
さっそく本文へと入っていきます。
如来滅後五五百歳始観心本尊抄 本朝沙門日蓮撰 /文永十年 五十二歳御作
摩訶止観第五に云く[世間と如是と一なり開合の異なり。]
「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」等云云[或本に云く一界に三種の世間を具す。]
まずここで表題を認めていますが、ここでは自身を「本朝沙門日蓮撰」としています。例えば幕府への諌暁を行った立正安国論では、日興上人の写本では天台沙門と名乗っていましたが、ここでは天台沙門と名乗ってはいません。これはつまり、観心本尊抄で明かされる内容については、日蓮独自の思索内容について認められている事を示すものではないかと推察できます。
まずここでは天台大師の魔訶止観の五巻に「世間と如是とは一なり開合の異なり」と言う事が書かれている事を述べ、ここで言う「開合の異」とは何かといえば、観法の展開の仕方によって、世間を中心に三千を説く場合(開釈)と、如是を中心に三千を説く場合(結成)があるという違いを指します。つまり、分析的に展開するか(開)、統合的にまとめるか(合)の違いであり、内容そのものに差はないということです。
その後に日蓮は一念三千の構造を述べていますが、恐らく魔訶止観にあるこの言葉の中に、一念三千の意義が示されている事をここで述べているのでしょう。
因みに一念三千の構造について、ここで改めて以下の構造になると言っています。
◆一念(人の心)=十界が具わり、十界の各境涯にまた十界が備わる。(百界)
◆百界のそれぞれの境涯に三十種類の世間=三世間✕十如是(三千世間)
問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わず等云云、問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く之れ無し、問うて曰く其の証如何、答えて曰く妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす並びに三千を以て指南と為す」等云云、
ここでまず法華玄義には一念三千の名前を明かしているのかという問いを設け、それに対して妙楽は法華玄義では明かしていないと答えます。それでは法華文句には一念三千の名前は明かしているのかと同じく問いますが、これも妙楽は明かしていないと答えています。ではその妙楽の解釈はどうなっているのかという問いに対し、未だ一念三千とは言っていない等とあると答えます。
また天台大師の魔訶止観の一巻から四巻等には一念三千の名前を明かしているのか、その様に問いを設けて、これも無いと答えます。そしてその証文はあるのかという問いに対しては妙楽の言葉で「故に止観に至って、正しく内観の方法を明かし、その際に三千(一念三千)の事を以って指導の内容としている」とある事を明かします。
つまり一念三千を説いたのは天台大師と言いながら、天台大師はその事を摩訶止観にも明かしていなければ、その弟子の章安大師の法華玄義や法華文句と言った、魔訶止観の解説書にも明確に書かれておらず、妙楽の言葉によれば、内観の修行の際の指南(指導)としてその内容について語られていたというのです。
疑つて曰く玄義第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」等云云、文句第一に云く「一入に十法界を具すれば一界又十界なり十界各十如是あれば即ち是れ一千」等云云、観音玄に云く「十法界交互なれば即ち百法界有り千種の性相冥伏して心に在り現前せずと雖も宛然として具足す」等云云、
この事について疑いを持って言うにはと、更に疑問を呈していきます。それは法華玄義の第二巻、また法華文句の第一巻。更に天台大師の観音玄義に、一念三千を匂わす内容が書かれている事を示します。
問うて曰く止観の前の四に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明さず、問うて云く其の釈如何、答う弘決第五に云く「若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず亦二十五法に歴て事に約して解を生ず方に能く正修の方便と為すに堪えたり是の故に前の六をば皆解に属す」等云云、又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う良に以所有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無れ」等云云。
そして更に問いを設けます。それは魔訶止観の四巻に一念三千の名前を明かしているのかという事ですが、ここでも妙楽の言葉を以って、それは明かされていないと言います。そしてその証文はという事について妙楽は、止観輔行伝弘決第五巻に於いて述べている事を示し、そこでは正しく観法を修行出来る段となった時に一念三千を以って指導する旨が書かれており、これは究極の極説であるが為に、その序文において「説己心中所行法門」という言葉に示されている事を述べるのです。
詰まるところ、一念三千というのは天台宗の中でも、内観修行のための極説中の極説であり、無暗に名前すら明かされていないという事をここで述べているのです。
夫れ智者の弘法三十年二十九年の間は玄文等の諸義を説いて五時八教百界千如を明かし前き五百余年の間の諸非を責め並びに天竺の論師未だ述べざるを顕す、章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず震旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、墓ないかな天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門家と成りぬ章安大師兼ねて此の事を知つて歎いて言く「斯の言若し墜ちなば将来悲む可し」云云。
ここで天台大師の事について少し述べています。
天台大師の弘法は三十年あったと言いますが、そのうち二十九年の間は、法華玄義や法華文句などの諸義を説くほか、釈迦の一代説法を整理して五時八教の体系を整備し、百界千如などについても明かしながら、像法までの間の間違いを糺し、インドの大論師と言われた人たちが述べていない事を説いてきたと言います。これについて章安大師は「インドの大論師もこれには及ばないし、インドから中国の人師などでは語れないほどの功績があった」と語っていた事を述べます。
しかしその天台宗の末弟たりは、華厳宗や真言宗にこの天台大師の極説である一念三千を盗み取られるだけではなく、彼らの門徒になってしまったと言い、その事を章安大師も嘆き悲しんだというのです。
大乗仏教(北伝仏教)の中では、確かに天台大師智顗の功績というものは、とても大きなものでした。いま日本に伝わっている大乗仏教の基礎については、この天台大師が整備し体系化したと言っても過言ではない位の功績です。その事から中国では天台大師の事を「小釈迦」と呼ばれてもいたそうです。
日蓮は清澄寺で出家して、比叡山延暦寺で修学する中で、この天台大師の功績の大きさを誰よりも深く理解していた僧であったのかもしれません。