
最近、X(旧ツィッター)ではこの写真の様な雰囲気満々で、何かと以下の言葉を私に投げかけてくる人が多くいます。
「創価学会と公明党は政教一致していません。宗教団体が政治活動する事は認められています」
「創価学会は国から何も特権を受けていないので、政教一致はデマです」
まあ何よりも創価学会本体も以下の記事をネットにあげています。

この政教一致関連で内閣法制局長が国会で答弁したのは、過去に4回ほどありました。その中で、今の創価学会が主張する内容の答弁が為されたのは1999年頃の事と記憶しています。
当時の私はまだ創価学会青年部の幹部であり、この内閣法制局長の答弁については主体的に語ってきた事なので、この内容については充分理解しています。よくXで私がこういった政教一致の類の事を呟くと、「貴方は何も知らないのですか?創価学会の政治活動は憲法で保障されていて、けして聖教一致ではないんですよ。」と、得意満面の様に返信やリツイートを頂く事も度々です。
正直、そんな事は「釈迦に説法」なんですけどね。あ、、釈迦という言葉を使うと、また別の意味の事を言われそうですがwww
斯く云う私も、創価学会の中で活動していた時には、あまり気付かなかった事なんですが、実際にそういった活動熱から醒めてみて、改めて客観的に創価学会や公明党の事を見た時、この創価学会が行っている政治活動には様々な問題があると考える様になりました。
ただし国会の場で内閣法制局長が答弁したという事は、法的にそういった解釈は既に解決済みであるという事であり、ここで言う「団体による選挙活動は憲法で保障され、政治活動が公選法、宗教法人法等に触れたり違法性を問われることはありません」という事には、私も全く異を唱えるつもりはありません。
ただし、その宗教団体が所属する個人に与える影響や、その団体の個人の行動については別だと思えるのです。そう、それは法的解釈という以前に、個人のルールやマナーというレベルに近い事についての事なのです。
そういった事について、今回はブログで書いてみたいと思いました。
◆政党の支持決定のプロセスについて
まず創価学会は選挙の度、公明党やその所属議員への支持決定を行いますが、その支持決定のプロセスについてを見てみましょう。
創価学会では「中央社会協議会」(議長=主任副会長など)が本部で開催され、支持依頼の内容を検討します。そこでは政党の政策姿勢、候補者の資質、社会的貢献度などを総合的に評価しますとありますが、そこでこのブログを読んでいる人たち(主に創価学会の会員や活動家)に質問です。この「中央社会協議会」の詳細について認知されている人はどれだけいるのでしょうか。協議会開催の日時や出席者、そこでの個々の発言や協議内容、またそこでの結論。ついてに言えば、過去に開催された協議会の議事録等は公開されているのでしょうか。
これについてご存知は人はどれだけいますか?
正直、私は青年部で分県幹部をしていましたが、青年部を卒業して今に至るまでこういった情報を目にした事がありません。まあ県幹部をやっていた私でさえ知る事が無かったのですから、区幹部や本部幹部、ましてや支部幹部以下は見た事はないでしょう。活動家や会員にしたら聞いた事すら無い人も居ると思います。
これは国政選挙だけではなく、地方選挙についても同様で、地方選挙の場合には選挙区ごとの候補者について、該当する都道府県の社会協議会が個別に審議し、支持を決定しますとありますが、こちらについても同様で、私はこれまで見聞きした事すらありません。
いわばあくまでも創価学会の中の一部の人達の「クローズト(閉ざされた世界)」の中での話である訳です。
宗教団体が独自に候補者を支持決定するのは良いですが、何故その協議プロセスや過去のエビデンス等を一般公開しないのでしょうか。もしそれが宗教団体内部のドメスティックな内容なんで、組織外に公表する性質のものでは無いというのであれば、せめて組織内の会員に対してだけでも限定で公開すべきではありませんか?
それこそが「選挙活動は憲法で保障され、政治活動が公選法、宗教法人法等に触れたり違法性を問われることは無い」という組織にとって、責任の所在を明確にする事にもつながると思うのです。
創価学会の活動家たちは、内閣法制局長官の発言を盾に、「私達は政教一致では無い」という割に大事な事を忘れてはしないかと言いたいのです。要は政治に対して権利を主張するのであれば、それと共に政治に対する組織としての義務と責任も、当然追う必要があるのでは無いかという事なのです。
◆個別訪問と戸別訪問について
また創価学会では「選挙戦」という名目で、国政選挙や地方議会選挙で公明党の候補者への票集めを組織的に行っています。これは以前、創価学会の政治部門の大番頭である佐藤浩副会長が青年部時代に以下の様に豪語していました。
「創価学会の選挙とは、どこまで行っても人脈選挙だ。だらか強く強固なんだ(要旨)」
要は創価学会の活動家たちは選挙の度に、公明党の候補者が出馬している地域の友人宅を訪問し、その人たちに投票依頼を行います。そしてここで「投票OK」と言われた人は、既に今では社会的に認知されていますが「F (フレンド票)」としてカウントし創価学会の内部では集計し、選挙の現状把握に勤めています。
まあ今ではこの「F数」というのも実態を顕す数字とは考えておらず、今の創価学会では「不在者投票数(Z)」を集計していますけどね。F数はあくまでも各地域組織の活動量の指数程度と考えられています。
この投票依頼についてですが、実は公職選挙法の戸別訪問に該当するかどうか、きわめてグレーな活動なのですが、果たしてこれも創価学会の活動家はどれだけ認知しているのでしょうか。
公職選挙法には以下の規定があります。
第138条(戸別訪問の禁止)
何人も、選挙運動のために、戸別に訪問して投票を依頼してはならない。
これを読む限り、創価学会の活動家が行う、知人への投票依頼は違法行為にも見えますが、ここに少しカラクリがあります。それは「戸別」なのか「個別」なのかという解釈論です。
まず「戸別」とは不特定多数に対して訪問する事を指していますが、一方の「個別」となると、これは「候補者や政党の後援会員、支援者、知人、関係者などで、すでに一定の政治的関心や支持の意思を示している人々を指します。」となります。つまり候補者や政党の後援会員、支援者、知人、関係者などで、すでに一定の政治的関心や支持の意思を示している人々を指します。
だから選挙の度に、例えば公明党でも他の議員や場合によっては自民党議員から支援先の名簿を貰い、その名簿を元にして電話で投票依頼をしたり、場合によってはその名簿を元に候補者が支援のお願いに行脚したりするわけで、こちらは「戸別訪問」には該当しないのです。
しかし厳密に言えば、創価学会の活動家が行う「投票依頼」というのは、きわめて「戸別訪問」に近い行為になります。だから創価学会では選挙の度に「連続興行するな」という隠語を使ったりするのです。これはどういう事かと云えば、家を出てから複数の家を連続して支援依頼で訪問するなという事で、一軒終わったら自宅に一旦帰ってから、再度出直してもう一軒回る様にしろと指示したり、あとは良く尾行等されていないか注意する様に指示される事もあります。
ちなみに私が青年部時代に見聞きした実例では、選挙で訪問した先が対立候補の後援会長の家であった為、その後援会長から地元警察に「戸別訪問の疑いがある」と通報が入った事から警察が内偵調査へと動いた結果、「戸別訪問容疑」で逮捕された活動家も過去に居ました。
こういった事件については、けして創価学会の組織内では公にされませんので、恐らく活動家の大半は知らないと思いますけどね。
要は何を言いたいかと云えば、宗教団体として支持決定するのは良いのですが、その結果として宗教団体の所属する会員たちを「きわめてグレーな活動に走らせる事」が、果たして良い事なのかどうか、そこはもう少し考えるべきでは無いかという事なのです。
私は壮年部になった時、学会の知人から「選挙に一緒に回ってくれ」とお願いされ同行した事があります。その知人は中学校と高校の卒業アルバムを持って回っていましたが、学校を卒業して四十年以上経っていれば、相手も知人の事を覚えている訳でもなく、当然の様に不機嫌な塩対応を受けていました。
この時、私は知人に言いました。
「あのさ、いくら何だって五十代過ぎた男がさ、いきなり面識も薄れている人が訪問してきて投票依頼されてもさ、本当に候補者に投票してくれると思うのか?」
すると知人は「これが俺の今生人界の思い出の戦いなんだ!」と言い切っていましたが、いやいやそれは全然違うだろうと思いましたね。それよりも下手すれば私もしょっ引かれるリスクを少なからず負っている訳であって、けしてこれが信仰の戦いとは思えなかったのです。
ここまで色々と書きましたが、これでも「政教一致ではない」と厚顔無恥に言えますかと私は言いたいのです。法解釈上は一応、問題無いとしていても、実態として多くの問題を抱えているではありませんか。
次の記事でもこの内容、もう少し続けていきますので、よろしくお願いします。