自燈明・法燈明のつづり

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創価学会と公明党は政教一致ではない!への雑感・・その②

さて、この話題で2つ目の話を書かせてもらいます。

昨日、公明党参議院選挙の敗北に関する総括文書を公表しました。そこには色々と書かれていましたが、要は先だっての衆議院選挙の敗北から、東京都議選の敗北、そして先日の参議院選挙の敗北の原因について、ざっくりと云えば支援団体である創価学会の組織の弱体化が原因である事は間違いありません。

そもそも公明党の前身は公明政治連盟、そしてその前は創価学会文化部だったのですから、前衆議院議員の伊佐氏が何を言おうが、公明党とは創価学会の政治部門であったわけです。そうであれば母体の創価学会が衰退すれば、当然、公明党も衰退するわけであって、昨今の選挙の敗退の姿はそれを如実に示すものだったのでしょう。

そして公明党は今回の敗北から、若者世代を取り込む事を様々検討している様ですが、どうやらその根幹にはSNS戦略に置くみたいですね。

長年にわたり私は公明党にも関与してきましたが、こういった事について一言で言えば「何を付け焼刃な事を言っているんだろう」という感想を持ってしまいます。

◆信仰と政治信条の自由について

これはXでも少し呟いた事ですが、以前に私は地元の壮年部幹部である後輩と会話をした事がありました。それは創価学会の会員は、政治的に必ず公明党を応援しなければならないのだろうかという事を会話しました。

「ところで学会員は必ず公明党を支援しなければならないのかな?政党の支持は個人の政治信条の自由であって、基本的人権にもあたると思うが、どうなんだろうか」

すると後輩の幹部は言いました。

「何を言うんですか。創価学会の会員であれば、政党は公明党を支援するのが当たり前ではないですか」

この回答を聞いた後、ふと以下の思考実験をしてみました。

ある青年がいて、若い時から政治に関心を持ち、彼は共産党に入党して政治活動をしていたとします。そんな彼が、ふとした事から人生の中で悩みを持ち、そこで創価学会の言う日蓮仏法(今ではかなり変質してしまいましたが)の事を聞いて信仰したいと入会したとします。

創価学会の規約では共産党員だからと言って、入会を拒否する項目はありません。そもそも学会の言う日蓮仏法に共感したのであれば入会する事もあるでしょう。そして彼は創価学会員になりました。

そんな彼ですが、入会後に自分自身の人生を政治の世界に身を投じ、政治家として人々に寄与したいと共産党から議員に立候補したとします。その時、同じ選挙区内には既に公明党議員が居た場合、彼は創価学会の支援する公明党議員と対峙する事になるでしょう。

この場合、彼はどうなってしまうのか。

答えは簡単です。創価学会からすれば、創価学会の組織内から公明党の票を割ってしまう可能性のある人物を出す事は絶対に許しません。何故ならば公明党議員が居る事が、地域にとっての広宣流布の証にもなるからです。恐らく創価学会の地域幹部の責任者は、その青年に対して「立候補の取り下げ」を迫ります。

でもこれって、憲法で保障する職業選択の自由を蔑ろにする行動になりますよね。

そして青年が折れてくれたら収まりますが、もし拒否した場合、この青年は創価学会にとって地元の組織票を割ってしまう可能性がある存在となりますので「仏敵」と呼ばれる様になります。

そうなった場合、地元の創価学会の組織は彼の動きを何とかスポイルしようと、様々なネガティブキャンペーンを張る事でしょう。またその際には当然、組織を使い、その青年の周辺を洗い出し、どこの学校を出てどんな人物であったのかを徹底して洗い出します。そしてウィークポイントを付いて、その青年を完膚なきまで潰しにかかるでしょう。

これ、私の個人的な妄想と思われるかもしれませんが、実は似たような話は、これまで日本全国には色々とありまして、そういった過去の事例から、私が考えた思考実験なのです。

要は創価学会の言う政治信条の自由とは、創価学会が許容する範囲内で許される事であり、許容範囲を超えた政治活動を創価学会は許容しないという事です。

もちろん、共産党の人が創価学会に入会するなんて事は、ほぼあり得ない話ですし、こんな思考実験の様な事は、そんなに起こりえる話ではありません。ただ創価学会に入会した時点で、その人の憲法で保障された「政治信条の自由」というのは、実質的に制限をされる事は間違いないでしょう。

本来、宗教団体であれば信者の政治信条の自由について、絶対的に保証しなければなりません。だって「政教分離の原則」がある訳ですし、そもそも基本的人権の一部な訳ですからね。

ここでいう「政教分離の原則」とは、何も憲法解釈問題ではありません。政治信条と宗教は当然分離されてしかるべきという、当たり前の原則を呼んでいます。

しかし創価学会は政党を持ち、その政党の支持を信仰の根幹に据えてしまっているので、結果それは許容されない事になる訳です。

もちろん、創価学会として公式にはそんな事は認めないでしょう。恐らく表向きには「会員の政治信条の自由は保障されている」と公言するはずです。しかし私が青年部時代に見てきた創価学会の組織実態は、それとはまったく異なった内容でした。

選挙の度に、創価学会の地区という末端組織では、会員の情報から会員の未入会家族まで名簿化し、それぞれ「マルK、K、C」とランク付けします。そしてどれだけ組織内の会員と未入会会員から公明党支持を取り付け、それと共に彼ら会員等の人脈の伝手から公明党支持を取り付けられるのか、そこを組織事にノルマを設定して活動家幹部を走らせるのです。

こうなると活動家幹部達は、目標を達成する事が目的となりますので、かなり無茶な事もやりますし、それについて来ない会員は「邪魔者」とばかりに排除を始めたりもするのです。要は「創価学会に居ない方が良い」みたいな事を言い出したりもします。

私が県幹部の時、ある支部に呼ばれて「幹部指導」という事で話をした際、そこの組織の部員の中に「私は公明党をどうしても支持できない」という人がいました。私は当然、そんな部員に対しては政治信条の自由があるから、それは一向に構わないと話をしましたが、結果、この発言に対して支部からクレームが入りました。

「斎藤さんは、部員を公明党支持にひっくり返してくれなかった」

これがクレームの内容です。まあ支部の部長からしれば、本部や区から内票のパーセンテージを責められるので、こういった思考となってしまうのも致し方無い事なのですが、それでは個人の政治信条の自由はどうなるのか、そういう事なんですよ。

こういった実態を含めて考えた時、創価学会公明党が「政教一致ではない」なんて事を私は言う事が出来ません。

公明党の議員のなり方

さて、前の記事では創価学会から公明党への支持決定プロセスが見えないという事について書きましたが、創価学会の活動家になったとしても、国会議員や地方議員にはそう易々となる事は出来ません。政党支援している宗教団体にしては、このあたりも変な話だと思います。

私が青年部時代に見てきた事から言えば、まず国会議員の場合には、組織活動を一生懸命頑張ったとしても、まずなる事は出来ないでしょう。

公明党の国会議員になるには、学会員であった場合、創価大学を卒業するか、東京六大学以上、できれば東京大学を卒業していないと難しいと思います。(まあ一部例外もありますが)

そして大学卒業したら、学会活動なんてしていてはいけません。大学を卒業したら、学会系の弁護士事務所に勤務するか、もしくは上級国家官僚でどこかの省庁に勤務している必要があります。そしてその際、創価学会の本部からは当然、名前を知ってもらっている必要があるでしょう。

そういう立ち位置で仕事をしていれば、どこかで学会本部からお声がけがかかり、漸く公明党の候補者として名前を連ねる事が可能になります。

また公明党の地方議員になる場合には、大学卒業し、大企業など有名な企業で仕事をしていながら、必死に組織活動に励む中で、分県幹部以上になっていれば、地方議員として声掛けされるかもしれません。まあ地方の市町村議員であれば、本部幹部や区圏幹部で、それほど仕事や学歴は問われないかもしれませんが、組織活動はしっかりして現場幹部でなければならないでしょう。

私が男子部時代の仲間の幾人かや、先輩幹部の幾人かは、この状況で地方議会の議員になっています。

ただ一つ共通して言えるのは、公明党から議員になるにも、自己申告でなる道は一切無いという事です。全ては創価学会の本部の意向の元で指名される事になりますので、そこには一切、個人の希望を受けてなんていう話しは無いのです。

これ、簡単に言えば創価学会の中で役職を受ける事に似た事なんですよね。

どうせ政党を持った宗教であれば、政治を志す人達に対しても、一定の門戸を開いても良さそうな事だと思うのですが、恐らく創価学会の求める「政治家像」というのには、そういった姿は無いのでしょうね。

 

ブログで掲題の件について書くのは、とりあえずここまでとします。

それ以外にも、例えば選挙違反の実例とか、それにまつわるドタバタ劇なども、実は幹部時代に幾つか見聞きしたりもしていますが、それ等の内容については、あまりに生臭い話にもなったりしますので、この場で書く事は致しません。

Xで #RICE を語った人達が、私の発言に対して様々な事で絡んできますが、私が思う「政教一致」の事については、この様な個人的な考えや思いがあるので、少し文書化してみました。

まあここに書いている事は、あくまで経験上の私の主観であり、私見としての話ではあるんですけどね。