
文字曼荼羅(本尊)について思索を続けます。
ここでは「創価学会の本尊について」としていますが、これは私が日蓮の文字曼荼羅を「御本尊」として理解した事から、この様な題名としています。創価学会の中で私はその様に教わりましたからね。
そして創価学会ではこの文字曼荼羅を「全ての祈りを叶えるお札」の様に教えて、会員は選挙の度、また折伏という新規会員の勧誘の度、また日常生活でもこの文字曼荼羅にお題目を「呪文(マントラ)」の様に唱える様に指導し、会員もそれに依存をして生きています。
私は別に依存をするのは構いませんが、そうであればしっかりと「本義(本来の意義)」を理解してから、依存を考えて欲しいと常々思うのです。
ただ恐らく日蓮はそんな事を一つも求めていませんし、文字曼荼羅はその為に顕したわけでもないのです。
その事について、少しでも理解して欲しいと念願しています。
◆一念三千の有情と非情について
本抄の中で、この一念三千について以下の様に書かれています。
「問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る」
つまり百界千如(十界互具✕十如是)と一念三千に何か差があるのか、という事に対して、百界千如は有情界と言って、ここでは生き物に限る事と言い、一念三千は有情と非情の両面にわたると述べています。
この百界千如と一念三千は何が違うのかと言えば、一念三千は百界千如が三世間に渡る事を指しています。そして三世間とは「五陰世間」「衆生世間」「国土世間」の三世間を指すというのは前の記事でも説明をしましたが、まずこの三世間について説明します。
「五陰世間」とは個人の心の中の世界と言っても良いでしょう。仏教では人は五つの要素が仮に和合して、それが一つの個体として現れていると説いています。この五つの要素とは「色(物体的な体)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(意思に基づく行動)、識(認識作用)」で、この五要素により形作られた世間(区分け)、これを五陰世間と呼んでいます。
「衆生世間」とは、個人が集まり集団となった世界と言っても良いでしょう。これには家族という単位もあり、地域社会や職場社会、また学生などが属する学校という社会も衆生世間の括りと言えます。この様に「衆生世間」には様々なレベルもありますが、人々が集団となり形作られた世間、これを衆生世間と呼んでいます。
「国土世間」とは衆生の住む環境全体の世界と言っても良いでしょう。国土と呼んでいますが、衆生世間が存在する場所にある草木や石などもこの範疇に含まれます。先の五陰世間や衆生世間とは、生物個体や集団の事なので有情と呼んでいますが、国土世間は有情ではなく、その有情の住んでいる環境であり非情(非生物や物)の事を指すのです。
確かに生き物であれば、個人であれ社会であれ、そこには十界互具・百界千如というのは見て取れます。しかし草木や土地等には、この十界互具・百界千如というのは存在しません。何故なら草木が怒りの感情を露わにして動き出したり、石ころが文句を言いながら人に絡んでくるなんていう事はありえないでしょう。
しかし一念三千の論からすれば、こういった非情の世間であったとしても十界互具や百界千如も成り立つと言うのです。
これはどういう事なのでしょうか。
この事について日蓮は本抄で以下の様に説明しています。
「答えて曰く此の事難信難解なり天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり」
天台大師に拠れば、法華経には「教門の難信難解(教学として信じ難い事)」と「観門の難信難解(信仰として信じ難い事)」があると言います。
「教門の難信難解」とは釈迦の一代説法で相反する事があり、具体的には二乗作仏と久遠実成の事を云います。要は釈迦はこの世界で苦行の末に悟りを開いたと言い、二乗は成仏する事は叶わないと言っていたにも関わらず、法華経では既に元(久遠の昔)から悟りを開いていたと云い、二乗が成仏できる事を明かした事だと言います。
「観門の難信難解」とは非情(物)にも色心の二法があるといい「色:物質的な側面」と共に、そこには「心」があるとして、それも一念三千の範疇に入るという事を云っているのです。
しかし非情に一念三千があるというのは、中々理解し難い事なので、この事について「観門の難信難解」に当たります。
この観門の難信難解について、本抄では以下の様に述べています。
「観門の難信難解は百界千如一念三千非情の上の色心の二法十如是是なり、爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり、」
ここでは木絵の二像という事について説明していますが、外道(仏教以外の宗教)や仏教においても絵や像に刻んだすがたを本尊としています。ここでは「其の義に於ては天台一家より出でたり」とありますが、これは何も天台大師が決めたから出て来た事ではなく、天台大師が意義を明確に示したという事でしょう。
それはつまり「草木の上に色心の因果を置く」と述べていますが、草木(非情)で作られた仏菩薩の像であっても、そこに体(色)と心の因果とありますが、そういう意義がしっかりあると捉えて行かなければ、その本尊を護持し祈ったところで無意味であると言っているのです。
つまり非情の上の一念三千とは、その非情を見る主体側、この場合は祈りをささげる修行者や信徒側の味方や考え方によって、そこに一念三千の当体になるか、ならないかが決まるという事だと言えるでしょう。
有情(生き物)の場合には、それぞれが主体的かつ能動的に心の働きを瞬間瞬間に起こし、それは百界千如という形で見る事が出来ますが、非情(物)の場合には、その物に対してどの様に主体側が捉えるかによって異なってくるという事なのです。つまり仏像を見ても「これは単なる物でしかない」とみるのであれば、それは物に過ぎず、そこに仏の姿や存在を観る事ができた時、その非情は仏の力用を持つ一念三千の当体にもなるという事なのです。
ちなみに余談程度の話ですが。

仏教史で仏像が出現したのは、紀元50年頃から紀元75年頃に現在のアフガニスタンのカンダハル周辺にあったガンダーラ文化からだと言われています。
当時、アレクサンダー大王の東征以降の時代になりますが、このガンダーラにはギリシャ人が住んでおり、ヘレニズム文化を持った人たちが住んでいました。そんな彼らが仏教を学び信じる中で、釈迦に会いたかったという恋慕の思いから仏像を作り上げたと言われています。それまでの仏教教団では「獅子座」という台座を中心にして、修行や儀式が執り行われており、それまで仏教では釈迦の偶像を作るという考え方はありませんでした。しかしギリシャ人は、像を作る文化を既に持っていたので、彼らの自然な思いの中で仏像は作られ始めたと言われています。この事からも「其の義に於ては天台一家より出でたり」とは言っても、仏像を作ったり絵画で仏菩薩を作るという事は、天台宗から始まったという事では無いのです。天台大師はそういった人の作り出した物について、一念三千の上で定義をしたと言っても良いと思います。
創価学会だけではありませんが、大石寺等においても自分達の団体が印刷した文字曼荼羅を「御本尊」と呼び、それがあたかも魔訶不可思議な力用を持つ「仏」の様に捉えていますが、その文字曼荼羅に意義を与え、あまつさえ力用を与えているのも、その文字曼荼羅を護持し、祈る側の人達だという事です。
よく文字曼荼羅を破却し処分する事を「御不敬」と呼び、それを行ったら仏罰があると言いますが、それは飽くまでも文字曼荼羅を「御本尊」と信じているからこそ成り立つ考え方なのです。例えば創価学会の謹製した文字曼荼羅を「単なる安い巻物ではないか」と心底感じてしまった人にとっては、それは仏罰を発生させるものとはなりません。
またもう少し思索の枠を広げて言えば、創価学会の文字曼荼羅も形式上として日蓮の観心の本尊の意義は具わっていると思います。しかしそれを「観心の本尊」とするのか、もしくは「祈りを叶えるお札」としてしまうのか。そこも文字曼荼羅に相対する人によって異なってくると思います。また人によっては「祈りを叶えるお札」にもならない「無用の長物」になってしまうかもしれないのです。
この事も「観門の難信難解」に纏わる事だと思います。