
今回は少しお題目の事について書いてみます。
私がお題目を始めて唱えたのは、小学生の頃でした。私の家族は一応、創価学会の会員になっていましたが、初め活動していたのは母親だけでした。家には小さな御厨子があって、タンスの上にそれは乗っている程度。
私の両親はお見合い結婚と聞いていて、何でも父親の実家がお世話になっていた日蓮宗(身延)の寺院に、若い時の母はお手伝いに来ていて、そこで父とお見合いになったとか。
考えてみたら、両親も小さい時からお題目に縁していた様なものなんですよね。
そして両親が東京に出てきた時、そこで折伏を受けて、色々な事もあって創価学会に入会したと聞きました。当時、母は20代後半だったとか。
私が小学生の頃、その母が体調を崩してしまい、一時期入退院を繰り返していた時期があり、その時から母が勤行を真面目に始め、私と兄も母に言われるまま勤行を始めたのです。
小さい時に母から聞いたのは、苦しい時にはお題目を唱えなさいという事でした。
当時の私はこの「南無妙法蓮華経」というお題目にはどんな意味があるのか解らず、呪文の様なものだと思って、御本尊と言われる文字曼荼羅に向かい、勤行の際に唱えていたのです。
◆創価班大学校時代
そんな私ですが、19歳となって社会人になった頃、仕事や自分の周囲で色んな事があった中で学会活動に取り組む様になりました。そして創価班という人材Gに入りました。
以前にも少し書きましたが、当時、創価班になるには折伏1世帯というのは絶対的な条件でした。要は「自分の生き方を友人に共感させられない人間が、創価学会や会員を守れるわけがない」という事だと教えられました。
その為に当時の私は必死でしたね、概ね100人に対して仏法対話というのをしましたが、何故か私だけ友人の折伏が出来なかったのです。周りで同じ時期に創価班大学校になったメンバーは始めてから半年ほど経つと、全員が目標完遂していたんですが、何故か私の友人は誰一人、入会する人はおらず、この折伏の時に学生時代の多くの友人は、私の周りから去って行きました。
今から考えたら当たり前ですね。でも当時は折伏が出来ない事に悩みまくりました。
そんな状況でしたので仏法対話する友人も居なくなり、先輩たちの中でも「斎藤は創価班になるのは無理だ」と言われる様になり、半ば見放されている状況で、そんな中で、私は折伏する事も出来ずに日々仏壇の前でお題目を唱えるだけになっていました。
仕事が終わり自宅に帰ると、とにかく唱題です。1時間、2時間、時には3時間。土日になると6時間ほど唱える時もありました。何しろ折伏するにも友人が居ないんですから、それしかやる事が無いのです。
お題目を長時間唱えると、何故自分は創価班になるのか、何故創価学会の活動をするのか等、様々な事が心の中に渦巻いてきます。でも只管お題目を唱えるしかないんですね。こんな事で気が付くと時間が経っているという感じでやっていたのです。
当時はアパートに一人暮らしをしていましたが、お厨子の前の絨毯にはくっきりと正座した跡が残るほど、とにかくお題目を唱えていました。
そんなある時、夜中にお題目を唱えていると、何やら心の奥底から沸々と湧き上がるものがありました。それは「この一週間で折伏ができるぞ」という異様な確信でした。これは何も目ぼしい友人が居る訳では無いのですが、何故か確信だけが湧き上がってきます。言葉にするなら「根拠無き自信」と言っても良いかもしれません。
するとどうでしょう。それから1週間後に、ふとした事から折伏が出来てしまいました。相手は私の友人ではありません。細かい事は省きますが、とにかく唐突に出てきた人が居て、仏法対話したら「俺もそんな信心ならやるよ」とあっさり出来てしまったのです。
これはとても不思議な経験でしたが、この体験から私の中には「お題目を唱えたら叶わない事はないんだ」という、いわゆる信心の確認なるものが出来てしまったのです。
◆祈りは叶うのか
そんな経験が原点となり、四半世紀近く創価学会の庭で学会活動だけに没頭して生きてきました。その中でも、こういった信仰体験の様な事は数多く経験してきました。恐らく今ネットの中で「お題目は凄い力がある!」なんて事を言っている人も見かけますが、私はそれに勝るとも劣らない数多くの体験をしてきました。
しかし、そんな私でも創価学会に対して絶対的な信頼を置けない様な出来事に合う中で、結果として活動から離れる事になったのです。そしてそれと同時に、自分がこれまで生きて来て、創価学会の中で経験した事を俯瞰して考える時間を得る事が出来ました。
そうなると、創価学会の活動をしている時には「祈りは叶う」と信じていましたが、中には「祈っても叶わない」とか、また「祈っても別の結果になった」という事も多くあった事に改めて気が付いたのです。そしてそういう中で自分が生きてきた道筋というのが、実は初めからあったのでは無いかと云う事に気が付きました。
要は人生の大事なポイントで、人生にとって意味ある出会いがあったり、また祈りが叶わなかった結果として、ある道を行かざるを得なくなりながらも、そこでとても大事な仕事や人に巡り会っていて、結果、今の自分があるという事ですね。
詰まる処、お題目で生きてきた人生ではなく、そういった生き方の中で何かしらの「人生の流れ」があり、自分自身はその流れに沿って必死に生きてきたという事に気付きました。
だから「祈りが叶った」という事も、「祈りが叶わなかった」という事も、全てが自分の人生では必然であったんだなと、何か自分の中に「ストン」と落ちる感覚があったのです。まあ齢五十代に近い年齢の時でしたけどね。
◆お題目とは

日蓮正宗や創価学会等の中の人は、お題目を唱え始めたのは日蓮が初めてだったと誤解している人が多くいますが、実はこのお題目は、天台宗の修行の中では既にあった事なんですね。
御存じとは思いますが、日蓮は元々が清澄寺で出家し、比叡山延暦寺で修学した天台僧でした。だから日蓮はそこで修学する中でお題目を知り、思索の結果としてこのお題目を世の中に広く出す事にしたのでしょう。
例えば天台宗の「法華三昧懴儀」という中にも、既に南無妙法蓮華経というのはありますし、またそれ以外、他の修行で唱える中にもお題目というのは多くありました。
要は天台宗の修行の中にあったお題目を、日蓮は広く世の中に唱える様に提唱した人であったのです。
ではこの日蓮が世の中に広く唱える様に提唱したお題目の意義は、どういった内容なのかについてですが、それは御義口伝にある南無妙法蓮華経の抄を読めばわかると思いますが、そこには天台宗で唱えていたお題目の七文字に、日蓮が法華経の中で見出していた一念三千の意義や、本門の因果の意義があると言うのです。この事について思いを致すと、日蓮が考えていたお題目というのは、単なる「呪文(マントラ)」とは異なるものでは無いかと私は思うのです。
考えてみればお題目は今の時代、日蓮宗も唱えれば日蓮正宗も唱えています。また立正佼成会や顕正会も唱えていますし、創価学会も唱えています。ではこれら宗派のお題目は一体何か違うと云うのか、考えた事はありますか?
文字も同じ、発音も同じ。違うとしたらそのお題目にどの様な意義を感じているのか、そこしかありません。でも多くの宗派では、お題目の意義については「祈りを叶えるマントラ」程度の事しか教えていませんよね。また唱えている信徒たちも、そこまで意義を学んで唱えている人はごくわずかでしょう。
また創価学会では「百万遍唱題」という事が、昔からよく言われていますよね。例えば昔の学会唄の中で「パパさん音頭」というのがありましたが、そこでも百万遍のお題目を唱えたら、何も怖いものなど無いという歌詞がありましたし、女性部(婦人部)でも何かにつけて「百万遍のお題目」とか「十時間唱題」という人もいます。
ではこの数多くお題目を唱えるという事を、日蓮は果たして求めていたのでしょうか。
長時間にわたり同じ姿勢で文字曼荼羅を見続けながら、お題目をマントラの様に繰り返して唱える行動というのは、私の経験からすれば「内観行(自分の心の中を観る修行)」に極めて近い様に思うのです。これは上で紹介した私の創価班大学校時代の経験からして、私はその様に思えます。
これは根拠はある事ではありませんが、恐らく「百万遍唱題」とか、長時間にわたる唱題行というのは、日蓮の門下の僧侶の中で日蓮没後に確立された修行法なのではないでしょうか。これに関連する事と思いますが、日蓮自身、唱法華題目抄という御書の中で以下の様に述べています。
「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」
ここではお題目を唱える事について述べていますが、それはは南無妙法蓮華経と本尊の前(この本尊とは文字曼荼羅とは限定していません)で唱えなさいとあり、余力があれば法華経を読みなさいとあります。そして仏法に疎い人たちが多い世の中であれば「内観行」は実践しなくても良いと言っています。ここで「一念三千の観」とありますが、これは内観行の事を指します。もしこの内観行に取り組みたい人が居た場合には、まず学習してから行う様にと述べています。これは注意喚起に近い言い方ですね。
恐らく僧侶の中では唱題行に取り組み際、その注意点とか学ぶべき事があって、その上でこの「唱題行」というのは後世になり成立したのではないかと思うのです。
またこの唱題行の原形ですが、浄土宗でも「百万遍の念仏」という修法がありますが、そこから日蓮門下の中に取り入れられたという事も考えられると思うのです。何故なら日蓮宗よりも浄土宗の方が先に広まり、多くの人が念仏行を行っていましたからね。
日蓮の御書の随所には「一遍でも功徳がある」という言葉がありますが、日蓮が思い描いたお題目というのは、実は長時間にわたり繰り返し唱えるというものでも無く、ましてや「内観行」に近い修法として考えていたのか、そこは見直しをする必要もあるのではないでしょうか。ましてや「祈りを叶えるマントラみたいなお題目」というのは、そもそも日蓮は志向していなかったと思うのです。
今回はここまでとしますが、実は日蓮の考えていた信仰の形という事についても、根問いをして見直す時期に来ているのではありませんか?
これからも、こういった類の事については、思索の内容として書かせて頂きます。
【参考文献】御書統合システム(興風談所版)