自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

開目抄について⑨-三国四師について

この開目抄は本当に長い御書なんですが、何故日蓮はこの様な長文の御書を、わざわざ佐渡の地で認めて、それを四条金吾へ与えたのでしょうか。これは恐らく日蓮が龍ノ口で斬首にされそうになり、その後、佐渡流罪された事で、鎌倉を中心にした日蓮門下にも大きな弾圧があった事にも拠るのかもしれません。

現に領家の尼の大尼は、この時に日蓮の教えた信仰を捨て去ってしまいました。またそれ以外でも鎌倉では弟子の日朗も土牢に押し込められてもいました。恐らく日蓮の教団は壊滅的な状況であったのかもしれません。

恐らく日蓮は教団の崩壊という事自体を恐れたのではなく、その崩壊によって門下の中で法華経への信仰を捨て去ってしまう人が出てしまう事に苦慮していたのかもしれません。日蓮からすれば、法華経の信仰により難を受ける事は経典や様々な文献、過去の歴史にも書かれていましたので、想定はしていたのでしょう。日蓮の説く法華経の信仰とはそういう事であると、どうしても門下たちには語っておきたく、ここで退転しては、これまでやってきた事が無意味になってしまうという事を、門下の人達に語っておきたかったのかもしれませんね。

何よりも日蓮自身が、明日をもしれぬ身の上でしたので。

◆三国四師について

日蓮の開目抄での述壊は続きます。

「されば日蓮法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む」

ここで日蓮は自身の法華経の理解は天台大師や伝教大師に及ぶレベルではないと謙遜しながら、その受難の姿勢については先師をも超える自負を持っている事を明かしました。しかしその割には「天の御計い」には預かっていない。要は命に及ぶ王難を二度も受け、法華経を広め尽くしているのに守られないばかりか、門下でさえ様々な迫害を受けている状況について疑念を呈します。

「還つて此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天善神等の此の国をすてて去り給えるかかたがた疑はし、」

この事から自分自身は法華経の行者では無いという事なのか、それともこの国には既に諸天善神が居ないという事なのか、自問して問題提起をしたのです。

「而るに法華経の第五の巻勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずばほとをど世尊は大妄語の人八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし」

しかし法華経の第五の巻にある勧持品の二十行の偈には、法華経を持ち行ずる人は、必ず三類の強敵(俗衆・道門・潜聖増上慢)に逢うとあるので、日蓮がこの国に生まれ、難に逢わなければ法華経を説いた釈迦やその会座に居た多くの菩薩達も大嘘つきになってしまうだろうと言うのです。

「今の世の僧等日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、又云く「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台伝教もいまだよみ給はず況や余人をや、末法の始のしるし恐怖悪世中の金言のあふゆへに但日蓮一人これをよめり」

その後、幾つかの経典を引用しながら語りますが、結果として日蓮が居たからこそ法華経の勧持品に説かれた内容というのは証明された事であり、「しばしば場所を追われて(数数見擯出)」という言葉は天台大師や伝教大師も、こういった難にあっておらず、日蓮一人、末法という時代に生まれこの言葉を身を以って体験しているというのです。

因みにここで自身を釈迦から天台大師、伝教大師という系譜の上で捉えている事から、これを「三国(インド・中国・日本)四師(釈迦・天台・伝教・日蓮)」と言い、日蓮が自身を仏教の伝承上でどの様に捉えているかを示したと言われています。

そして釈迦や天台、そして伝教大師日蓮ほどの王難には逢っていないものの、それぞれに諸天善神からの護りというのはあったはずですが、確かに日蓮は龍ノ口で斬首こそ逃れる事は出来ましたが、その後の佐渡流罪の地に於いても、命の危険は去っておらず、いつ何時、幕府から斬首の命令が下るかもしれない状況の中、塚原の三昧堂で細々と命をつないでいる状況なのです。

「但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者にはさるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし。」

ここで三国四師の系譜にあったとして、その日蓮に何故、天の加護が無いのか、法華経に於いては諸天善神が末代の行者を必ず守護するというのに、この様の守護の験も無いというのは、日蓮はそもそも法華経の行者では無いというのか。実はこれが一番大きな事なので、この点についてもう少し掘り下げて考えてみたいと言うのです。

 

日蓮は自問自答形式でここで書き連ねていますが、自身としてはその結論を既に持ち合わせていたのでしょう、しかし恐らく当時の日蓮の門信徒の中では、幾重にも重なる迫害という事に対して疑問として挙がっていたのではないでしょうか。だからこそ日蓮はこの開目抄で、門信徒に対してこの事について語っておきたかったのかもしれません。

(続く)