自燈明・法燈明のつづり

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創価学会の役職について(7)-創価班の事②

今回も創価班の経験について書いていきます。

◆本山担当創価

私が創価班になって間もなくの頃、第二次宗門問題が勃発しました。当初は宗門側でも一部僧侶の跳ね返りが起こしていたと末端組織では教えられており、問題勃発してから登山停止(1991年11月18日)までの間は登山会が行われていましたので、私は約2年間近く、この本山担当創価班をやっていました。

本山担当創価班は県(今の分県)で1グループあり、確か100名体制で行われていたと思います。(この辺りは記憶が曖昧になってきました)その為に各区から10名程選抜されたメンバーが本山担当創価班として組織されていたのです。

私が嫌だったのは、この本山担当創価班の一部に「選抜された変なエリート意識」を持った人が居た事で、そこでは輸送担当創価班を下に見る傾向がある事でした。

「そんな見下すなら、一度は輸送担当創価班をやってみれば良いだろう!」

幾度か輸送担当をしてきた私はそう思いましたが、実際に本山担当創価班の中には、輸送担当経験がないメンバーもいて、その中にこういった意識が持った人が居た事だけはとても嫌いでしたね。

本山担当の場合、2か月に1日という着任日が決まっており、その日は何が何でも仕事では休暇を取らなければなりません。その調整が結構、仕事上の負担にもなったりしました。有給休暇を取るにも、私の場合にはシステム開発のプロジェクトのスケジュールがあるので、如何に良いタイミングで休暇申請を上司にするのか、毎回悩んでもいました。

私は2年間で「2部4班(正本堂内の誘導整理)」と「1部2班(配送や連絡等の担当)」の2つを経験しました。

本山担当の組織としては、「運営指揮」という名目で創価班の総県幹部(今でいう総々県幹部ですね)、そしてその下に「総括」がいます。こちらも県幹部か総県幹部ですね。実際の運営に対する判断は全てこの「総括」が行います。

そして総括の下に部長が4名で、正本堂周辺、塔頭内、また大石寺周辺の警備誘導、そして庶務全般という事で、各部長が担当します。(ちょっと記憶が曖昧になっていますので、若干違ったかもしれません。何せ四十年近く前ですからね)

そして各部長の下には2名~3名の「班長」がいて、各班には5名~10名前後のメンバーが居るという構成です。

そして本山担当創価班は基本的に夏以外はブルゾンを着用しますが、「運営指揮」「総括」「部長」は黄色ブルゾン。「班長」は赤ブルゾン、班員は青ブルゾンと色分けされていました。

本山担当創価班では、担当日の前々日(2日前)に指導会があり、県の中心会館で21時から行われますが、これは絶対時間厳守でした。遅刻しようものなら地元の創価班会以上の緊張感の中で立たされ、総括から罵詈雑言を浴びる事になります。またこの前々日指導会の1週間ほど前には、各班で班会があり、そこでは任務に向けた詳細の確認を行いますが、こちらはかなりフランクで、集合時間は22時頃。ただし県内にメンバーは分散していますので、班会は大抵、班長の自宅に集まり行いますが、移動に1時間近くかかる事もありました。(今より当時の県は範囲が広かったんですよね、人も多かった)

私は初めて本山担当したのは「2部4班」でしたが、初めて参加した班会で話題になったのは「狐憑き」や「蛇憑き」の対応についてでした。

今ではこんな話題は皆無ですが、当時は登山会になると、正本堂内ではちょくちょく出ていた様です。「狐憑き」の場合には、御開扉で勤行が始まると座席からぴょんぴょん飛び跳ねるし、「蛇憑き」の場合には、座席からズルりと落ちて地面をのた打ち回ると言うのです。

「そんな時はどうするんですか?」

私が聞くと、経験ある先輩たちは「その時は題目を呟きながら抑え込むしかないけど、これが力強いんだよ」との事でした。なんでも華奢な女子部でもいざ「狐憑き」になると5人がかりで抑え込まないと飛び跳ねてしまうと言うのです。場合によっては1メートル近く飛び跳ねる人も居たとか。

また今は無き正本堂ですが、この内部には入り口から須弥壇(大本尊を安置している大きな厨子)まで一直線に幅1メートル程の黄緑色のジュータンが敷かれていました。なんでも広宣流布の暁には天皇陛下か総理大臣があるく道筋だとか、大本尊を安置する際に使用した道筋だとかで、そこを飛び越えるのは厳禁扱いだったのです。(とは言っても創価班では結構飛び越えたりもしていました)

御開扉の際には、正本堂正面の広場から参拝者を誘導するのですが、その際には僧侶と連携を取って行いました。無線機もったお坊さんが入り口に居て、法主かお代理様(法主の代理)の入場タイミングを計っていた様です。何でも僧侶一行が入場する際、参拝者が全員座っている状態でないと、御開扉後に担当のお坊さんが法主やお代理様から叱責されるらしく、僧侶も大変な事があるんだなと思いました。

簡単ではありますが、正本堂内の状況はここまでとして、次に丑寅勤行について書いてみます。

「2部4班」では丑寅勤行の運営も行いましたが、こちらは今は無き「大客殿」で深夜の2時から行われるものでした。

一泊登山の参拝者で希望者は参加できるものでしたが、毎回数十名は参加していました。

夜中の1時過ぎに創価班は輸送センターを出発し、大客殿に歩いて向かいます。夜中の大石寺塔頭では、石塔に蝋燭が灯され、薄ぼんやりと光る中を歩いて進みます。そして大客殿に到着すると、すでに入り口は開錠されているので、大客殿の中に入って本堂の中、場所を確認し、それぞれが誘導場所のポイントに立哨して準備します。

1時半過ぎになると参拝者は集まってきますので、本堂内に整列して着座を促していきます。そして2時前になると「ドーン、ドーン」と御出仕太鼓の音が鳴り響きますので、創価班も着座して、参拝者全員伏せ拝体勢で待ちます。ここで法主もしくは御代理様が所化や僧侶を率いて入場してきます。そして導師が着座して勤行を始めるのですが、私が担当していた時、一度だけ法主日顕師)が所化の一人を導師席の脇へ手招きし、「うひゃ~!」と何か大きな金切声あげて中啓(手に持つ大きな扇子)で所化の頭をバシバシと叩く姿を見ました。これが一時期話題になった「中啓パンチ」ですね。

「僧侶の世界も創価班以上に大変なんだな」

これが当時、先輩と話をした事でした。

ちなみに先輩の中には、法主日顕師)による所化への飛び蹴りを目撃した人もいました。

それはある登山会での事、御影堂で法会が行われていたので、その御影堂周辺の担当をしていた先輩ですが、法会が終わり、日顕師が御影堂から出て来て回廊を裏に回った時、いきなり日顕師が走り出してとある所化に飛び蹴りをしたそうで、蹴られた所化は吹っ飛んだとの事です。それを目撃した先輩はかなりショックを受けていましたが、この類は宗門問題の後半で話題にもなっていて、宗門側では否定していましたが、私は何を体裁取り繕ってんだと思いました。

ちょっと話が横道に逸れましたが、2部4班は丑寅勤行が終わると撤収して、輸送センターには午前3時過ぎに戻り、そこから就寝となりますが、実際にはあまり寝れないまま翌日の担当に就くので、午前6時からのラジオ体操は免除されてもいました。

ここまでが2部4班の任務関係の話です。

もう一方の1部2班は主に輸送センターの無線室に居て、連絡が入ったら必要な備品を届けるとか、昼食の弁当を配送するとか。あと定時連絡の無線を受けるという事が任務となっていましたが、こちらはあまり記憶に残る出来事はありませんでした。本山担当とは言っても、日がな一日、輸送センターに居て雑用をこなす事が主な役割でした。

以上が創価班の本山担当として、私が経験して来た内容です。

ここからは少し本筋で無いエピソードも紹介します。

一つ目は本山担当で1日、任務が終わると「全国創価班会」というのを行っていました。全国とは言っても、例えば沖縄や九州方面から一泊で輸送担当で来ている創価班も含めて、本山担当終了時の創価班会をその様に呼んでいました。会場は輸送センター2Fの大広間です。

ここで全員が揃うまで三々五々集まり、開会までの間、唱題を行うのですがこれが20分ほど待つことがあります。そして会合開始時に「始めに学会歌!創価班歌指揮希望者!」と司会者が言うのですが、そうすると手を挙げて何名か前に出てきます。しかし前日からの寝不足と長時間唱題の為に足がしびれていて転ぶ人が続出します。これはとても危険な事で、一歩間違えば足の骨を折ってしまう事もあるのです。それである班の人が出ていく途中で転び動けなくなると、同じ班の誰かが出て行かなければなりません。しかしタイミングを逃し出て行かない状況になると「総括」が怒り狂います。

「同じ班の仲間が動けないのに、誰も代わりをやろうとする奴は居ないのか!?お前ら同志ではないのか!!」

もうこうなると狂気の世界に突入します。続く人間も足がしびれて足を引きずりながら、必死に学会歌の指揮を執る姿は、傍からみたら滑稽でもありました。

あともう一つ。これは直接では無いのですが、「運営指揮」を経験した先輩から聞いた話です。

夏になると八月には夏期講習会というのが、当時(宗門問題勃発前)大石寺では開催されていました。そこには「創価班夏期講習会」というのがあって、その講習会のクライマックスには常来坊という場所で「全国創価班総会」が行われたそうです。担当幹部は、時の全国男子部長の374919の人です。(わかる人は解ると思います)

会場内に創価班員が揃い、男子部長が壇上脇から登壇するのですが、この時、壇上脇には創価班員が役員でついていました。この男子部長は登壇の際、「このくそ忙しい時に、こんな下らない会合に呼び出しやがって」と吐き捨てた言葉を、この創価班員は聞いてしまいました。思わずその役員についていた創価班は男子部長に殴り掛かりそうになったのですが、脇に居た先輩はその創価班員を後ろから抑えたそうです。

「本部職員、全国幹部とは言っても、所詮はそんな人間なんだよ」

この話を聞いたのは、私が創価学会の活動から離れた後で、たまたまその先輩の家にお邪魔した時に教えてくれた話でした。この先輩も今から数年前には鬼籍に入ってしまいました。

 

これが本部運営担当創価班の思い出です。

宗門問題勃発後、登山停止の直前には、同じグループの先輩が塔頭の中で、参拝者の御高齢の法華講講員が躓き転んだ時に駆け付けたそうです。しかしその時、その法華講員は鬼の形相で先輩ににらみつけ「触るな!この大謗法の者め!」と罵声を放ったそうです。

本山担当の思い出には、ここには書けない様々な事がありましたが、私にとって今から考えたら人生の20代前半で、それなりに一生懸命走ってきた思い出なのです。それは善も悪もなく、ただ大事な人生経験の一コマとして、今でも脳裏に焼き付いて離れないものなのです。