
ここまでの間で「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」を読んできました。
ここまで書いてきた観心本尊抄の内容は、決して人様に語れる内容では無いのですが、私自身の本尊観と信仰観を整理してまとめる意味もあって、今から数年前より少しづつ読み進めてきた内容なのです。
ここで少し、私の本尊観について書いてみたいと思いますので、お時間があればお付きあい下さい。
◆創価学会から学んだ本尊について
私が創価学会で信心活動を始めた頃、まだ創価学会は「日蓮正宗創価学会」と呼んでいて、日蓮正宗の信徒団体でした。私が「御本尊様」として母親に教えられたのは、日蓮の文字曼荼羅を時の法主(貫首)が大石寺の大本尊を書写したと言われるもので、当時我が家にあったのは第66世日達師のものでした。
当初、この文字曼荼羅の意義の事は詳細に教えられる事もなく、これは男子部に入っても同じ事でしたが、この文字曼荼羅を「自身の生命の当体」と教わったり、またその姿は法華経の虚空会の儀式を模したものと言う位だったのです。
この法華経の虚空会の儀式を模したものが、何故自身の生命の当体であるのか。そういった事については、多くの先輩幹部が居ても教えてくれる人というのはほぼ皆無。口にされるのは「蛍光灯の仕組みが解らなくても、スイッチ入れれば明るくなる」と同じ様に、この御本尊様に祈れば、どんな事でも祈りが叶う。という様な事でした。
確かに創価学会の活動を通して、私自身、様々な局面において御本尊様と呼んでいる文字曼荼羅にお題目を唱えて行く中で、不思議に物事が順調に進んだり、また思いもかけない体験も数多くしてきました。
「確かにこの御本尊様は祈りが叶うのかもしれない」
三十代になった時、私の中にはこういった「信心の確信」とも言うべきものが出来上がっていて、どんな事があっても乗り越えていけると思っていたのです。
しかし三十代後半になり、様々な出来事から創価学会の活動と距離を置くようになりました。しかしそれでも「御本尊様への確信」というのはありましたので、仕事の事や様々な問題に対しても「祈りは必ず叶う」という事から、必死に御本尊に対して祈りを続けていました。しかし自分の中で「何かが違う」という、これは極めて感覚的なものですが、そういった思いが錯綜する様になり、当然の事ですが、祈っても何も問題を打開する事が出来なくなってきたのです。
また創価学会の活動から離れた時、当時の私は「池田大作という人物像を知りたい」という事と、「日蓮という人物の志を知りたい」という事で、様々な人たちと会い、様々な文献を通して宗門の歴史や創価学会の歴史を知る中で、実は私が教えられてきた日蓮正宗や創価学会、また池田大作という人物像が、事実とかなり異なる事を理解し、それと共に創価学会という宗教団体に信を置けなくなってしまいました。
実はこの時が一番、私の人生の中でキツい時期であったと言えます。何故なら創価学会に信を置けなくなるという事は、それまで自分の中で「祈りは必ず叶う」という御本尊に対する信心の確信も崩れて行ってしまったからです。
こうなると根無し草の様な、何か自分自身が空虚になり、とても不安定な感じとなりました。要はこれから先、何を信じて行けば良いのか。そこが明確にならなくなったのです。これではこの先、まだ続くであろう人生で様々な出来事に会った時、私は果たしてそれらを乗り越えていく事が出来るのだろうか。
そういう事から、私の学びの範囲は仏教そのものへと広がり、また心理学等の書籍にも目を通し、果ては近年、欧米で話題となっている幾つかの書籍へと幅を広げて行きました。そしてその目的とは、簡単に言えば私が四半世紀近く信じて来た信仰(信心)に対する再評価という事になっていったのです。
そんな事を十年近く行った時、未だ明確とは言い難い処もありますが、実は日蓮の唱えた一念三千を初めとする大乗仏教、これは主に天台大師の教学的な事を基礎としていますが、それと法華経という事について、それまで創価学会で教わった事とは異なった観点で学ぶ事が出来ました。
またそれを理解してより、自分の人生のこれまでの来し方、またそこで得たという数々の信仰体験についても、別角度の観点を理解する事も出来ました。しかしそれは創価学会で教わった事とは別の角度の事だったのです。
◆改めて本尊について考察してみる
まず初めに、文字曼荼羅を御本尊と呼んで、創価学会や日蓮正宗などは、信仰の中心に据える様に教えていますが、これは果たして日蓮の考えていた本尊観と同じ事なのでしょうか。

そもそも本尊とは何か。これは「根本尊形」という言葉の省略系です。
この本尊には一般的に以下の役割と意義があると言われています。
・信仰の中心:礼拝、祈願、修行の対象
・教義の象徴:宗教の思想を体現
・救済の媒介:仏と衆生を結ぶ存在
・修行の導き手:道を示す存在。
ちなみに天台宗や日蓮宗、日蓮正宗などでは三重構造として捉えられています。
・名(名称):仏の教えや名称
・体(実体):その名が指し示す本質
・用(働き):救済する力用
◆日蓮の考えた本尊について
では日蓮がこの本尊についてどの様に考えていたのかですが、その事については「唱法華題目抄」に述べられています。
「答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」
まず本尊は「題目」とすべきであり、その意義は法華経の法師品と神力品に見えると言いますが、これは以下の部分かと思います。
「薬王、在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います。」
(妙法蓮華経法師品第十)
ここでは薬王菩薩に対する言葉として、「経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て」とありますが、この七宝はお題目の意義と読み取っての事でしょう。そしてこの七宝には「此の中には已に如来の全身います」と仏の全身が含まれているとあります。
「所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。」
(妙法蓮華経如来神力品第二十一)
この神力賓では、法華経を受持・読誦・書写する修行の場、また経巻所住の処には「塔を起てて供養すべし」とありますが、この塔は宝塔を指していますので、先の法師品と同じ意義があると読み取れます。
そして唱法華題目唱では「たへたらん人は」とあり、これは「余裕がある人は」という意味で、そうであれば釈迦仏や多宝仏を書いても像として造り置いても構わないといっています。
先の本尊の四つの意義、また本尊の三重構造という事から考えても、日蓮の本尊観とはあくまでも法華経八巻かお題目を中心にするという事が示されていますが、余裕があるならば釈迦仏等の仏像を置く事も構わないというものであったのでしょう。
日蓮自身も釈迦立像を随神仏として所持していた事を考えても、日蓮の考えていた本尊観とは、こういう内容であったのではないでしょうか。
◆観心の本尊
そんな日蓮は龍ノ口の首の座を辛くも生き延びて、相模国依知の本間邸に在留の時、初めて文字曼荼羅を認めたと言います。これが有名な「楊枝本尊」です。

伝承によればこの「楊枝本尊」ですが、佐渡出立の前日、誰人に請われたかは不明ですが、柳の枝をほぐして筆にして、自ら顕した文字曼荼羅と言われています。
興味深いのは、先の唱法華題目唱では「題目を書いて本尊と定む可し」と述べていましたが、この楊枝本尊には愛染明王と不動明王の2尊が左右に梵字で認められている処です。
ちなみに日蓮は建長六年六月に「不動・愛染感見記」をしたためたと言われていますが、これは偽書だと日蓮正宗に判断され、現在の御書全集から省かれています。(創価学会ではそこまで見解も無いと思うのですが、そこはどうなのでしょうか)
日蓮は佐渡流罪以降、この文字曼荼羅について検討を重ねて行った事が、現存する日蓮直筆の文字曼荼羅123体を拝見すると判りますが、この文字曼荼羅については「観心の本尊」と呼んでいます。(中には少し違うかなと思う曼陀羅もありますが)
先の唱法華題目抄では本尊と呼び、その構成等を語っていましたが、何故この文字曼荼羅を「観心の本尊」と呼んだのか。そこは「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」に認められているのではないかと、私は推察しています。また日蓮は佐渡の地でこの観心本尊抄をしたため、そこから文字曼荼羅について検討を重ねましたが、門下にはぞれまでと変わらずに、釈迦仏を本尊とする事も許容していました。それは例えば「木絵二像開眼之事」が建治二年三月に、また同年七月に四条金吾に対して「四条金吾釈迦仏供養事」を認め、その意義についても語っている事からも解ります。
あとこれは以前に聞いた話なのですが、日蓮から文字曼荼羅を授与された尼は、常に文字曼荼羅を奉掲していたのではなく、今で言う会合の様な時に文字曼荼羅を出して奉掲し、それ以外は大切に折りたたみ保管をしていた様子があると言うのです。それは現存する文字曼荼羅に、折りたたんでいた折り目がついていた事から判るというのです。
以前に第二次宗門問題の当時、大石寺の第十七世貫首であった日精師の「造仏(釈迦仏造立)」を、いかにも大謗法だと創価学会では責め立てましたが、そもそも当時の日興門流の中心寺院は京都要法寺であり、要法寺においては日辰教学が中心となっていて、そこでは「造仏論議 読誦論議」というのが中心となっていました。
この事からも単に釈迦仏を造立した事が、日蓮の本意に背く謗法行為では無かったと思われるのです。
また創価学会では戦後に行った「折伏大行進」で、この日蓮の文字曼荼羅を大量に国内を中心にばら撒きました。日蓮は観心本尊抄送状で「此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す」と述べているにも関わらずです。しかもこの観心本尊を「幸福製造機」と第二代戸田会長は呼んで、まるで祈りの叶う護符の様な扱いをしている事は、日蓮の本意とは全く異なる事ではないでしょうか。
今回は、この事から日蓮の文字曼荼羅について、もう少し考えてみたいと思っていますので、よろしくお付き合いください。