの斬罪に当たる事だと述べるのです。そして謗法の者への布施を止めて、正しい仏法を行う者に帰依をすれば、どの様な難や災いがくるというのか、これこそが災難への対治である事を示します。
・9つ目の問いと答え
ここで客人は漸く主人の語る内容を理解します。「仏教斯く区にして旨趣窮め難く不審多端にして理非明ならず」と、仏教は中々極めるにも奥が深く、不審な部分も多くありますが、確かに法然上人の選択集により国内の仏教は破壊されてしまい、それによって諸天善人が国を去った結果、様々な災いが競い起こっている事が理解できた事を述べるのです。そして天下国家の平穏は人々が望む処であり、私はこの仏教を正しく尊重していく事を決意します。
その客人の言葉を聞いた主人は「鳩化して鷹と為り雀変じて蛤と為る、悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る」と、客人が仏教に対する理解を深める事が出来た事を讃えます。そして客人に対して、人の心とは移ろい易いものなのだから、決意したのであれば今すぐに対治を行う事を勧めます。その理由として主人はここで、薬師経に説かれている七難のうち、まだ二難が起きていない事を述べ、それは自界叛逆難と他国浸逼難の二難だと指摘し、また大集経にある三災のうち兵革の災も起きていない事を指摘します。
そしてこのままでは国も滅んでしまうし、国が滅んでしまっては個人の安寧などは無い事を述べ、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」と、まず国の静謐を祈り考える事が大事である事を述べるのです。
そしてここで、これまでの総まとめとして、この国の現在の状況は謗法を重んじてしまっている事を指摘し、結果として世の中が災難に見舞われている事を述べ、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。」と、その信仰心を改めて、法華経を中心とした仏教に帰依する事を勧めます。そうなればこの世界は仏国土となり、仏国土となった国は安穏に繁栄していく事になると述べるのです。
・10の問い
ここで客人は改めて主人の今までの話を聞き、謗法を断つ事で今の災いを対治出来るのであれば、私だけではなく、他の人にも誡めていく事を決意して対話が終了します。
以上が立正安国論の概要をまとめとなります。
この立正安国論は長文であり、そこで展開されている内容も、大集経、仁王経、金明光経、法華経、涅槃経、薬師経にとどまらず様々な論や釈も引用して書き記されています。
しかし改めて内容を見ていくと、けして日蓮は自身の教説を信じる事を述べている訳でもなく、ましてや災難の根源となっている謗法の者を「斬罪にしろ」という経文を引用してはいても、けして「殺害せよ」とは述べていないのです。
ここでいう謗法を断ずるとは、謗法の者への布施を止めろという事なのです。考えてみれば立正安国論を上呈した当時、鎌倉幕府は文化政策の一環として京から多くの僧侶を招聘し、多くの寺院を建立してきました。また建長四年からは鎌倉の大仏の建立も始めています。日蓮が述べたのはこういった幕府から鎌倉仏教界への多額の援助を止めよという事を、案に指摘したのではないでしょうか。
あとここで述べているのは、正しい仏教に帰依する事であり、それは法然の選択集により「阿弥陀経以外は仏教ではない」「仏は阿弥陀如来しかない」という、当時の世の中の間違えた仏教観に対するアンチテーゼであり、大乗仏教にある教えを尊重するべきだと言う事を護国三部経を中心とした論理展開で示し、幕府の宗教政策についても見直しを求めたのではないでしょうか。
この立正安国論は、最明寺入道へ上呈されたのち、日蓮の身の上にどの様な出来事が起きて来たかは、少し日蓮の生涯を学んだ人であれば存知の事とは思いますが、この事については続けて書いていきたいと思います。