
立正安国論については一旦休憩して、ここで少し三世の生命観というか、その周辺の事について少し私が考えている事を書かせてもらいます。
◆中学生から高校生の頃
そもそも私が創価学会に興味を抱いたのは、中学生の頃からでした。自宅には昭和40年代から50年代にかけての「大白蓮華」という機関誌があったのですが、そこには大乗仏教の事や、その中で説かれている生命という事について書かれていたので、とても興味を持って読み込んだ事を今でも覚えています。
私が高校生から専門学校生の頃ですが、三つの出来事がありました。
一つ目は中学校の同級生が「殺人事件」で亡くなった事です。これは当時、ニュースにもなった事ですが、詳細を書くと身バレしてしまうので割愛します。同級生とは言っても特に親しいという間柄では無かったのですが、葬儀には中学校の同級生と参列しました。
二つ目、これは中学校時代に親しかった友人ですが、高校卒業時に亡くなった事を知人から聞きました。この時には中学生時代の友人数名とその友人宅へ行き焼香しました。この亡くなった友人とは、中学三年生の時には「天体観測」と言う名目で、夜九時過ぎに近所の広い芝生の広場に他の友人数名と落ち合って、望遠鏡なんて仰々しく持ち込んではいましたが実は天体観測する事もなく、夜中遅くまで星空の下で、自分達の未来の事を語り合ってもいました。だから亡くなった事を聞いた時には、とても大きなショックを受けました。
三つ目、これは近所のお姉さんが亡くなった事でしょうか。交通事故で無くなったのですが、その亡くなる数日前まで普通に会って少し話をしていたのですが、交通事故で亡くなった事を聞き、「この間、普通に話をしていたのに」と、こちらも大きなショックを受けたのです。
「人は何処から来て、何処へいくのか」
これは人類にとって大きな命題だと思いますが、高校生から専門学校時代の間にあった、この三つの出来事は、否がおうにも私の中で、この事を自分にとっても大きな命題として落としていったのです。
その後、私が二十歳前後から創価学会という宗教団体の中で活動をするきっかけとして、この三つの出来事というのは関係していたと思います。しかしその事もあって、活動とかそれによる功徳という事には私自身はあまり執着がなく、それもあって結果として今から考えたら、組織活動から離れる際にはそれほど苦悩する事は無かったのかもしれません。要はいくら創価学会の活動に徹した処で、その事(人の生と死)について回答を得られないのであれば、そこに意味は無いと思いきれた部分もあったのかと思うのです。
◆臨終用心抄について
学生時代の時、当時は東洋哲学研究所編纂の「教学研究」という冊子が組織内で販売されていたのか、我が家にも幾冊がありました。恐らくこれは母親が読みもしないのに購入したものと思われますが、私は何気にその内容を開いてみました。そこには日寛師の「臨終用心抄」について触れた記事が書かれていたので興味深く読んでいました。

学生だった当時はこの教学研究にあった臨終用心抄の内容を読んで感銘を受けたものですが、これについて改めて最近になり読み直してみると、あまり大した事は書かれていない事が解りました。
何故大した事を書いていないかと言えば、冒頭にこそ妙法尼御前御返事の文を引用していますが、それ以降は日蓮宗の日重が著した「見聞愚案記」を引用していましたが、そこでは死の判定とか、その時の心がけなどは記載しています。しかしそれ以外は、例えば正法念経という経典を引用していますが、これは地獄の描写が詳しく記述された経典と言われていて、出自が良く解らない経典です。また「沙石集」という、こちらは無住道暁という鎌倉時代末期の僧のまとめた説話集ですが、それを引用していたりするのです。その他にも禅宗の僧侶の説話なども書かれていますが、要はこの臨終用心抄の中には、日蓮の考えていたと思われる事はほぼ記載されていないのです。また全体を通して死にゆく人に対する心構えについてまとめていますが、いわゆる死有から中有に関する事には言及されていません。
要は現代的に言えば、ターミナルケアの導入編といった処だと思います。
日蓮の御書には以前に「十王讃嘆抄」というのがあったそうです。この内容は人は死後に閻魔王等の十王の裁きを受けると書かれており、念仏信仰に対する批判的な視点も書かれていると言われていますが、現在の御書全集には収録されていません。恐らくこれは後世になり追加されたものでは無いかと言われている事からなのでしょう。
日蓮の御書などを通してみても、仏教で言う四有のうち、本有(現在生きている段階)について、様々な事を述べてはいますが、死有(死を迎えた段階)や中有(死後の段階)、そして生有(中有から生まれるまでの段階)について、詳細に書かれたものは存在していないのです。恐らくこれは、日蓮が仏教に対して思考した事が、現在生きている事にフォーカスしている事からかもしれません。日寛師の「臨終用心抄」では他宗派の僧の言葉を引用しているのも、こういった事からなのでしょう。ちなみに最近ではこの「臨終用心抄」も、実は日寛師の著述ではないのではという話も出てきていますが、その件についてはここでは触れません。
◆臨死体験学(NDE)
少し思いつくままに書いていきます。
近年では医療現場で医療技術が進化してきた事もあり、今まで亡くなっていた人の中には、いわゆる「死の淵」から生還して来る人が増えています。その為もあってでしょうか、その生還した人たちの中から、いわゆる「死後の世界」について語る人も増えてきています。その事から欧米を中心にして、この死後の世界の経験についての研究も進んでき始めており、そこでは「臨死体験学(Near Death Experience)」という学問も出来ており、そこでは様々な症例を元に研究が進んできています。

例えばその学者で代表的な人物として、レイモンド・ムーディ氏がいますが、彼はアメリカの医師であり心理学者です。著書「かいまみた死後の世界」「死者との再会」などを通じて臨死体験の研究で知られています。
レイモンドムーディ氏はバージニア大学で学び、1966年に大学を卒業後、1967年に修士号を取得し、1969年には博士号も取得しています。
当初は死後の世界が存在する証拠はないという立場を取っていましたが、その後、精神を病み自殺を図った際、自身が臨死体験をした事がきっかけとなり、死後の世界を信じる立場になったと言われています。
1975年にはキューブラー・ロス女史と共に臨死体験に関する著書を相ついて発表するなどをきっかけとして、その後、臨死体験の科学的・体系的な研究が活発になりました。

エリザベス・キューブラー=ロス女史は、レイモンド氏と同じくアメリカの精神科医ですが、死と死ぬことについて関する著書「死ぬ瞬間」で知られています。
女史はスイスのチューリッヒで生まれ、31歳の時にチューリッヒ大学医学部を卒業し、1958年にアメリカに渡りました。
彼女が医療に携わり始めた時、病院が死に瀕する患者を扱う態度に憮然とさせらた事があり、そこから病気の患者をどう扱うべきなのかの講義を始め、その先で1961年には死ぬ事についての講義へつながったと言います。
1963年にはコロラド大学で精神科医の資格を取得し、1965年にはシカゴ大学医学部に移り、そこで臨床的な研究を発展させました。彼女は死をテーマにして研究を進め、著作活動にも取り組みましたが、はじめのうちは多くの誤解を受け、誹謗中傷をされたと言います。要は医者は患者を生かす事が目的であって、死に向き合うとはどういう事なのかと批判をされた様です。
晩年はエイズ患者に深く関わり、そのためのセンター開設を計画しましたが、これは地元住民との対立を生みとん挫しました。2004年にアリゾナ州のスコットデールにある自宅で亡くなりました。

カール・ベッカー氏はアメリカの宗教学者で、専攻はターミナル・ケア、医療倫理、死生学をしています。
現在は京都大学学際融合研究推進センター 政策のための科学ユニットの教授をしています。
著書の中には、ターミナルケアから主に日本文化の中の死生観についての著作も多く、「日本人の他界観」「いのちと日本人」「いさぎよく死ぬために」等、多く執筆活動を行っております。
ベッカー氏の著作の中には、平安期の僧侶の臨死体験について紹介されてもいますが、日本には多くの研究対象となる事例が多くあるのに、その事例について日本国内では研究があまり進んでいないという指摘もありました。
本来は東洋思想で特に仏教を基本とした死生観の研究が日本国内で進んでも良さそうな事だと、私なんかは思うのですが、実際には一神教が精神的な土壌とも言われている欧米を中心にして、こういった臨死体験学や死生観についての研究が進んでいるのは、実に興味深い事だと思います。
◆三世の生命観について
創価学会は自称「在家仏教信徒の団体」と呼び、そこでは三世の生命観を語り、過去世の宿業とか、宿命転換という事を語り、未来永劫の成仏という言葉も良く使っています。また池田大作氏などは「仏法と生命を語る」や「法華経の智慧」という著書を出版していますが、私が読んできた処、多くはこういった欧米で進み始めた臨死体験学を少し触れ、場合によっては引用したり、時には古代インドの婆羅門教で言う輪廻転生観を引用してはいますが、実際の処、そういった事についての深堀は為されていません。
今回はここまでとしますが、今後、こういった事柄についても順次、ここで書き連ねていきたいと思いますので、よろしくお願いします。