自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

開目抄について②-著述の思い

長い間、私はこの開目抄を「人本尊開顕の書」だと信じてきた。しかし創価学会日蓮正宗からの「呪縛」から逃れて、改めて読んでみるとそこには違った内容が見えてきたのです。

ここで改めて当時の日蓮及び周囲の状況について確認してみます。日蓮佐渡流罪になった時、日蓮の門下はどの様な状況であったのか、それは種種御振舞御書にありました。

「依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと、さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて二百六十余人しるさる、皆遠島へ遣すべしろうにある弟子共をば頚をはねらるべしと聞ふ、さる程に火をつくる等は持斎念仏者が計事なり其の余はしげければかかず。」

ここでは日蓮が依知に20日程逗留する間、鎌倉では火付けや殺人事件が相次いていたと書いています。そして日蓮を憎み讒言する人々は、これら鎌倉で起きた事件について「日蓮の弟子が放火したのだ。そんな事だから日蓮の弟子たちは鎌倉に置くべきではないのだ」と言い、二百六十余名の人が告発されたと言うのです。そしてこれらの弟子たちを島流しにしろ、首を刎ねてしまえと騒がれている事を日蓮は聞いたと言うのです。しかし日蓮から見たら火をつけ、人を殺めたのは持斉念仏者(鎌倉仏教界の息のかかった人)の謀略と思われましたが、言っても詮無き事なのでここでは書かないとありました。

これは今の世の中でもある事ですが、社会の中で邪魔な人を貶める為に、様々な事件を起こし、中には殺人まで犯すという事はあります。つまる処、立正安国論で鎌倉仏教界に対して指弾をした日蓮は、それだけ鎌倉仏教界から恨まれていたという事であり、その恨みの矢というのは当然、日蓮の門信徒にも向けられていたのでしょう。

過去のブログ記事「小松原の法難」で紹介した、東条御厨の領家の尼ですが、これには新尼と大尼の二人居た事が解っています。そして大尼は日蓮が龍ノ口の法難の際に信仰を捨て去りましたが、こういった鎌倉の騒動もあり、恐らく故なき誹謗中傷もあっての事ではないでしょうか。

また門下の日朗も日蓮が龍ノ口の刑場に引き連れられた時に、宿屋光則邸の土牢に幽閉されてしまいました。日向と日興の両名は日蓮に同行し、佐渡に渡っていますので、門下の中では日昭のみが御咎め無しとなっていましたが、これが後に「日昭は天台寄りであった」との非難の要因にもなっていた様です。

恐らく日昭は比較的穏健な姿勢であった事もあり、直接的に幕府に対立姿勢も見せなかった事から、日蓮不在となった鎌倉に置いて、残った門信徒のとりまとめ役を託されていたと思われます。

日蓮が鎌倉で築いてきた教団も、この龍ノ口と佐渡流罪に纏わる法難により、壊滅状態に近かった事もあって、その門下たちに日蓮は自身の法華信仰という事について語りかけ、その志を残そうとしたのが開目抄なのです。これはギリシャ哲学における「ソクラテスの弁明」にも値する文書ではなかったかと、私は勝手に解釈しています。

日蓮の法華信仰の理由

さて開目抄の本文冒頭について以下に紹介します。

「与門下一同 於佐渡塚原
夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。」

ここでまず人が尊敬すべき者として「主師親」があると語り、その為に習うべき物として「儒外内」の三つがあると書き始めています。

この後に儒教のある忠孝の手本となる逸話を幾つか紹介しています。要は禽獣とは異なり、人として生きていくためには主(あるじ)師(師匠)親(両親)への忠孝を持つことが大事であり、その為にも儒(儒教)外(外道の教え)内(仏教)を学ぶべきであると言うのでしょう。

儒教は紀元前551年~紀元前479年に中国で生まれた孔子による倫理・政治・社会秩序を重視する思想なのですが、日蓮はこの儒教で忠義や孝養を説いていても、因果の理法を見ていない事から「現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう」と、これでは未来に渡り国を安んじる事にはならないと書いています。また「父母主君師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり」と、結果として儒教を説いても結果として恩知らずと同じ事になると言うのです。

孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり」

また孔子は西方(中国の西はインドを指す)には仏陀という聖人がいるので、儒教はこの聖人の教えである仏教の入門の教えであると位置づけた事を書いています。ただしこれは本当に孔子がこの様に言ったのかについては判りません。でも日蓮はそのように学んできたのでしょう。

次に外道について書き続けています。

月氏の外道三目八臂の摩醯首羅天毘紐天此の二天をば一切衆生の慈父悲母又天尊主君と号す、(中略)其の見の深きこと巧みなるさま儒家にはにるべくもなし、或は過去二生三生乃至七生八万劫を照見し又兼て未来八万劫をしる」

ここで言う外道とは、古代インドから伝わっているバラモン教の事であり、そこでは人の過去世から未来世の事を語り、そこで説かれている見識は儒教とは比較にならない程、高度な教えとなっていると言います。しかしながら「外道の法九十五種善悪につけて一人も生死をはなれず善師につかへては二生三生等に悪道に堕ち悪師につかへては順次生に悪道に堕つ」と、人生の根本問題である「生死」を解決していない事から、結果として外道でも人々を救済する事は叶わないので、結果として外道においても真の忠孝にもならないし、国を安んじる事も出来ないと言うのです。

またこのバラモン教においても「千年已後仏出世す」等云云、或外道云く「百年已後仏出世す」」等とある様に、外道を学んだとしても、その先に内道(仏教)を知る事が重要であると書いています。

つまり日蓮は、人として忠孝を考え、国を安んじる為にも儒教や外道を見てきたが、結論として仏教を学ぶ事が肝要であると、自身の中で結論に至った事を、この開目抄の冒頭において門下に語りかけているのです。

(続く)