
以前にNETFLIXですかね、「PLAN75」という映画をみました。
この映画は2022年公開で、日本・フランス・フィリピン・カタールの国際共同制作で、監督・脚本が早川千絵、主演が倍賞千恵子の映画でしたが、近未来の日本の物語です。
この物語の中では、75歳以上の高齢者が自らの死を選択できる制度「プラン75」が施行されます。報奨金10万円や合同葬の無料提供などを含み、社会的には高齢者対策として受け入れられていきます。
主人公である角谷ミチはホテル清掃員として働いていましたが、高齢を理由に解雇され、生活に困窮していき、やがて「プラン75」の申請を検討する様になります。一方、制度の窓口職員のヒロム(磯村勇斗)や、申請者の相談を受けるコールセンター職員瑤子(河合優実)ら若者たちは、制度の倫理性に疑問を抱き始めます。それぞれの「ざわつき」が静かに描かれ、顧客に高齢者と生き方について問いかける作品でした。
私も気が付けば間もなく還暦になるような年齢になってしまいました。もう間もなく高齢者と呼ばれる世代に私も入っていくんですよね。
両親は既に鬼籍に入ってしまい、兄は居ますが既に還暦を過ぎた年齢になっています。職場でも仕事以外の雑談の中では、定年退職後の事とか再雇用の事、また年金を初めとして老後の生活資金の事が、仲間内では何かと話題に上る様になってきました。
若い時、そうですね二十代から四十代初めまでは「何時死んでも構わない」なんて考えていて、生活パターンもかなりめちゃくちゃな状態で生きてきました。平日は仕事と創価学会の活動に没頭し、土日は朝から晩まで出っ放しの生活。睡眠時間は平均で3時間から4時間程度で、食生活などはかなり乱れてもいました。
この当時は、自分が先々老化とか高齢者になるなんて、頭では解っている自模りでしたが、実感なんて全くありません。
その影響もあってか、これはこのブログでも以前に少し書いた様に、四十代半ば以降から様々な病気を患う様にもなってしまい、極めつけは三年ほど前に会社の健康診断で大病が発覚、たまたま早期だった事もあり、1週間の入院・手術を経て現在は半年に一回の経過観察中の体にもなってしまいました。
ふと気づくと、創価学会の男子部時代に一緒に活動していた仲間の中でも、四十代から五十代で鬼籍に入った人も居たり、当時お世話になった先輩の中にも鬼籍にはいってしまった人も幾人か居たりします。
そういう話しを耳にするたび、何か寂しく感じるんですよね。
そんな状況なんですが、先日、ネットで以下の記事を読みました。
この記事を書いた人は、神奈川県立がんセンターの元泌尿器科部長だった人で、1000人以上のがん患者を看取ってきたと言います。そして自身が「外来診療の際に聴診器に違和感があり、首を触ったら右側にしこりがありました。超音波検査で悪性のリンパ腫と診断されました」とある様に、3年前から闘病生活を送り始めたそうで、その闘病生活を通じて「がんで死ぬのは悪くない」と思う様になったというのです。
「治療できましたが完治ではなく、再発すれば余命2年と診断されています。がんになること自体、免疫力低下のサインだから簡単には治らないとわかっています。それでも死を身近に感じたことで、『がん死』には多くの“特権”があると思うようになりました」(三浦さん・以下同)
「最大の特権は切り替えができる」ことだと続ける。
「年をとってがんになると、先が見えるので多少悪化しても病院で頑張る必要がなく、“しょうがない”と気持ちを切り替え、楽しいことややりたいことに向かえます。でもほかの病気は“助かるかもしれない”と入退院を繰り返し、結果的に状態が悪くなるケースも少なくない。そこが大きな違いです」
これらの言葉を読んでいて、ふと三年前の自分の状況を考えてみました。
当時、健康診断で「恐らく癌でしょう」と告げられ、地元の病院で精密検査を行い、そこでの結果は「初期の癌です」と診断が下されましたが、これまでの期間、約三週間ほどの間には様々な事を考えました。
でもそこで考えたのは、主に家族に対する「責任」というか「義務」というか、そういった類の事が大半だったんですね。子供の学業の為にまだまだ収入が必要だし、自分が居なくなったら、一体誰が収入を確保できるのか。そういった事が頭の中を渦巻いていきました。あと残りの部分としては、自分はまだやりたい事があるとか、まだ死ぬのは早すぎるなんていう事も考えたりしましたが、これら全てを一言で言うと「我執(自分自身への執着)」という事になるんですよね。以外と小さかったのは、私という存在がこの世界から消えてなくなってしまうという事に対する恐怖心でしょうか。
結果として、初期の癌であった事もあり、入院・手術で一週間で治療はひとまず終わり、今は半年に一回の経過観察となっています。
先の記事の医師はこう語っています。
「がんになる前は90才まで生きる前提で老後資金をため続けていたけど、死を意識すると老後の不安が消え、いかに有意義にお金を使うか考えるようになりました。いまは全額使い切るつもりで、寄付やクラウドファンディングへの支援を前向きにしています。
都合のいい話ですが、70代あたりでがんを患い、先を考えて元気なうちに、余生を有意義に過ごせるようになれば最高でしょうね」
今の私はこの医師ほど腹を括れてはいませんが、やはり残りの人生をどう生きていくべきなのか、そんな事を良く考える様になりました。
ちなみに古代インドのバラモン教では、アーシュラマ(四住期)という事で、バラモン(祭祀者)、クシャトリア(王族)やヴァイシャ(商人)の男性に対して以下の人生サイクルが理想とされてきたと言います。
◆学生期:8歳から25歳
師のもとでヴェーダなどを学び、精神と身体を鍛える修行期。禁欲が求められる。
◆家住期:25歳から50歳
結婚し家庭を築き、子を育て、社会的・宗教的義務を果たす時期。
◆林住期:50歳から75歳
家族や社会的責任から離れ、森に隠棲して瞑想や修行に専念する準出家期。
◆遊行期:75歳以上
一切の執着を捨てて出家し、乞食遊行しながら解脱を目指す最終段階。
これから考えてみると、今の私は林住期に近くなってきていると思いますが、まだ会社で仕事をしている状況なので、「社会的責任から離れ」という事にはならないと思います。
人生を飛行機のフライトで考えたのであれば、今の私は到着地に近づき「着陸態勢」を整える段かいに近いのかもしれません。そこでは着陸に向けてのイメージとか、そこで発生する様々なトラブルを想定しつつ、如何にランディングポイントに向けて飛行機の姿勢制御を整えていけるかという事です。
この人生とは無限の時間の中にある訳ではなく、有限の時間の中の事なので、ランディングに向けて様々な事に目配せしつつ、取り組みを始めなければならない時期に来ている事を最近実感しています。
その為に、私は今、日蓮の御書を中心にして様々な事を学んでいる処なのかもしれません。