自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

今日は参議院選挙の公示日です

さて、本日は参議院選挙の公示日です。今日から7/20(日)までの間、選挙戦が行われます。今回の改選議席は124議席で、選挙区選出が74名、比例代表選出が50名の議席を巡り、舌戦が繰り広げられる事になります。

私は昨年の衆議院選挙で、投票率が上がるかどうかを見ていましたが、ふたを開けてみたら2021年の総選挙では55.93%であったのに対して、2024年の総選挙では53.95%と、投票率の下落に歯止めがかかる事はありませんでした。

これは政治への「しらけ」が大きな要因と当時の私は思いました。

思うに今の日本は、貧困格差が広がっているといっても、多くの人はそんな中でもなんとか生活が出来ています。一部の発展途上国の様に紙幣の額ではなく、重さで買い物をするほどのハイパーインフレは起きていません。また移民問題があると言っても、今のところ顕著なのは、例えば埼玉県川口市周辺とか、全国範囲で見れば、やはり一部の限られたエリアの中でのみ見られる問題。だから多くの国民にとって、とりあえず現状で大きな変化(不都合)が無い限り、選挙は意識しなくても現在の生活は維持できると感じている事も、投票率の上がらない原因の一つなのかもしれません。

あと肝心の政治家にしても、選挙の時くらいしか表に出てきていませんから、やはり国民の生活からは実感として縁遠いという事も関係しているのかとも思います。

毎度の事で書きますが、創価学会では選挙の票集めが自身の信仰活動と直結し、票を集めるために御題目を唱え、人に公明党自民党への投票をお願いする行為は勇気の対話と定義をし、その勇気の対話は、彼らの信仰の中では折伏という他人を利する行為に準ずると信じているので、政策以前に現世利益の為に、必死に選挙に取り組みます。

そしてそれが鎌倉時代日蓮が幕府に対して行った国家諌暁と同等と信じ、それによって日本社会はもとより世界平和に通じると妄信している訳です。だから創価学会の活動家に関して言えば、選挙活動に「白ける」という事は存在しないのです。

何しろ彼らにとって、選挙とは現世御利益を得られる絶好の機会なんですからね。

しかしそんな「特殊な思想」を持たない一般有権者からすれば、現状、それほど投票の必要性も感じないし、政治家を一人、政党を一つ、選挙で指名しろと言われた処で、別に期待する政治家も居なければ、政党なんてのもうさん臭く感じているので、投票棄権という事もあるのでしょう。

でもですね、そんな呑気に考えていても世界は動いていますし、日本の社会は変動し続けています。

だから一つの観点として、現在の政権の行っている与党の政治に対して「YES」「NO」は突きつけるという意義が、選挙には常にある事は忘れてはいけないと思うのです。

確かに日本の政治家は碌な人物が存在していません。

自民党は政治が家業化しているため、二世や三世、四世という息子や孫が政治家という立場を「老舗の仕事」の様に継承しています。これはいわゆる「世襲議員」ですね。彼ら世襲議員の背後には、様々な既得権益者が存在し、国の税金を「ちゅーちゅー」し、既得権益を得続けるために、この世襲議員を後押しています。しかもここ近年では自民党が立憲民主よりもリベラルな政党色に変貌を遂げてしまいました。

公明党については議員の大半が創価学会の元幹部や、創価学会の中の「エリート」と言われる人物です。彼らはそもそも政治家を目指す志を以って生きてきた訳ではなく、創価学会の職業宗教家の幹部達が、会員の中から従順で彼らの視点から「優秀」な人を選抜し「君は次、どこそこで立候補してね」と指示され立候補。そしてその「どこそこ」にある創価学会組織は、本部から支持された候補者を全面的に応援して当選させます。基本、公明党とは創価学会の政治部門なので、彼らの議員の行動の本筋は、創価学会の求める本筋に沿って忠実に行動します。

立憲民主はそもそも旧社民党などのリベラル人たちが、選挙で寄合って議席を確保する為に野合している様な政治家集団です。まあ一部、昔は保守を詠っていた議員もいるようですけど、彼らは議員になる事が目的であって、日本の国の行く先なんて考えてもいません。

その他、共産党社民党については、語る事も無いので割愛します。

この様に見ると、政党も政治も「国民の政治的な代弁者」として付託できる先は極めて少ないと思いますが、もしそうであっても現在の政権与党の政治に対して「YES」「NO」は突きつける権利を国民として持っている事は理解すべきなのです。

国の政治家を鍛えるのも、怠けさせるのも、そこは国民が持っている権利です。これが議会制民主主義という体制なのです。

ここまで政治家や政党が「機能不全状態」に陥ってしまった状態でも、そこは国民の意思として示す必要がありますし、そういった行動を続けることから、国の政治というのに変化を起こしていく事も可能なのです。

まあ、それは「可能」というレベルの話であって、即に「変化」を起こせる事でも無いんですけどね。でも国民として、それは忘れてはいけない事だと思います。

実はいま、日本国が置かれている状況はかなり切迫している状況です。ここまで国民が野放図に政治家を放置した事で、もう既に手遅れの段階に入ってきているかもしれません。しかしそういう意識だけでも喚起したいと、私個人は考えています。

 

皆さん、選挙には行きましょう!!