自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

観心本尊抄について①

先日まで拙い内容で大変恐縮でしたが、開目抄について取り上げさせて頂きました。

次に紹介したいのは観心本尊抄(正式には如来滅後五五百歳始観心本尊抄と言います)について取り上げてみたいと思います。

まずはじめに日蓮の本尊観について考察してみます。

日蓮正宗創価学会では、日蓮の文字曼荼羅の事を「御本尊様」と呼んでいて、仏壇には文字曼荼羅を一幅式で安置しています。そしてこの文字曼荼羅以外に釈迦仏の仏像などの安置を認めていません。

この文字曼荼羅ですが、日蓮は龍ノ口の法難で辛くも生き延びて、相模国依知の本間邸預かりの際に「楊枝本尊」を書写したのが最初と言われており、それ以降、文字曼荼羅を顕す様になりました。では、この文字曼荼羅を顕して以降、この文字曼荼羅だけを本尊と定めたかと云えば、そうでも無かった様です。何故なら佐渡流罪赦免以降の建治二年に門下の富木常忍に宛てたとされる「木絵二像開眼供養之事」という御書には、仏像に対する開眼供養の事が述べられており、仏像の意義についても述べられています。

この事から考えてみても、当時、日蓮の中では釈迦仏を本尊とする事を、特に否定する様な考え方は無かったと思われます。この事から考えると、日蓮の持つ本尊観の基本というのは唱法華題目抄にある以下の本尊観であったと思うのです。

「第一に本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書て本尊と可定 法師品並に神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書ても造ても法華経の左右に可奉立之。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるへし。」

ここではお題目を以って本尊とし、もし余力があるのであれば釈迦仏や多宝仏を描いても、仏像として造っても構わないが、それは法華経(お題目)の左右に奉るべきであるとあります。つまり何も文字曼荼羅だけを本尊にしなくてはいけないという事ではなく、本尊はお題目であり、余力があれば仏像を安置しても構わないという事でした。

この観心本尊抄は、「法本尊開顕の書」と呼ばれていますが、内容を拝読すれば、これは文字曼荼羅の事について書かれていますが、私が重要だと感じたのは文字曼荼羅をここでは「観心本尊」と呼んでいる事です。観心とは明らかに内観の事であり、自身の心の内面を観る為の本尊という意義が、実はこの文字曼荼羅にはあるのではないか。私はその様に考えています。

日蓮正宗では文字曼荼羅を功徳聚と呼び、創価学会では第二代会長の戸田城聖は幸福製造機と呼んでいます。これらの淵源を辿って考えてみると、それは堅樹院日寛師の教学に行きつくと思いますが、その事はここではとりあえず脇に置いておきます。しかし日蓮が「如来滅後五五百歳始観心本尊」と呼んでいるという事は、この文字曼荼羅が単なる功徳の集まりであるとか、人々を幸福にする機械だという事とは違うのではないでしょうか。

日蓮の顕した文字曼荼羅とは、「観心本尊」だとして、それにはどの様な意義はあるのか。その処がこの御書を読み取る中で、少しでも理解出来たら良いなと思い、まずは読み進めてみたいと思います。

◆背景と大意

この御書は文永十年(1273年)、日蓮が五十二歳の時に、流罪中の佐渡の地に於いて著述された御書です。対告衆は富木常忍ですが、これは恐らく後世に残す重要な書簡であった事から、富木殿に送られたのでしょう。この御書の正筆は観心本尊抄送り状と共に現在は中山法華経寺に保管され、国宝となっています。

この御書はどの様なものなのか、その事について日蓮は「観心本尊抄送状」で以下の様に述べています。

「此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開�せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず」

開目抄を著述したのはこの前年の事で、この御書を著された翌年に日蓮佐渡流罪を赦免されました。当時の出来事としては前年の塚原問答以降、大きな事が無かった事もあり、自身の法門について、かなり推敲を重ねられ本抄は纏め上げられた物だと思われます。

その事からか本抄はこの送り状にある様に「日蓮身に当るの大事なり秘す」と述べ、「無二の志を見ば」とある様に、日蓮の仏法に深い理解を持った人のみ見ることを許し、内容についても「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか」とある様に、恐らく当時の仏教一般の考え方からはかけ離れ、簡単には理解出来ない内容である事が述べられています。

また日蓮佐渡流罪赦免後の建治二年(1276年)に門下の四条金吾に対して「釈迦仏供養事」という御書を与えており、そこでは四条金吾が木像の釈迦仏一体を造立し、その開眼供養の事について相談の返事をしています。

ここで四条金吾に対して、草木成仏を通して種種の話をしている事から、日蓮が文字曼荼羅を顕して以降であっても、門下が釈迦仏を本尊とする事は否定せず、しっかりと意義を説いていた事から考えると、釈迦の仏像を本尊にする事を「誹謗正法だ」という様なものでは無かった事が推測できます。

では次回から、この観心本尊抄の本文へと入っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。