自燈明・法燈明のつづり

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創価学会の役職について(9)-創価班班長の事

創価学会の役職の事について書きます。

昔は「創価班大学校」「牙城会大学校」という二つの潮流があって、そこから「創価班」「牙城会」という人材グループの流れがありました。しかし最近では男子部世代が枯渇している事もあり、「創価班大学校」「牙城会大学校」を「男子部大学校」と一つにまとめ、そこから「創価班」「牙城会」という流れになっている様です。

でも改めて見てみると、私の時代の人材グループとは異なりましたね。

そもそも会館運営や警備を壮年部に「王城会」なんてグループを作り、そこが主体的に行う様になっていますから、私が活動していた時代の人材グループとは異なるのも当然の事でしょう。

数年前でしたかね。

当時は既に活動を止めていましたが、地元の幹部が私を訪ねて来て言いました。

「斎藤はさ、信心おかしくなっているけど、もういちどやり直さないか?お前なら王城会は出来ないけど、会館を守る会ならばやらせてあげられるけど」

「はぁ?」でしたよ、もうこの話。

創価学会の現状に呆れ果てた私を捕まえて「王城会は出来ないけど、会館を守る会ならばやらせてあげられるけど」って、もう頭が膿んでいるのか。そう思いましたね。

まあ個人的に過去の役職云々はあまり言いたくありませんが、創価班の本部運営でも副総括をやり、総県広宣局長、あと経験上は県運営部長も一時期やっていた自分なんですが「王城会はできないけど」って何だろうかと。まあその理由は一部壮年部の区幹部や県幹部の間で私は不興を買っているので、その為だというのは理解してますけどね。

そもそも創価学会の活動になんて、今さら関わる気もありませんが。

ちょっと前置きが長くなりましたが、私が経験した創価学会の役職について書いていきますが、今回は創価班長です。

創価班長とは

創価班の組織としては、班員がいて、それを7~8名取りまとめた班長というのがいます。そしてその上に部長というのが居て、各部長の下には3~4班付きます。そして区としては3~4名の部長がいて、その上に区副委員長というのが数名います。そして副委員長の中から区運営部長、区大学校団長、区広宣部長がいて、トップが区委員長となります。これが県になると、県副委員長がいて県運営部長、県大学校団長、県広宣部長となり、大所帯にもなるので、ここには県書記長と県副書記長、県委員長と言う感じになります。

総県や総々県になると、この県の構成がそのまま取り入れられていましたが、部長ではなく「局長」と呼ばれ、副役職は「次長」なんて名称になっていました。

創価班の班長は、組織の部幹部(部長や副部長)がなり、創価班の部長以上は本部幹部以上が任命されます。県幹部の県副書記長という立場については本部幹部であれば任命できるという感じでが、創価班区幹部は基本的に男子部の本部幹部か区幹部が担当していました。

そして私は組織で部長になると、横滑りで創価班長に任命されました。
一応、こちらも創価学会人事委員会から任命書が出ましたね。

班長になると運営担当日の着任メンバーの選任や、創価班の会合の参加確認、また会館運営では各ポジションの責任者を任されます。(区から事前に各班で何名出してくれ、という連絡が班長には入りますので)

会館運営の各ポジションは具体的には以下のものですね。

・壇上
 会合の壇上整理(幹部の配席)や音響担当、また副導師も入ります。

・場内
 会場場内の整理誘導。

・ピロティ
 会館内の会場外の整理誘導で、ここには下足担当もありました。

・場外
 会館外の違法駐車の予防、会館正面の立哨警備。

会合運営時には使用する会館内の会場名(会館内には複数の会場があるので)と、参加者人数が会館申請書に書いてあるので、それを見て、当日の総括(これは創価班の部長が担当しますが)が具体的に、そのポジションに何名で責任者は誰それと決めるんですね。この時班長が居れば、各ポジションの責任者は班長としますが、班長が来ていない場合には、総括から見て経験者を責任者に宛がったりします。

班長となった時、この着任メンバーの選任が悩みの一つでした。

それぞれが仕事を持っていますし、仕事の内容も違います。18時に会館に来れれば良いのですが、そんなメンバーは限られてきます。気を付けなければ決まったメンバーしか着任出来ない事にもなるので、そこは上手く配分してお願いしなければなりません。

またメンバーによっては着任メンバーとして区に報告してはいるのですが、無断で平気ですっぽかすメンバーもいました。そうなると大変です。

私はこの当時、会社を知人とやっていましたが、夕方のある時、この時期になると携帯電話が普及し始めていたので、連絡はポケットベルではなく携帯電話に来るのが大半でしたが、会議の最中に電話がなり、中座して電話を受けると周りにも聞こえる大声で怒鳴り声が。

「斎藤!お前の所の〇〇が来ねぇじゃねぇか!どうするんだ!」

これは当時、総括をやっていた区副委員長からの怒鳴り声でした。確かに遅刻すると言っていましたが、それは区にメンバーを連絡する時に伝え、会館には本人も連絡を入れると言っていました。

「あれ、連絡も入っていませんか?」

「何呑気な事いってんだ!人が足りねぇぞ!斎藤!お前が今すぐ会館まで来い!」

電話はガチャ切りです。

この時には会議を早めに切り上げて、会館に向かいましたが、1時間以上かかってしまい、会館到着は19時はとうに過ぎていました。

その後、ユニフォームは持っていなかったので場外運営に加わって、創価班の終了時の打ち合わせでは、件の区副委員長からこっぴどくドヤされました。

曰く、班員の姿は班長の一念なんだと。

会館からの帰路の途中、今回すっぽかした班員の自宅を訪れると、母親から「まだ帰っていない」と聞いたので、家の前に車を止めて待つことにしました。すると23時頃に班員が帰宅してきたので状況を聞くと、どうやら急な仕事が入り電話も出来なかったとの事でした。こういう場合、本人も後ろめたさが先に立ってしまう場合もあるので、話を聞き終えると「次また頑張ろうな!」の言葉をかけて終わったのです。ここで追及しても無意味だし、放置すれば本人も出ずらくなりますからね。

創価班の班という単位では、メンバーは組織も支部や本部を縦断した構成になっていました。男子部の組織(通常はラインと呼んでいましたが)では地域的に固まっていますが、これが創価班の班となると違う本部の違う支部に班員がいます。私の場合、月1回は各班員の自宅を回って懇談もしていました。

この当時、私は27歳でしたが年上の班員で、例えば創価班大学校2期という40代に近い班員や、中には小さいながらも会社を経営している班員、また男子部の活動から離れている班員もいましたので、懇談にしても様々な話を聞く事も出来ましたね。

そこでは通常のライン組織では言えない話、語れない話なども聞かせてもらった事もありますし、ある時にある部員を訪問した時には、玄関先で怒鳴られた事もありました。この人は創価班の名簿には載っていますが、もう活動は止めていたので迷惑だったんでしょうね。男子部自体の訪問が。

 

この創価班長という役職と、男子部では部長という役職を掛け持ちしていたので、当時は本当に時間貧乏という感じでした。でも当時は創価学会を信じてもいたので、何とか切り盛りしながらやっていたという感じだったのです。