
ちょっと公明党関係の記事を連続して書いてしまいましたが、私が本来このブログで書いてみたい記事というのは、公明党の批判等ではありません。公明党と同じく創価学会について書く時には、そこから見えた事や考えた事を足掛かりとして、私自身の考えとして「こうなのでは無いか」という事を考える内容について書いていきたいと考えています。
創価学会や公明党については、本当に理解できたら下らない事ばかりなので、それに対する批判やアンチテーゼだけを書いてみたとしても、私の人生にとって何ら寄与するものにはならないと感じています。
という事で、今回は死後の世界に関する事を取り上げます。
今回はアメリカの催眠療法士であるマイケルニュートン氏が、2000人以上の人に退行催眠を施しながら、被験者を深層心理の中にある記憶に導いて、そこで経験した内容についての研究結果を見ながら、少し考えた事を記事にしていきます。
この話の概要いついては、以下の動画で良くまとめられていますので、少しお時間がある方が居たら視聴してみてください。
この内容ですが、見てみると実は以前に私がこのブログで紹介した以下の内容にとても近い内容である事が解ります。
この前の記事では、カナダのトロント大学の臨床心理学者であるJ.L.ホイットン氏の研究内容について紹介しましたが、ホイットン氏も被験者を前世の死の直後まで誘導し、そこから次の生に誕生するまでの間、仏教でいう「中有」に誘導し、そこで被験者が経験した事を記録し研究を行いました。
そこで得た内容というのは、今回のマイケルニュートン氏の内容と共通している部分も多く在ります。具体的には以下の内容です。
・光のトンネルの経験
・死後の世界は苦痛も無い安らぎの世界
・死後にマスター(長老)と言われる存在との面談
・そこで今回の人生を省みて、次回の人生の課題の設定
・ソウルメイトの存在(個々の人生で関係しあう魂)
ただここで「光のトンネル」という経験については、主に欧米人の経験に多くある話で、日本人の場合には、この「光のトンネル」の経験ではなく、「三途の川」の経験が多く在るようです。
あと死後の体験という事では、このブログでは以下の事についても書かせてもらっています。
この木内鶴彦氏の体験によれば、木内氏は一旦病院で死亡宣告される直前に意識を失い、そこで「三途の川」を渡り、またそこで出会った既に亡くなっている身内の女性に連れられて丘の上に登り、その世界を眺望した後、空に浮いていた大きな光に飲み込まれ、気が付いたら病床にいたと言います。
そして病床で医師からの自身の「死亡宣告」を聞き、対外離脱をしたというのです。しかしその後の経験がとても特殊なもので、木内氏はそこから時間や空間の縛りを離れ、そこで様々な事を経験する事が出来たというのです。
この木内氏の経験の中では、マイケルニュートン氏やJ.L.ホイットン氏の研究にある様な「長老との出会い」とか、自分の人生の回顧という経験はありません。
こんな事を見てみると、人が死んでか中有(死後の世界)へ移行する内容も、実はもう少し複雑多岐なものに渡るのかもしれません。
例えば欧米人で主に体験する「光のトンネルの体験」や、木内氏をはじめ、日本人の臨死体験者が経験する「三途の川」の体験というのは、実はその人が生きてきた文化圏の影響を多大に受けている事が想像できます。つまりこれは魂の共通した部分というよりも、生まれ出た後の文化圏の経験により違いが起きるという事も考えられます。
そもそも生から死への移行というのは、どこかの段階で完全分断する境界線があって、ここから前が生で、ここから以降が死と明確に分けれられるという性質な事でもありません。
ちなみに仏教ではこの生きている状態を本有(ほんぬ)と呼び、この生きている状態は縁起によって起きていると説かれています。これは「五陰仮和合」と呼ばれており、人間は五大要素で構成され、それぞれの和合状態の上で成り立っているというのです。
ちなみに五陰とは以下の五つの要素を言います。
・色:肉体の外見や物質的な存在
・受:感受作用で、感覚器官から受ける働き
・想:感覚を元にイメージや概念を想起する働き
・行:意思や習慣、思考などの心の働き
・識:認識作用で、対象を認識し判断する働き
これは一念三千の中では三世間のうち、「五陰世間」として区別されている世間の事ですね。
これで何を言いたいかといえば、こういった五つの要素で成り立つのであれば、死というプロセスでは、それぞれの要素が崩壊して消失していく事なので、どの和合が壊れた時点で死となるのか、死とは電源スイッチをOFFにしてシャットダウンされる様なものでは無いという事です。
恐らく死にゆくプロセスというのは、まず五陰の「色」が崩壊していくわけです。これは臓器レベルの死から細胞死のレベルまで徐々に進行していきます。そしてこの「色」の崩壊プロセスの中で「受」の働きも消失していきますが、その過程の中で「想」と「行」がどの様なイメージを想起して、それに対してどの様な意思を持つのか。
ちょっと小難しい話にも聞こえると思いますが、そのイメージの差分として欧米人では「光のトンネル」となり、日本人では「三途の川」となるという違いが起きるのではないでしょうか。
とまあ、今回はここまでで話をとどめたいと思います。
今の人類社会では「死」というのは完全な消失と捉えています。そしてその先には「何も無い」という事を前提として、何か社会の構造というのは出来上がっていると思うのです。
しかし近年に於いては、特に欧米を中心として「NDE(臨死体験学)」の進展もありますし、こういったマイケルニュートン氏やJ.L.ホイットン氏の様な心理学的なアプローチの研究結果により死や死後の世界という事が少しづつ明かになってきています。ただ残念な事に日本国内で、こういった話は極端なスピリチュアル思想やオカルト、また都市伝説の類として未だに取り扱われたりもしていますが。。。
ただこういった事が、より社会の中で認知度が高くなってくる事で、その先に人類社会の文明の在り方も見直される事もあるのではないでしょうか。