自燈明・法燈明のつづり

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創価学会の役職について(4)-地区リーダー

さて、班長の事を書きましたが、この班長は1年間やっていました。

そして1年経過したある時、私の処へ部長が訪ねてきました。この当時、部長とは部活や朝勤行会で会う程度でしたが、いきなり来たのには少し驚きました。何事なのかと部長に聞くと「斎藤、お前つぎ地区リーダーやらないか?」という話しをしてきました。

当時の男子部では月1回から2回、支部単位で活動者会を行っていましたが、それ以外は週1回程度「地区活動者会」を行っており、要は当時の男子部の活動組織の最小単位が地区であり、その責任者が地区リーダーという立場でした。

この当時、支部内の今まで居た地区リーダーが一斉に男子部から壮年部へ移行する事になり、私の地区の副リーダーもこのタイミングで地区リーダーとなる事、また学生部の時の先輩も学生部から男子部に移ってきた事もあり、その先輩も地区リーダーになると言うのです。あと引っ越して来た男子部も地区リーダーになるので、支部として心機一転の人事の中で、私の地区リーダー人事の話が出てきたと言うのです。

確かに班長の1年間で、創価班大学校の活動で御本尊授与は1世帯出来ていましたが、班長経験が1年程度でしかも年齢が当時21歳でした。私以外にも他の地区には経験豊富な班長がいるのに、そんな人事は無いのではないかと思いました。
しかし部長が言うには、どうせ部として新体制になるのであれば、若い人材を登用した方が良いだろうという事だそうです。確かに21歳で地区リーダーになるのは県の中でも前例無い事で、恐らく私が県内(分県内)で最年少の地区リーダーになると言うのです。

この部長は私を創価班大学校に突っ込んだ人物なので、何を言っても通じないんだろうなと思いましたので、面接を受ける事にしました。

◆面接について

地区リーダー面接は本部の面接と区の面接の2回ありました。本部の方は面接というよりも本部長と懇談的な話でした。

地区リーダーになると、地区協議会に参加して、その仕切りをする立場になります。班長という立場では壮年部や婦人部と直接絡む事はありませんが、地区リーダーになると地区四者(壮年・婦人・男子・女子)の要の立ち位置にもなりますし、地区座談会にも必ず参加しなければなりません。あと特に壮年部の地区部長とは密に連携を取る必要も出てきます。

また男子部の活動では、折伏や新聞啓蒙、あと会合の結集についても目標を設定し、その目標に対する責任も問われます。要は「お前!何時までやるんだ!」と部長や本部長から詰められる訳です。また地区活動者会も企画しなくてはならないので、組織活動量は班長とは格段に違ってくるのです。

この当時、地区の男子部統監数はだいたい25名から30名程度いました。また地区には幾人かの班長がいますので、その班長の面倒も見なくてはならないので、自分だけ頑張る、という事では無くなってしまうのです。この当時は地区班長会というのもやっていましたからね。。

地区リーダーとはこんな立ち位置なので、本部長面接では「斎藤は若すぎるから、名目としては地区副リーダーでも良いかもしれないな」と本部長からも言われましたが、個人的にはそんな事はどうでも良いだろうと思っていました。

さて、その次が区男子部長面接ですが、そこでは班長とは異なり、様々な事が突っ込まれて聞かれました。例えて言えば班長の時の本部長面接の様な感じでした。

「斎藤君!君は今回地区リーダーしてもらうからな。県内で最年少というのはそれだけ組織は君に期待しているんだぞ。もし君がこの年齢で地区リーダーになれば、男子部卒業の時には神奈川県の大幹部に成っているかもしれないなぁ」

私は別に幹部になんてなりたくないし。何だか訳解らない事を言っているな、と思いながら区男子部長の面接は終りました。

◆地区リーダー任命

班長とは異なり、地区リーダーになると人事紹介は四者の区活動者会の場で紹介されますし、タイミングによっては男子部の区活動者会で紹介される事もありました。

要は男子部の要の一つの役職だったんですよね、地区リーダーって。

人事紹介の後、私は派遣(統監のある地区とは別の地区)なのですが、その担当する地区の地区部長宅には挨拶に行きました。この地区では地区部長の奥さんが地区担当員(今で言う地区女性部長)で、借家住まいですが、子供も2人いて仲の良い御家族でした。

「斎藤君、ご飯食べていないでしょ?食べて行きなさい」

地区担からそういわれ、晩御飯を御馳走されながら、地区部長とは様々な話をしました。地区部長が男子部の時の活動の事、その他諸々、色んな話を聞かせてもらいました。

◆地区リーダーの活動

任命以降、週1回、部地区リーダー会が部長宅で22時から行われていたので、そこに出席する事になりました。そこでは地区の状況とか活動に対する取り組み(目標と現状)について、地区の責任者として細々詰められる事にもなって行きました。

地区になると、例えば活動の目標などについても、自分ひとりだけではなく、例えば班長や地区の活動家のメンバー毎に、どの様にアプロ―チして、どの様に男子部の活動に巻き込んで行ったら良いのか、個人ではなく組織としての観点をどうしても求められてくるのです。また地区の男子部の状況についても、可能な限り掌握に勤める必要がありました。

自分だけならば良いのですが、人に動いてもらうのはとても大変な事なのです。

また地区活動者会や班長会なども、自分で設定しなければならず、初めて地区リーダーとなった地区には班長が2名いましたが、一人は一歳下の若い班長で、もう一人は30代半ばの「一人親方」の建設業の職人でした。この人の事で私は様々な問題に関与する事にもなっていきました。

この当時、ちょうど「ポケットベル」が普及し始めた時でしたので「斎藤もポケットベルを持て!」と言われ、これによって何時でも何処でも「ピー・ピー」とポケットベルで部長や、偶に本部長から呼び出される事にもなったのです。

この地区リーダーになってからは、徐々に自分の時間が獲りづらくなって行き、平日は23時までは自宅には帰れないという日々でした。これにより私の生活は、仕事で残業の為に深夜帰宅か、残業が無い日は男子部の活動に時間を費やすのか、何れかの生活パターンとなって行ったのです。