自燈明・法燈明のつづり

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大航海時代とカトリック教会の布教願望

さっそくですが、日本の歴史についてちょっと振り返りをしてみます。

とは言っても日本は初代天皇である神武天皇から考える紀元で言えば、本年(2025年)は皇紀2685年となり、これは世界の国の中でもかなり歴史のある国なのです。それを古事記とか日本書紀から語るには結構骨が折れる事にもなりますので、主に近代史を中軸として少し振り返って見たいと考えています。

この近代史を考える上で、私は最初に着目するのは欧州で始まった大航海時代と、日本へのキリスト教伝来の時代ではないかと考えます。何故なら、それ以前の室町時代鎌倉時代以前に於ける日本の国際感覚というのは三国(インド・中国・日本)という観点でしたが、ヨーロッパで始まった大航海時代により日本へキリスト教が伝来した事は、より日本の国際的な視点を広げたのではないかと思うからです。

大航海時代

この大航海時代を開いたのはスペインとポルトガルでした。

要因となったのは、ヨーロッパでは13世紀(1200年代)にあったモンゴルの侵入と、その後、マルコ・ポーロによるアジアに対する知識が拡大した事、また羅針盤や快速帆船が建造され、緯度航法といった遠洋航海術が発達した事が要因としてありました。また欧州では肉食の普及に伴い香辛料の需要が拡大した事も挙げられています。

初めに海外進出を果たしたのはポルトガルでした。当時(1400年代中期)のスペインはまだ外洋に出れる港が無く、先にポルトガルがアフリカの喜望峰を回り、アジア方面への海洋進出を始めたのです。

しかし1492年、スペイン王国は南部のグラナダを占領していたイスラム教国を敗北させ、外洋に出る事が可能となりました。そして同年10月にスペイン国王の命令で、コロンブス(イタリア人)が大西洋横断に成功して、大航海時代が展開されていく事になります。

この当時、インド航路は既にポルトガルに先行されてしまいましたが、コロンブスは「地球は丸いので、西に行けばインドにたどり着くはずだ」と大西洋を横断しました。そして西進の先で発見した島を「インド」だと勘違いした事から、現在でもプエルトリコ周辺の島々は「西インド諸島」と呼ばれ、北米大陸に住んでいた原住民が「インディオ(インド人)」と呼ばれる様になりました。

またこの当時、ローマのカトリック教会は十一世紀頃に始まった十字軍遠征の失敗、またルネサンス運動によって教皇の権威が失墜していましたので、その教勢を海外に拡大すべく大航海時代には多くの宣教師を海外に派遣しました。またポルトガルやスペインは、このカトリックの教勢拡大を植民地化に利用し、領土の拡大を図っていたのです。要は宗教(カトリック)により原住民を支配し、そこを植民地化するという行動がとられました。

いま中南米の各国では、母国語として主にスペイン語が使われ、(ブラジルはポルトガル語ですが)原住民だったインディオ達の名前もスペイン風の呼称となっていますが、これはこの大航海時代の名残なのです。

またスペインとポルトガルは海洋進出する際、様々なところで細かい軋轢があったようで、代表的な事としては15世紀(1400年代)頃に北西アフリカと大西洋諸島で両国間で軋轢が発生した事から、ローマ教皇立ち合いの元に地球を東西に二分割し、西にある非キリスト教領域はスペインに、東の領域をポルトガルの領地にするという分割の取り決めを行いました。これをデマルカシオンと呼びます。

これはとても勝手で横暴な振る舞いですね。

◆日本へのキリスト教伝来

こういった世界情勢の中で、日本にキリスト教が伝来したのは、1549年にイエスズ会のフランシスコ・サビエルによる布教から始まったと言われています。

この当時の日本は戦国時代でしたが、宣教師たちは日本人と衝突しながらも布教を続けました。そして時の権力者であった織田信長の庇護を受けながら順調に教勢を拡大していきました。

織田信長が何故、キリスト教の布教を許可したのか、そこには様々な説もあるようですが、恐らく南蛮貿易というのが主目的であったと思います。海外交易というのは、とても利益を生むものであり、織田信長は戦国時代に於いて多くの戦国大名を倒す中で、日本の統一を目指していましたが、最近の歴史研究によれば、織田信長はうち続く戦の中で資金を回し、利益を上げる事を初めて思いついた武将だと言われています。そしてその資金を回すうえでも海外交易とはとても重要だと考えていたと思われます。

この織田信長の庇護を受けて、キリスト教カトリック)は日本国内で教勢の拡大を続けて行きましたが、豊臣秀吉の統治する安土桃山時代になると、日本古来からある神道や仏教とぶつかる中で、キリスト教がこれら日本固有の宗教を迫害する事例も発生しました。またポルトガル商人により日本人が奴隷貿易の商品として海外へ売買されるという事も発生していました。これは大航海時代でスペインやポルトガルが世界各地で起こしていた事を、この日本でも起こしていたという事でしょう。

これを聞いた豊臣秀吉は「バテレン追放令」を発布して、日本国内におけるキリスト教の布教を禁じたのです。

しかしこの時には、戦国大名の中でもキリスト教を信じる大名も居ました。代表的な人物を上げると高山右近小西行長や大友義鎮などがあげられます。また南蛮貿易も活発に行われていたので、本格的な追放までは行われませんでした。

徳川幕府の禁教令

日本ではその後、関ヶ原の合戦を経て徳川家康が政権を握る時代になると、このキリスト教周辺の動きにも変化が訪れました。

このあたりはドラマとして良く描かれたもので、2024年にアメリカで公開された「SHOGUN 将軍」という映画があります。

この大航海時代の中で、イギリス人の船乗りであるウィリアム・アダムスが乗るリーフデ号が難破し豊後国(現在の大分県)に漂着しました。これは1600年4月29日と言われています。その後、ウィリアム・アダムスは当時五大老であった徳川家康の元に護送され引見されました。

当初、徳川家康はイエスズ会からリーフデ号は海賊船だと聞いていましたが、路程や航海の目的、オランダやイギリスなどプロテスタント教国とポルトガルやスペインらの国の紛争の様子をウィリアム・アダムスから説明を受けて、その誤解が解かれウィリアム・アダムスは徳川家康の旗本として取り立てられました。この際、ウイリアム・アダムスには三浦按針と言う名前が与えられ、同じく同行していたオランダ人船員のヤン・ヨーステンには耶揚子(やようす)という名前が与えられました。ちなみに東京駅の八重洲という名前は、このヤン・ヨーステンの居住所があった事からだと言われています。

その後、徳川家康江戸幕府を開くとキリスト教に対して禁教令を発布し、国内からカトリック教徒の一層を図りました。恐らくこれはウィリアム・アダムスからスペインやポルトガルが、植民地化の手段としてキリスト教を利用している事を聞いたからだと言われており、プロテスタントであり国内ではキリスト教は一切布教しないと言ったオランダとは長崎の出島で交易は続けていく事になったのです。

徳川幕府鎖国政策

よく学校で学ぶ歴史では、江戸時代は鎖国されていたと言われていますが、こういった歴史的な事を理解すると、この内容は少し異なる事が解ります。

戦国時代から安土桃山時代までは、大名が個々に南蛮貿易を行い、そこでは莫大な富を蓄積していました。しかし徳川幕府キリスト教の禁教令と共に大名個々が海外との交易をする事を固く禁じたのです。これは徳川家による海外交易の独占化という側面があります。

こういった事で代表的な事として、伊達藩が派遣した海外使節団(慶長遣欧使節団)がありました。これは伊達政宗がスペインとの通商による経済強化を目指しましたが、帰国時にはキリスト教禁教令が強化され、団長であった支倉常長は洗礼を受け、ローマ市民権と騎士位を授与され帰国しましたが、日本への入国叶わず「敬虔のうちに死去」したと言われています。

また薩摩の島津家については、琉球を通じて密かに海外交易を続けており、そこで富を蓄えた事が現在では知られており、そこで蓄えた財力が後の倒幕に使われました。

 

この様に、日本が世界規模の動きの中で、初めて様々な影響を受けたのが、この大航海時代カトリック教会の布教という事ではないかと私は考えています。

 

【参考文献】

世界史の窓( https://www.y-history.net/ )
井沢元彦の逆説チャンネル( 井沢元彦の逆説チャンネル - YouTube  )