自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

伊豆流罪

 

松葉が谷の小庵を襲撃されましたが、そこを何とか逃れた日蓮は、鎌倉を一旦離れ、下総の富木常忍を頼りそこに滞在したという話があります。

富木常忍下総国の守護である千葉氏の被官であり豪族でした。日蓮門下となったのは建長五年(1253年)とされていますので、日蓮清澄寺を追放され、鎌倉に小庵を持つまでの間に入門したと言われています。日蓮富木常忍がつながりを持つ際、これは明確な資料はありませんが、恐らく日昭師の働きがあったのではないでしょうか。

以前の記事にも少し書かせて頂きましたが、日昭師も下総国印東氏の出自です。恐らく日昭師と富木常忍は既知の間柄であり、建長五年に日昭師の仲立ちにより日蓮と会った時に、富木常忍は帰依したのではないでしょうか。

鎌倉の拠点であった小庵を夜襲で破壊された日蓮は、一旦、下総国富木常忍の下に身を寄せて、そこで体制を立て直す時間を持つことにしました。日蓮は自身の立正安国論によって公場による念仏宗との対論を考えていた様ですが、そういった回答ではなく、暴徒による夜襲によるを受けた事で、恐らくこの件に対する幕府の姿勢というものを理解したと思います。そこで下総の地で法華経講義などを行い、弘教の活動を更に進めたようです。

またこれも記録にはありませんが、鎌倉で破壊された小庵についても再建の手を打っていた様で、翌弘長元年(1261年)に日蓮は鎌倉へと戻りました。

恐らく鎌倉に戻った日蓮は、この地に於いても弘教活動を活発に行っていたものと思いますので、それが幕府の目にとまるのは時間の問題でしたし、恐らく日蓮もそれは覚悟していた事でしょう。

幕府としては松葉が谷の小庵の破壊は日蓮に対する警告だったと思います。その為にこの襲撃の犯人も特定されていなければ、日蓮を殺害に追い詰めるまではしていませんでした。しかしその日蓮が再度、鎌倉に戻って活動を始めたというのであれば、やはり幕府として看過する事が出来なかったのでしょう。弘長元年五月十二日に日蓮は捕縛され、伊豆への流罪となりました。

しかし幕府は何故、これまで日蓮を警戒していたのでしょうか。

山中講一郎氏が日蓮伝再考の中では、日蓮念仏宗破折により、幕府内でも大きく揺れ動き、追い詰められたという分析をしています。しかし私はそうは思わないのです。

日蓮は当時、まだ無名の僧侶と言っても良いでしょう。確かに幕府の被官である四条金吾など幾人かも門下となり、それなりに目立っては来ていましたが、それでも日蓮立正安国論念仏宗を破折したからと言って、それにより幕府内の宗教政策が揺らいだとは私は考えられないのです。

恐らく法然念仏宗への破折よりも、自壊叛逆難(内乱)や他国侵逼難(外国からの侵略)に対する事で、幕府の尻尾を踏んでしまったのではないでしょうか。

この日蓮の二難の予見(ちまたでは予言と言われていますが)について、「三世を通暁する御本仏の御仏智」とか言われ、いかにも日蓮が持っていた摩訶不思議な能力によるものと考えられていますが、私はこれは違うと考えています。

日蓮がいた当時の鎌倉は、承久の乱から三十年以上も経過し、まさに日本の政治の中心地となっていました。そこには大陸から来た渡来人や、その関係者もいた事でしょう。また日蓮自身も最明寺入道時頼の身内人である宿屋左衛門入道最信とつながりを持てるほどの人物でした。一般的には阿闍梨号を得た僧侶とは言え、そのような人物とのつながりを持つことも困難だと思います。つまり日蓮はそれなりに「センス」を持った人物だという事です。

その日蓮立正安国論を認める際、一切経の中から経典を引用しつつ、実は社会の動向にも思いを巡らせていた事は容易に想像できるのです。渡来人からは中国大陸の状況で、モンゴル帝国(元)が朝鮮に侵攻し始めている事や、幕府内部に於いても時頼の嫡子の中で、北条時宗北条時輔という2子を中心として発生し始めている不協和音。そういった事も立正安国論に盛り込んで諌暁を行った結果、日蓮に対して幕府は危機感を感じていたのではないでしょうか。

今の時代でも、こういった類の情報を追求する人物に対しては、様々な妨害工作や一部では実力行使をして黙らせるという事はありますからね。

日蓮の伊豆流罪は、こういった背景があって起こった事ではないかと私は推察しています。要は単純に宗教思想のみに対する批難で起こった事件ではないという事です。

思い返してみれば、清澄寺の追放にしても、松葉が谷や伊豆流罪という法難にしても、日蓮正宗創価学会では「法難」と呼び、それは純粋に日蓮法華経弘通によって引き起こされたと教えていますが、実際には日蓮法華経弘通により、既得権益者に対して損害は発生する事から起きた弾圧であったと私は思えるのです。

まあニュアンスの問題なんですけどね。

【参考文献】
訂訛日蓮聖人伝 倉沢啓樹著
日蓮伝再考 山中講一郎著