自燈明・法燈明のつづり

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創価学会の役職について(8)-部長の事④「折伏」

男子部時代の部長の活動の中、今でも一番印象が残るもの。それは「折伏」です。

日寛師の御本尊授与が再開されたばかりの時には、この「折伏戦」についてはそれほど過激ではありませんでした。とにかく「常識的に」という言葉が良く語られていました。しかし回数を重ねながら2年目位から、数字を追う姿勢が過激になってきたのです。要は「先祖帰り」と言っても良いかと思いました。

◆分世帯を新入会に

前の記事で私が創価班大学校の事を書きましたが、そこで私が初めての御本尊流布の時には中々出来ませんでした。そして私が部長になってから、区内で私の支部だけ、男子部の折伏(御本尊流布)が出来ない状況が続いたのです。

そんなある時、私の支部に男子部が引っ越してきました。その男子部は前の組織で副部長でした。私は連絡を受けて直ぐに訪問、彼の年齢は私よりも6歳上。でも話をすると、何かウマが合う感じで直ぐ意気投合したのです。

その後、とある区の会合の後、壮年の本部長と男子部の本部長に呼ばれました。

「斎藤君さ、今回引っ越してきた男子部がいるよね。彼を新入会扱いにして、君の部の男子部成果に組み込む事にしたから。いま壮年部の本部長と話もついたし、これで君の部も”1世帯”の成果がつくから。よかったね。」

笑顔で男子部の本部長が私に言ってい来るのですが、この時、私は全く意味が解りませんでした。引っ越して来た男子部は部幹部だし、え、それを「新入会扱い」ってどういう事?

その表情を読み取った男子部の本部長は続けました。

「斎藤君さ、この大事な法戦で結果を出せていないのは君の部だけだろ?それでは区の戦いの足を引っ張る事にもなるよね?解っているか?」

ああ、良くある成果第一主義という奴ですね。この時、私は本部長にこう返しました。

「そんな数字に何の意味があるか、私にはさっぱり理解できません。でも本部長がそれでやりたいなら、それでやる事に異論はありません。」

本部長は腑に落ちない顔をしていましたが、そんな事で私が喜ぶとでも思ったんですかね、何かとても悔しい思いに駆られました。

しかしその会合の帰り道、ポケットベルが鳴り見てみると地元の支部長からでした。途中の公衆電話から連絡を入れると、今すぐ家に来いとご立腹の様でした。

支部長の家に行くと、支部長は怒り心頭で居ました。

「斎藤君!今回引っ越してきた男子部、あれを新入会扱いで手続きを進めると、先ほど壮年部の本部長から連絡あったけど、どういう事だ?君はそんなに数字が欲しいのか?」

この支部長はとにかく常識と道理を大事にする人でした。

新入会となれば、新たに統監カードも起こします。分世帯であれば家族の記録なども掲載されますが、今回の件は新入会扱いなので、全て真っ新から統監が起こされてしまいます。

「実は先ほど私も男子部本部長から話を聞きましたが、そんな事を私は一言も望んでもいませんし、そもそも考えた事も無かったです。本部の方で成果の数合わせでやった事なので、私も寝耳に水だし何も言える状況ではありません」

本当なら男子部本部長に毅然と断るべきだったと、この時に後悔したのですが、やはり「結果=数字」を挙げていない部長というのは、実に発言権が組織内では無いのです。あと私自身も若かったんですよね。

「まあいいや。でも斎藤君。俺は絶対こういう事は認めないからな!」

この支部長のご立腹ぶりは、私も良く解ります。でも結局のところ、結果を出せない幹部というのは創価学会の組織の中では発言権が無いに等しいのです。

翌日、私はその副部長の家を訪れ謝罪しました。分世帯が新入会扱いになってしまう事、そしてそれを止められない私自身の事について。すると副部長は「良いんじゃないの、創価学会の組織では良くある事だよ。」と逆に励まされてしまいました。

折伏戦のルーチンワーク

この折伏戦ですが、部員の時にはただ自分の折伏を考えてれば良かったのですが、部長になると違います。部長としては、支部内の男子部の何人が、この折伏に取り組むのか。そこが総括ポイントの一つになります。

その為には地区リーダーや班長もそうですが、今まで折伏をした事も無いメンバーのうち、何名折伏の活動に取り組む部員を増やせたのか、そこが見られるのです。その為に折伏の意義を部員に語り、地区リーダーや班長を励まし、下種名簿を作成し、そこに友人の名前を明確に書かせて折伏に向かい進めていきます。

折伏戦という期間に入ると、区の部長会というのが週一回開催されました。これは毎週日曜日の夜9時から中心会館で行われました。

私の時代ではありませんが、第二次宗門問題前の折伏戦では、この区の部長会が修羅場だったと聞いていました。そうですね、これは私が地区リーダーになった頃の話です。

まず区内の各支部の部長が活動報告を一人ひとり全員の前に出て行います。そこでは折伏が進んでいる支部もあれば、折伏が進まない支部もあります。そしてこの活動報告が終わると区書記長が活動の総評と次の週への活動について話すのですが、この「活動の総評」の際、結果が出ていない(要は折伏の数の上がっていない)支部の部長は立たされ怒鳴られ締めあげられたと言います。ある時には「お前!〇ね!」の一歩手前まで参加者の前で罵倒され怒鳴られるのです。

「お前は広宣流布の邪魔なんだよ!解ってんのか?池田先生はな、決意はいらない、結果を持ってこいと言っているんだ!」

この罵詈雑言のせいで、過去には一家で夜逃げした部長もいました。

しかし第二次宗門問題以降は、さすがにそんな罵詈雑言の部長会は行われなくなりました。この区部長会は週末に区内の各部長が自分達の支部の活動を報告する場という位置づけに変わっていました。

しかしです、部長は週一回の部長会を凌ぐだけではすまないのです。

大抵、週初めには地区リーダー会で各地区の状況を確認、火曜日には本部の部長会が22時から行われ、そこで支部の男子部の折伏状況を詰められます。私のいた本部では副本部長と部長の言い争いもありました。そして水曜日以降には23時以降に、区男懇談会というのが本部別に行われ、各支部で30分ほどの時間、区男子部長や区書記長に詰められるのです。

折伏ではよく「折伏現場」と呼んでいましたが、部長以上の幹部が部員と同行し、友人と会い、折伏する事をやっていました。そしてこの本部や区での部長会、区男懇談会などでは、一週間の間の「折伏現場」が幾つあるのか、来週は幾つ予定しているのか、またその活動の元になる下種名簿は何名の部員が作っているのか、これから先、誰に作成させるのかを、部員名簿を元に一つ一つ詰められていくのです。

また一週間の間、この「折伏現場」が支部で一つも無い場合には、最悪です。

「お前!広宣流布をやる気があるのか?」
「池田先生にどうお応えするつもりなのか?」
「お前は池田先生の弟子なのか?」
「お前なんかはな、はっきり言って広宣流布の邪魔なんだよ!」

結果(折伏の成果)を出していない部長には、正直、発言権もなければ人権もありません。この当時、私の中に去来していた言葉があります。それは。

「精神的その日暮らし」

そんな言葉でした。

◆入会規定

創価学会では第二次宗門問題以降、建前とは言え「入会規定」というのがありました。

聖教新聞の定期購読
・座談会への参加
・壮年本部長との面接(入会意思の確認)

折伏戦というのは期間闘争でしたので、締切日があります。その締切日に支部毎に目標がクリア出来るのか、出来ないのかが大きなポイントで、これは何も男子部だけの話ではありません。

その為に、締切日ギリギリに御本尊授与が出来そうなメンバーが居た場合には、この「入会規定」の形式を作る事にも必死になりました。

聖教新聞の定期購読、これは場合によっては贈呈(紹介者が新聞代を肩代わりする)するとか、場合によっては紹介者の自宅に1か月間受け取る事もありました。

・座談会への参加、これは御本尊授与を受ける人を交えて、紹介者や幹部が語らう場を「座談会」として認定する。

・壮年本部長との面接、これは最悪の場合、御本尊授与式の時に壮年本部長が御本尊受ける人と会い「おめでとうございます、頑張ってね」と声掛けをした事を面接とする。

結局のところ、数字を上げるためを主体として捉え、「入会規定」については事実上「空文化」していた事が多くありました。

 

私の部長時代は6年間ありました。その中では「良い思い出」というも当時は沢山ありました。しかし常に心がピリつく感じがあったのです。

部長になりたての3年間ほどは、本当に支部でも折伏の成果が上げられず、区の男子部の中でも「ゼロ戦部」と呼ばれた事もありましたし、壮年部や婦人部からも「何故、うちの男子部は折伏が一つも出来ないの」というお小言を頂戴した事も多くありました。

しかし4年目からは支部の男子部でも数字が上がる様になっていったんですね。

その中で、実は私の中での「信心観」とか「組織観」というのも構築されてきました。でも今から振り返れば、この時に構築した観点が、後の自分を学会活動から遠ざけてしまう事にも繋がって行ったのは、皮肉と言えば皮肉ですよね。

その詳細は、また別の記事で。