自燈明・法燈明のつづり

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創価学会の本尊について③

さて、この観心の本尊について「観心した内容の本尊」と前の記事でも書きましたが、日蓮はこの観心で何を観るのかと言えば、それは己心の中に一念三千について観る事を言っています。

◆一念三千について

この一念三千ですが、今でこそ日蓮正宗創価学会で少し教学を齧った人間であれば、当たり前の様に語る人もいますが、日蓮のいた当時、これは表に出ている教義ではありませんでした。この事について、日蓮観心本尊抄の冒頭で述べています。

「問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わず等云云、問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く之れ無し、問うて曰く其の証如何、答えて曰く妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす並びに三千を以て指南と為す」等云云、」

ここでは妙楽大師の言葉として紹介していますが、天台宗の魔訶止観にも明かされておらず、妙楽大師の様々な解釈論でも名前を明かしていない。これは観法と言いますが、魔訶止観で内観の修行について明かされていますが、その時に指南(手解き)として一念三千を教えているとあります。

開目抄で「竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」と述べたのも、こういった事があっての事なのでしょう。

この一念三千ですが、図示すると以下の内容になります。

まず構造的な話ですが、十界にそれぞれ十界が具わります。これを十界互具と呼んでいます。そしてこの十界互具で百界になりますが(10×10=100)、ぞれぞれの法界に三十種の世間があるとあります。これは三世間(五陰・衆生・国土)と十如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究境等)が合わさった世間を指します。これで(100✕30=3000)となり、これが一念三千と呼ばれています。ちなみに十如是についても以下に図示したものを載せておきます。

日蓮観心本尊抄の冒頭で述べた一念三千の構造とは、概略するとこの様な内容となります。

この内容ですが、日蓮が妙楽大師の言葉として明かした様に、これは内観の修行を行う際の手解きとして教えている内容とありました。これは恐らく人の中の心の働きや構造をイメージしやすくするための理論であり、これがそのまま心の構造なんだという事ではないと思います。

まず十界互具については何を指すかと言えば、十界論は人の心に具わる境涯を分類した理論で、天台宗の文献としては「仏祖統記」にまとめられています。この十界論は創価学会等で少し教学を学んだ人なら知っていますが、ここでは十の境涯がそのまま個別に語られるにすぎません。しかし人の心というのは、その様な単純な動きをするものでは無いのです。ちなみに観心本尊抄では以下の下りがあります。

・世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや(人界所具の二乗)
・無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり(地獄界所具の菩薩界)

これは私達の日常の心の働きでも同じ事がありますよね。つまり瞬間の心の中にある境涯の動きというのは、単純に十界論を縦割りの理論で語る事が出来ないのです。

また十界互具では仏界も他九界と同様に横並びに見られてしまうのですが、これも実は少し違っているのです。日蓮はこの事について「但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」と述べていて、十界の境涯論で仏界の姿を語る事は難しいと言っていますが、この仏界の事について、もう少し掘り下げて考えていきます。

この事について本抄では「玄義第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」等云云」とありました。これは法華玄義にある言葉ですが、やもすると読み飛ばしてしまいます。十界互具で言えば「一法界に十法界を具すれば」となるところを、あえて九法界となっています。実はここで十界のうち、仏界を除く九界という様な事を指していると私は解釈していますが、その前提は以下の考え方に拠っています。

日蓮は本抄の中で以下の言葉を述べています。

「答えて曰く法華経第一方便品に云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云是は九界所具の仏界なり」

ここでは方便品で「人々において仏の知見を開かせようと欲している」という言葉があるが、これは九界の中にある仏界を知見させようとしている事を指しており、それは九界所具の仏界だと言うのです。

寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来甚大に久遠なり寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず諸の善男子我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云此の経文は仏界所具の九界なり

また如来寿量品には「この様に私は成仏してから甚だ久遠なのである。寿命は無量阿僧祇劫であり、娑婆世界に常住して滅する事は無い。諸々の善男子よ、私は本から菩薩の道を行じてえたところの寿命は、いまだ尽きずにまた倍の寿命がある。」とありますが、これは仏界所具の九界だと言います。

また開目抄には以下の言葉もありました。

「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし」

これらを読むと、仏界と九界は相互に具わる関係性を持つものであって、けして仏界を他の九界と同じ様に語る事は出来ないという事が解るのです。また日女御前御返事には以下の言葉もあります。

「この御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」

これは仏界とは九識心王真如の都、つまり九識論の「阿摩羅識」を仏界だという意味にも読み取れますので、ここから考えてみると、仏界というのは私達の心の動きを作り出す根源でもあり、その働きとは九界(地獄界から菩薩界)の姿として現れてくると捉えても良いと私は考えています。

この様に一念三千とは十界互具・百界千如・三世間という事で語られてはいますが、単純に十界にそれぞれ十界が具わる、という様な数学的な構造ではないという事は、理解しておく必要があると思います。

重要な事は、私達の心の働きの奥底に、実は仏の境涯が具わっているという事を、この理論では指し示しているという事で、その上で三世間(五陰世間・衆生世間・国土世間)への広がりも、私達の心の働きの中に具わっているという事を述べている論だと言う事です。