自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

発迹顕本の意義についての考察

さて、ラセルタファイルで長い間、空いてしまいましたが、日蓮に対する思索を少し進めてみたいと思います。

◆発迹顕本について

日蓮正宗や過去の創価学会ではこの「龍ノ口の法難」で日蓮は発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)されたと言われています。その具体的な内容は「外用の上行菩薩の再誕、という迹の姿をはらい、本地の久遠元初自受用報身如来の姿を顕された」という意味ですね。もっと簡単に言えば、末法の御本仏として姿を顕した、とでも言う事なのでしょうか。

ただし創価学会に於いては2014年11月の教義改正によって、日蓮末法本仏論からの転換をはかりましたので、2023年11月版の「教学要綱」では、明確に発迹顕本という言葉は利用しなくなりました。「教学要綱」ではこの部分について「日蓮は「釈尊から滅後悪世の弘通を託された地涌の菩薩、なかんずくその筆頭である上行菩薩としての役割を果たす立場」に立たれた」という様な内容に変更しています。要は日蓮正宗の教学の立場では「本当の姿を顕された」という事に対して、「教学要綱」に於いては「上行菩薩としての役割を果たす立場」と日蓮内面の自覚という話となり、創価学会として従来の発迹顕本という考え方は捨て去ったと言っても良いでしょう。

私はこのブログに於いて、従来の「久遠元初の自受用報身如来=久遠元初の御本仏」というものは、中古天台恵心派の窃用とも書いていますので、その観点からすれば、創価学会の「教学要綱」の意見に近い考え方となっています。

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だから龍ノ口の法難で、日蓮の発迹顕本というのは無かったと考えているのです。

日蓮の自覚の変化

しかしこの「龍ノ口の法難」が、日蓮の内面に何も変化を起こさなかったとは思っていません。創価学会の「教学要綱」で言う「上行菩薩としての役割を果たす立場」を日蓮はこの法難で自覚したと言いますが、これはどういった事なのか、もう少し掘り下げてみたいと思います。

日蓮は開目抄の中で、この龍ノ口の件について以下の様に書いています。

日蓮といいし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐渡の国にいたりて」

ここでは日蓮と言う者は龍ノ口の首の座で斬首され、その魂がこの佐渡の国に来ていると言っています。日蓮正宗ではこの「魂魄」という事にひっかけて「久遠元初の自受用報身如来の姿」を顕したと解釈しています。

しかし考えてみれば、この龍ノ口の刑場に連れていかれる時点で、日蓮が龍ノ口で斬首されるのは確定であり原則ひっくり返る事はありません。日蓮もそのつもりで八幡への諌暁(鶴岡八幡宮前で八幡大菩薩を叱咤した事)を行いました。しかし間一髪の処で斬首を逃れる事が出来たのですが、実はこれで日蓮がこの先、斬首されない事が確約されていたかと言えば、そんな状況では全く無かったのです。

これまでの伝説では「江ノ島方面から光が現れたという逸話により処刑は中止」と言われていましたが、この「光物」についても、当時の幕府内での動きの「暗喩」という事であれば、それは何も「宇宙の動きを掌の中に収める御本仏」の力用で起きた出来事ではなく、辛くも斬首を逃れたに過ぎないという事にもなりますからね。

一旦は幕府も斬首を取りやめ、公式な命令として「佐渡流罪」を決定しましたが、佐渡の地に於いても命の保証をされたわけでは無く、いつ何時幕府から斬首の命令が出てもおかしく無い状況であり、場合によっては佐渡への道中や、佐渡に渡った後に謀殺される可能性もあったと思われるのです。

そういった事から考えた場合、この日蓮の開目抄の一説は「辛くも龍ノ口では命を得る事が出来たが、この先、何時殺害されてもおかしくない」という状況の中での「日蓮の自覚」を物語った言葉の様に思えてならないのです。そういう意味から、私も創価学会の「教学要綱」で言う「上行菩薩としての役割を果たす立場」を日蓮はより深く自覚し、あとは法華経に身を預け、この先の生死の事は考えず、自分自身でその自覚に立って出来る事をして行こうという、深い決意に立ったと言う事だと考えています。

そしてこれは恐らく「南無妙法蓮華経」(妙法蓮華経に帰依する、命をそこに預ける)という生き方そのものであり、この先、生きるも死ぬも法華経次第。自身が立教開宗から唱えてきた「法華経への帰依」そのものを自身の生き方で示していく。そういう自覚へと変化したのではないでしょうか。

その自覚から依知に於いて「楊枝本尊」という、日蓮の生涯で初めて文字曼荼羅を顕し、佐渡の地で開目抄や如来滅後五五百歳始観心本尊抄を著し、文字曼荼羅の相貌についてもより思索を深めて行ったのでしょう。

そこには今までが迹(仮の姿)で、これからが本地(本当の姿)という考えは無かったと思うのです。