自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

パレスチナ問題から考える事

今日(11/02)はちょっと一人でお出かけをしてきます。

その前に最近、「パレスチナ問題」を見ていて考えている事を、少し書いてみたいと思います。

この発端は2023年10月7日に、イスラム組織ハマスイスラエル領内を奇襲攻撃し、その報復としてイスラエル軍パレスチナ自治区ガザ地区への空爆や地上侵攻を始め、現在では約67,000人以上の犠牲者を出しています。2025年10月、アメリカのトランプ大統領の停戦案に双方が合意しましたが、10月29日にイスラエル軍が、ガザ空爆を行い子供を含む100人超えの死亡者が出て「停戦違反があった」と言われ、続く10月31日に武器庫を狙い再びイスラエル軍はガザく空爆を行っています。

これに対して、世界では「パレスチナを国家承認しろ」という話しも出ていますが、これに対してスペイン、アイルランドノルウェー、等の主要国に続き、最近ではイギリスやフランス、カナダなども承認賛成の動きとなりました。

一方、イスラエルアメリカ、また親米・反イスラエル国家がこの事に反対をしています。

またドイツやオーストリア、韓国は棄権、日本は当面見送る方針としています。まあ今の日本は、実態的にはアメリカの従属国家であり、アメリカの意向を無視して動く事は出来ないでしょう。(ここは日本人として認識をしなくてはなりません。従属国であれば、単に現政権だとかで簡単にこういった事を解決するのは出来ないですし、正直、今の日本国民のに認識程度では、この従属国的な立場という問題を解決する事は不可能です。)

これに対して日本国内ではネット上でも「パレスチナ国家承認せよ」という動きもあり、実はアメリカ国内でも一説では国民の6割が国家承認に賛成だという話しも耳にします。

ただそもそもの話で、イスラエルの国土は元々がパレスチナの人達の土地であったものが、第二次世界大戦の時にイギリスの二重外交によってイスラエルパレスチナ共に「国家樹立」という空手形を切られたという歴史もあるので、果たして「国家承認」をしたらかと言って、簡単にこの紛争が収束する事は無いのではという憶測も出ています。

理由としてはパレスチナ側からすれば、元々は自分達の土地であり、そこにユダヤ人が割り込んで来て、強力な軍事力を背景として強奪された訳ですから、いまパレスチナの人達の居留区だけを国家承認したところで、果たしてハマス等のテロ行為が完全に収まるのかは誰も保障出来ないのではありませんか?

また一方のイスラエルにしても、そもそもパレスチナは自分達の民族の土地であったものが、西暦70年にローマ帝国との闘いでエルサレムが陥落してから近年に至るまで、このパレスチナの土地を追われ、「国家なき民族」として世界中に散らばり、辛酸をなめて来た民族です。それが第二次世界大戦後、漸く得られた自分達の「約束の地」で建国できた国家を手放すとも思えず、このイスラエル領内に自分達の事を脅かす存在となるパレスチナ人の存在が、果たして国際的に国家承認にされたからと言って、素直に容認できるのでしょうか。テロの脅威は国家承認されたからと言って、完全に無くなる事を、いま賛成している国家でもそこまで保障はしないでしょう。

一節にはイスラエルのネタニヤフ首相は、本気でパレスチナ人に対して「民族浄化エスニック・クレンジング)」をやる気だという話しも耳にします。

また国連(私は最近、連合国と個人的には呼称したいのですが)の場でも、アメリカがイスラエル側にいる間は、いくら多数の国家が「賛成」したとしても、アメリカが拒否権を発動すれば、その合議は国連決議として通らないのは周知の事実です。

アメリカという国家は、その実態としてシオニストが実権を握っている国であると言ってもいいので、常にイスラエルの支援国として動く事になるでしょう。だからこの「パレスチナ国家承認」が、実際に国連決議として実る事は無いと思われます。

このパレスチナの問題を見ると、私は何時も思う事があります。

それは第二次世界大戦の時に推定600万人がナチス政権下で虐殺された民族であるユダヤ人。私達の世代ではその悲劇を代表する物語として「アンネの日記」というのが広く読まれていましたが、そのユダヤ人が何故、いまパレスチナの地域で、今度はパレスチナ人に対して「ホロコースト」の様な行為を行っているのでしょうか。先日、ネット上であるユダヤ人の若い女性(高校生位でしょうか)が、パレスチナ人を虐殺する事を誇り、ネットで笑顔で発言している動画を見ましたが、それを見た時、私はとても救われない気分になりました。

日本人はこの事について、「相互理解を深める事で解決できる」という話しや、その為に「対話をして解決を」と言う事を言っていますが、果たしてそれだけで解決できる事なのでしょうか。

ユダヤ人にすれば二千年近く、世界各地に散らばりながらも、各地で差別をされ迫害される中を必死で生き抜いてきて、漸く手にした「国家」ですから、そこを死守したいという意識は、今の日本人では到底理解出来ない事だと思います。

またその根底には宗教間の対立も存在するでしょう。また様々な資本関係による思惑があるかもしれません。

そうは言ってもユダヤ人やパレスチナ人の、個々の人々はもう戦乱はこりごりだと感じている人も居ると思いますし、それは多数意見であったりするかもしれません。

しかし人というのは、個々の心のほかに「集団の心」を持っています。これを如実に表すのは「国家」という単位の言動になるのかもしれません。仏教ではこれを「衆生世間」と呼び、「五陰世間(個人の心)」とは違う次元の働きをするものと捉えています。

私が昔考えたのは「国家や国境を無くせば、人類は相互理解が可能な関係となり、共存できるのでは無いか」という事でした。しかしいま、人類社会は漸く人類の種として共存を模索できるレベルになってきましたが、そこはあくまでも「国家」という単位を持ち合わせた上での共存となっています。要は未だ「国家」という共同体を介してでしか、人類は互いに共存できるまでのレベルには達していないのです。

そう考えるとこういった問題は、まだまだ解決するための道のりは長い道程が必要になるとも感じていますし、この国際社会が感じている矛盾や苦悩というのは、人類の進化の途上にある苦しみや悩みなのかもしれません。いや、そうして行かなければならないと思うのです。

まずはこの問題について、一人ひとりが視点をどの様に持っていけるのか。そこが大事なのではありませんか?