
さて、もう少し地区リーダー時代の事を続けます。
今回書くのは少しセンシティブな感じの内容なので、本筋は変らない様に書きますが、かなりぼかして書かせてもらいます。
私が最後に地区リーダーをやった地区では、地区部長が途中で代わり私の先輩が地区部長となりました。年齢は39歳でした。私が地区リーダー五年目の頃の男子部の卒業年齢はだいたい40歳から42歳位になっている中、39歳とは異例の年齢でした。
私が地区リーダー時代、その先輩は男子部で区青年部長、創価班では県幹部をしていました。私の周囲の下馬評ではないですが、この先輩は次の県男子部長になるのではないかという人で、仕事も大企業勤務で管理職をしており、頭の回転も良く、私などは良く叱られもした先輩でした。それが何があったのか、いきなりの人事発表があり、壮年部へ一足先の卒業という事になったので、私も私の周囲の男子部の仲間も、実に訝しく感じだ人事でした。
その先輩とは私が高等部の頃から、何かと知っている先輩でもあったので、地区部長になった事を聞いて、さっそく連絡を取って活動の終わった夜に地区部長の家へ伺いしました。
途中、コンビニエンスストアでビールと御つまみを購入し、地区部長宅に行くと、地区部長はテレビでドラマを見ていました。
「おー、斎藤君か、よく来てくれたね。まあ上がってよ」
この先輩とは十年近くの付き合いもあるので、遠慮なくお宅にお邪魔しました。
「〇〇さん(地区部長の名前)って、この時間にドラマを見るんですね」
私が何気なく言うと、その先輩は「こういうドラマを見るのも社会勉強なんだよ。」と言いました。そのドラマは連続ドラマで刑事事件物でしたが、男子部で活動していたらまず見る事が出来ないドラマです。(この時間帯に家に居る事はないですからね)先輩は社会の事を知るのも大事なんだと笑いながら話してくれました。
「これから地区部長なんですよね、よろしくお願いします」
ビートを差し出しながら言うと、「こちらこそよろしくね」と、ちょっと寂し気な表情で返してくれました。その後はお互いの近況の事とか、地区の男子部の事、また最近の男子部の状況についても様々な話をしたのですが、その中で私は少し話を振りました。
「本来なら県幹部になると思っていたのに、何故壮年部に卒業したんですか?」
すると先輩はビールを一口飲んで言いました。
「こういう話しはあまりする事では無いんだけど、斎藤君なら少しくらい良いかな」
そんな言葉を前置きして語ってくれたのは、その先輩と当時の全国男子部長との間のやり取りの話でした。
当時はちょうど宗門問題の最中であり、御本尊流布というのが出来ない時期でした。その中で男子部としては「オープンハウス大学校運動」というのをやっていたのですが、先輩によれば当時の打ち出しとして、その運動の中で如何に自分の組織の人材を育成していくのか。そして五年後、十年後の人材をいかに育成していくのかが大事な時であると、男子部総体で打ち出しをしていた時期だったのです。
だからその先輩は毎晩一生懸命、自分の区の人材像を考え、検討していったそうです。それこそ寝る間を惜しんで男子部の執行部とも検討を重ねたと言うのです。
そんなある日、朝廷暮改の様に男子部の方針が全国的に変更になりました。
もうそれまで語った人材育成はどこへやらで、男子部の活動方針が全く違う方向性になってしまったというのです。そこで先輩は県男子部長に食いついたそうです。要は「必死に考えろと打ち出ししたのに、あっさりと方向転換する事には納得できない」という事で、県男子部長に一歩も引かずに食いついたというのです。
するとある日、県男子部長から連絡が入り「〇〇(先輩の名前)、明日、地元の会館に全国男子部長が来るから指導を受けてこい!」と言われたそうです。そこで先輩は翌日、その会館に出向いて全国男子部長と面会をしました。
そこで男子部長には十年先の組織の陣容を考えた時に必要な人材群、その為に男子部の打ち出しに即した人材育成の内容について語ったそうです。すると途中から全国男子部長はイラついた表情をし始めたそうで、先輩が説明を終わると男子部長は一喝したというのです。
「ごちゃごちゃうるさい奴だな!言われた事をやりゃ良いんだよ!だいたいそんな面倒くさい事、誰がやれって言った!」
すると先輩はすかさず言ったそうです。
「それは〇〇男子部長!あなたではないですか!あなたが方針として打ち出したから、私は夜も寝ずに仲間と必死に検討を重ねて来たんです!」
その剣幕に押されたかどうか、そこは解りませんが、男子部長は眼を丸くして黙ってしまったそうです。
その後、先輩は会館を後にしたのですが、胸の中は全然晴れずにいたそうです。そしてそれから三か月またず、壮年部への移行人事があり、地区部長に任命されたという事でした。
「まあ、体のいい粛清かな。大人しくしていれば良かったんだが、どうも言わずにいれなかったんだよな。これで僕の創価学会の中での政治生命も終わった様なもんだ。」
これが先輩の言葉でした。
「斎藤君は、組織の打ち出しには大人しくした方が良いぞ。そうでなければ僕みたいに政治生命を絶たれるからね」
これは半分、冗談めかしに行っていましたが、私は「別の俺は創価学会の中で政治生命なんて求めてませんのでご心配なく。別に学会から給料も貰っている訳ではないですからね。」と返しました。
この先輩とはその後一年近く、地区部長と地区リーダー。また部長として関係をしてきました。ただ偶にふと寂し気な顔を見せる事があり、語ってくれた出来事が先輩の中に大きな傷として残ってしまったのでは無いかと感じたりもしました。この先輩から聞いた事は、私は組織の中では誰にも話しをしませんでした。恐らく当時の支部長は知っていたみたいですけどね。
その後、その先輩は転勤という事で離れた他県へと引っ越してしまい、その後の動向は良く解りませんでした。しかし少し前に、ふとした事で名前を思い出し、Googleで検索を掛けてみたら、仕事をしていた会社で出世したらしく、何やら事業部長という肩書で仕事をされている事を知り、何か懐かしく思い出してしまったのです。
ちょっとぼかして書きましたが、当時はオープンハウス大学校という活動の走りはじめの時期で、方針が良く変更された時期でもありました。そんな中、その先輩は生真面目にも一生懸命考えて動き過ぎてしまったのかもしれませんね。
ここで全国男子部長と書きましたが、それが誰なのかについてはここで書きません。でも私はその先輩からは、様々な事を教えても貰いました。だから今があるのかもしれません。そしてその教えられた中では、「組織の中の政治生命」について、実は大して事では無いという事、また物事を考える時には、しっかりと考え抜く事が大事であるという事を教えられた記憶があります。「一念に億劫の心労尽くせば本来無作の三身念念に起こるなり」という言葉はその事を言うのだ良く言われもしました。
ただ一つ残念な事は、社会の中でもしっかり実証を示した人材を、まるで手駒の様に扱う職業幹部の存在。これは地区リーダー当時、少し驚きもしました。創価学会の中で、池田先生に近い立場にある人物に、そんな人がいるという事。そして実は真面目にやればやるほど、創価学会の役職とは報われないという事が、この創価学会の中にはあったという事実。この先輩はそういった創価学会の姿を、実によく私に示してくれたと思いました。