
もう一つ、臨死体験の内容について紹介をしたいと思います。
それは昨年、2024年12月に亡くなってしまいましたが、木内鶴彦氏の体験です。
木内氏は1954年に長野県南佐久郡小海町出身で生まれ、彗星探索家として、また特異な臨死体験の経験者として、とある界隈では有名な方でした。
小学校5年生の時に、池谷・関すい星を見て以来、彗星に興味を持ち、学生時代には天文同好会に所属、卒業後も長野県臼田町(現佐久市)で天文観測を続けていました。
航空自衛隊のディスパッチャー(運行管理者)として勤務していた22歳の時、ストレスと過労の為に、当時としてはは珍しい上腸間膜動脈性十二指腸閉塞にかかり、一度死亡宣告を受けた後、30分後に蘇生、死亡後に蘇生した事が医師のカルテに記録された例としては、国内で唯一でした。この経過は学会にも紹介される他、ジャーナリストの立花隆氏も紹介するなどで一躍名が知られる人になりました。
その後、彗星探索を再開し、大型双眼鏡を使い、当時行方不明となったスウィフト・タットル彗星を再発見する他、他の彗星も3つ発見し全世界から注目を浴びました。
2009年7月に、皆既日食を観測するために中国を訪れた際、胃から大量出血し吐血と下血の為に倒れましたが、中国政府の援助もあり1か月の後に退院、その時に再び臨死体験をしたと言い、2010年には活動を再開しました。
木内氏の活動は、全国で講演会や展望会を行い、天文や環境問題を説いて回り、特に光害(夜間の光による植物への影響)と、そこから発生する自然環境破壊を強く訴えたものでした。
2024年12月1日に亡くなりましたが、それまで臨死体験しても復活をしてきたので、この時も復活してくるのでは無いかと周囲では言われていましたが、残念ながら本当に亡くなってしまったのです。享年70歳でした。
◆木内氏の臨死体験
木内氏が航空自衛隊のディスパッチャーをしていた頃、ちょうどペレンコ中尉亡命事件というのがありました、これは1976年9月6日に発生した事件で、当時ソ連のMIG25戦闘機が日本の函館空港に強硬着陸しアメリカへの亡命を求めた事件でした。
当時、このMIG25が茨城県にある百里基地に搬入さえる事になり、その事から木内氏は激務の中、ストレスに晒されながら昼夜問わず仕事に忙殺される様になりました。その結果、当時は「ポックリ病」と呼ばれる病気になり(これが上腸間膜動脈性十二指腸閉塞)、結果とした多臓器不全状態に陥ったそうです。
この時、搬送された医師からは「余命は1週間」と言われました。この当時、急激に体重が落ちる中、ベッドで寝ていると病院外で子供達の声が聞こえるのですが、そんな日常を感じる中で、「あと自分は一週間で死ぬのか」と思うと、とても複雑な心境であったと言います。
そして1週間後に意識を失いますが、それは突然意識がストンと落ちる感覚だったと言います。
気が付くと、真っ暗闇の中を這いずり回る様な感じとなり、時間が経つとそこは洞窟の中の様な場所である事が判りました。そしてそこから抜け出すと薄暗い場所で下が芝生の場所を歩いたそうです。すると「三途の川」と思しき大きな川が見えました。しかしこの川には渡し船も見当たりません。川の対岸を見ると、何か焚火をしている様な明かりが見えたので、どうしてもそこに行ってみたいと思いました。洞窟から芝生を歩き、三途の川まで歩く中、一人も人とは会っていないので、どうにか河を渡りたい。そこで周囲を見ると、今度は朽ち果てた木造船がありました。この木造船にはオールが無かったのですが、木内氏は舟のへさきに乗りこんで、手で水をかいて河を渡りました。
この時、河は流れているのに船はまっすぐ進むのは不思議だなぁ。と思ったそうです。
河を渡り切り、疲れて少し横になってから周囲を確認すると、対岸から見えた灯りが15メートル程先に見えたそうです。それは焚火の様な青白い光で、その周辺には5人の人影を確認する事が出来ました。
するとその中から一人が木内氏の近くに近づいてきました。見るとそれは喪服を着た美しい中年女性でした。
「鶴彦、お前は何しに来たんだ」
木内氏はいきなり名前を呼ばれて驚きましたが、その女性には全く見おぼえありません。そして焚火の傍まで行くと、そこには一人のお爺さんと二人のお婆さん、あとはこの中年女性の他、若い青年が一人居ましたが、この若い青年は木内氏が中学生の頃に亡くなった従兄弟でした。木内氏はこの従兄弟とそこで色んな話をしました。
少し時間が経つと、先ほどの中年女性が。
「私に付いておいで」
と言うので、女性に付いていき丘の上に登る様な道を歩いていきました。登っていくとそこは物凄い巨大な洞窟の中の平野の様な場所である事が判ったのです。そして更に上へ登っていくと、その上(天井ではない)には太陽とは違いますが、金色に輝く光が見え、それが洞窟全体を照らし出しているのが解りました。
そして丘の頂上に着くと、そこは一面、花畑になっていて様々な花が咲いていました。この時に木内氏は、死んだ人が見るお花畑とはこれの事なのかと思いました。
そして女性について今度は丘を下り始めました。すると先ほどの金色に輝く光から、光が飛び出してきて、木内氏はその光に包み込まれたのです。この光が木内氏のところへ来た時、その光の中に人の顔の様なものが見えた様に思いますが、それが誰の顔かは判りませんでした。
そしてふと周囲を見ると、先ほどまで一緒に歩いていた女性は既に居なくなっており、「あれ?女の人は何処へ行った?」と見まわしているうち、気が付いたら木内氏はまた病院のベッドの上に横たわっていました。
(続く)
【参考文献】
ENN・「いま知って欲しいこと」 木内鶴彦さん EVAHPRO ENN(YouTubeチャンネル)