
法華経は難信難解の法門であり、その法華経を広めようとした自身について語り始めます。
◆但日蓮一人なり
「此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年辺土に生をうけ其の上下賎其の上貧道の身なり」
信じ難く理解し難い法華経を知り、それを広めようとしている日蓮自身、既に末法に入り二百年以上経過したこの辺境の地に生まれ、卑しく貧しい出自である事をここで語ります。そして日蓮自身、過去世に様々な姿で法華経を信じて来たかもしれないが、悪縁等に絆されたり、また念仏宗の道綽や善導、法然等の法師を信じて悪道に堕ちたのかもしれない。その様に法華経を信じる事の難しさを知っているのは、この世界では日蓮だた一人なのであると言います。
「これを一言も申し出すならば父母兄弟師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば慈悲なきににたりと思惟するに法華経涅槃経等に此の二辺を合せ見るにいはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、二辺の中にはいうべし」
そして法華経こそが釈迦の重要な教えであり、仏意に叶うものだと言う事を今の時代に言うならば、おそらく親族や周囲の人には必ず王難(権力者からの迫害)が来るだろう。でも言わなければそれは無慈悲な事になると思い悩み、法華経や涅槃経を読み進めて考えてみると、この事を言わなければ今生は無事に過ごせても、後生には無間地獄に堕ちてしまうとある。また言うならば三障四魔が起きる事が書かれているので、言うか言わないかを思い悩んだ結果、日蓮自身は言う事を決意したと明かします。
「王難等出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者須弥山はなぐとも我等程の無通の者乾草を負うて劫火にはやけずとも我等程の無智の者恒沙の経経をばよみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしととかるるはこれなるべし、今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。」
そして今回の王難(龍ノ口、佐渡流罪など)を受けた時には、退転しようとも考えたが、一旦は思いとどまったのは、これこそが法華経宝塔品にある六難九易であり、この様な難に会うからこそ末法に於いて法華経を持つ事は難しいとはこの事だったと理解したからであり、だから今回は強盛な菩提心を起こして退転しないと日蓮自身は願っていると言うのです。
◆受難の根拠
日蓮自身、何故この様に様々な難に逢い佐渡に流罪までされたのか。その根拠について続けて語り始めます。
「既に二十余年が間此の法門を申すに日日月月年年に難かさなる、少少の難はかずしらず大事の難四度なり二度はしばらくをく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひわづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし。」
ここで立教開示から二十年余りの間に、大小様々な難にあったが大きなものは四つあり、その内権力者による難は二つもあった事を述べます。これは松葉が谷、伊豆流罪、龍ノ口、佐渡流罪を言い、そのうち龍ノ口と佐渡流罪は幕府からの命で日蓮自身の命を脅かされた事を言うのでしょう。そしてこの難は日蓮自身に留まる事なく、弟子や門下たち、また日蓮の話を聞いた人々にも及んでしまったと言います。
そしてこの事は、実は法華経や様々な経典、経論などにも書かれている事を明かします。
このあたりの内容については、少し現代語訳したので以下にまとめます。
◆法華経の第四巻には「しかも此の経は如来の在世ですら猶怨嫉が多いのである、況や滅後の後おや」とある。
◆法華経の第二巻には「経を読誦し書き持つ事をする人を見て、軽んじ賤しみ憎しみ怨嫉し、結果恨みを懐くのである」等とある。
◆法華経第五巻には「一切世間に怨み多くして信じがたし」等とあり、また「諸々の無智の人が罵詈雑言して悪口をいう」等あり、また「国王や大臣、婆羅門居士に向かい誹謗して私を悪く言い、この人は邪見の人と言うだろう」等あり、また「しばしば住んでいる場所を追われる」等とある。また「杖や石等をもって打ちつけてくる」等とあり、
◆涅槃経には「その時に多くの無量の外道がいて、それらが和合して共にマカダ国の阿闍世王の所へいき、今は唯一の大悪人がいるがそれは釈迦である。一切世間の悪人が利益を得るためにおの所に集まり眷属となって善を修することなく、呪術の力で迦葉及び舎利弗、目連を従えている」等とある。
◆天台大師は「如何に況や未来に理解し化導し難きにあるなり」等とある。
◆妙楽大師は「障りをまだ除かない者を怨となし、聞く事を喜ばないものを嫉と名付ける」等とある。
◆南三北七の十師や漢土にいる無量の学者が天台を怨敵としたが、日本の法相宗の僧である得一は「拙いかな智公(天台大師)、汝は一体誰の弟子なのだ。三寸に満たない舌をもって仏が顔を覆う舌の所説を謗する」等とある。
◆東春は「問うが、在世の時に数多の怨嫉あり、仏滅後にこの経を説く時、何故留難が多いと云うのか。答えるには、一般的に良薬は口に苦いという様に、この鏡は五乗の差別を拝して一極の玄宗を立てた。故に凡を斥け聖を呵し、大を排除して小を破り、天魔を銘じて害虫として、外道を説いて悪鬼となり、小乗に執着するをさらして貴賤となし、菩薩を挫いて新学とした。故に天魔は聞いて憎み外道は耳に逆らい二乗は驚き怪しみ、菩薩は怯えてしまう。この様な人たちが悉く留難をなし。怨嫉が多いというのは当然である」等という。
◆顕戒論には「僧統が奏上して曰く、西夏に鬼弁婆羅門あり、東の国に巧みな言葉をはく禿げ頭の出家者がいる。これ即ち物類冥召して世間を誑惑するのである」等という。
◆伝教大師がこれに反論していうには「昔、斉朝の時代には光統律師が諭敵を迫害した、今日本の王朝では南都の六宗の高僧が私(伝教大師)を迫害するのである。まさしく法華が真実である」等という。
◆法華秀句には「時代を語れば即ち像法時代の終わり、末法の始めであり、地を尋ねれば東の東で猲の西、人を尋ねれば即ち五濁の闘諍の時に生まれる人である。法華経には猶多怨嫉況滅度後とある。この言葉は誠に意味がある」等と言う。
この辺りの記述では多くの文献を日蓮は引用していますが、それほど法華経を持つという事には、多くの難に逢う事が明確に書かれている事を述べるのです。
「夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう、在世猶をしかり乃至像末辺土をや、山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」
そしてこういった難というのは、例えば子供にお灸をすえたら子供は母親を恨む事だろうし、重病の人に良薬を与えたら薬が苦い事を言うであろう。それと同じ様に人々の為になる事を為しても恨まれてしまう事があると述べ、仏の居た時代ですら様々な難が起きるのだから、仏が居なくなった後の時代には、そういう事から様々な難に難が重なり非難には更に非難が加わっていく事が明白である事を、ここで述べているのです。
(続く)