自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

日蓮についての見解②

この話を続けます。

前回の記事で私は日蓮が何も初めて人々の中に仏教を広め始めた訳ではなく、それまでの国家鎮護の仏教という枠組みから、鎌倉時代の仏教、これは民衆に対して仏教を開いたという事のパイオニアは実は法然源空である事を述べました。

ただ日蓮から見た場合、天台大師の教えであった法華第一主義を、法然は中国の善導和尚の教えを広め破壊してしまい、人々の間で経典と言えば阿弥陀経、仏と言えば阿弥陀如来という事を植え付け、結果として法華経を軽んじる風潮を作り出したのは許せなかったのでしょう。

法然源空も、そもそも比叡山延暦寺で仏教を学んでいたわけですからね。

ただ「正しい教えを広める事で迫害される」という事について言えば、法然源空も時の比叡山延暦寺園城寺等が朝廷に泣きつき、勅許を出された事で迫害され、土佐へ島流しをされたわけであり、日蓮は幕府に諌暁して当時の仏教界の問題を責め、その鎌倉仏教界は幕府に働きかけして迫害された訳です。

そいうい意味では、「広めた法の正邪」ではなく、行動によって迫害を受けたという事と思えますし、その法然源空日蓮も、そのレベルであれば同じ姿だと私は思うのです。

真言亡国論について

次に友人と話をしたのが、日蓮佐渡期あたりから「真言宗」に対しても指摘する事を強め始めた事です。

いわゆる「真言亡国」ですね。

だから日蓮真言宗の教えを完全否定した立場であったのかと言えば、それは少し違うと私が思っている事でした。

鎌倉時代では、弘法大師空海が中国から伝えて来た密教の教えは、ある意味で最先端の仏教の教えでした。

これは伝教大師最澄も中国から戻ってきた際、真言密教の書物を手に入れられず、空海に書籍の借用をお願いした事、しかし空海から断られたという文献も見つかっている事からも解ります。

伝教大師密教の教えについては、重要なものと認識をしていたんですね。

日蓮真言宗を問題としていたのは、法華経にのみある一念三千という教理を、さも真言密教にもあるという事を真言宗で述べている事から責め立てている訳で、「真言亡国」の言葉の由来にしても、承久の乱の際に後白河法皇北条義時の調伏を真言師に祈祷させた結果、鎌倉幕府が勝利して、後白河法皇隠岐島流しをされた事を現証と捉えた上で、弘法大師の開いた真言宗は亡国の教えだとする記述が、開目抄等の御書に書かれている事から読み取れます。

また日蓮直筆の文字曼荼羅にも「金剛大日如来」「胎蔵大日如来」が文永十一年の文字曼荼羅に仏として勧請されている事、また御義口伝や当体義抄に「八葉九尊」という言葉を引用している事からも、日蓮真言密教系の教えについても「切り捨てる」という観点ではなく、法華経を中心とした仏教の教えの中でも重要である事は認識していた様です。

そもそも清澄寺虚空蔵菩薩への願掛けを行ったという暗喩を用いていましたが、虚空蔵菩薩真言宗では大事な仏菩薩ですからね。

だから単純に「四箇の格言(念仏無間・律国賊・禅天魔・真言亡国)」と言って、法華経以外の経典や教えを日蓮は切り捨てている訳ではないと思うと語りました。

◆お題目について

そこまで話すと友人は「でも末法法華経を南無妙法蓮華経として広めたのが日蓮だったんだろ?」と言ってきました。

確かに南無妙法蓮華経というお題目を広めたのは日蓮ですが、その南無妙法蓮華経というお題目にしても、そもそも天台宗では勤行の中で既に唱えていた事を説明しました。「南無釈迦牟尼仏」「南無多宝如来」「南無妙法蓮華経」と天台宗では勤行の時に唱和していた事は既に分かっている事なのです。

だからお題目が日蓮の専売特許で、日蓮が初めて明かした事ではないという事です。

日蓮はこの天台宗の中にあった題目に新たな解釈を加え、それこそが仏教の一番中軸の教えであると定義して、人々の間にお題目を広めました。そこの功績はあったと思います。しかし一方でその御題目を「十万遍」「百万遍」と繰り返し唱える事を、果たして日蓮が人々に勧めたかと言うと、そこは無かったのではないかと思う事も友人に語りました。

この御題目を繰り返して唱える事は、元々念仏宗にある称名念仏の修行法が日蓮の教えの中に後世に取り込まれた事かもしれませんよね。

日蓮は唱法華題目唱の中で、確かに行法としてお題目を唱える事を述べていましたが、長時間にわたり繰り返し唱える事は求めていません。

そもそもお題目を唱えるにしても、南無妙法蓮華経という言葉にはどの様な意義があるのか、そこはしっかり学ばせてから唱えないと意味ないでしょう。何故ならお題目に新たな解釈を日蓮は加えたのですから、そこはしっかり学ぶべき事だと思うのです。

「南無」とは「帰命」であり、「妙法蓮華経」は法華経です。

これを素で読んだら「法華経に帰命する」という意味になりますが、では何故法華経に帰命するのでしょうか。法華経の教えの「何」が大事で、それは実際に私達に対してどの様な事を指し示しているのか。そこはしっかりと「学び」、その上で「帰命」する姿勢があってこそ、初めて「お題目を唱える」という事の意義が明確になるわけであり、今の創価学会の様に「呪文(マントラ)」の様に唱える事を日蓮は求めていないと思う事も友人には語りました。

あと一つ、これは御本尊と呼ぶ文字曼荼羅について。

日蓮は唱法華題目抄の中で、本尊はお題目として、そこに法華経の経巻を安置しても良いし、余裕があれば釈迦仏や多宝仏、また普賢や文殊の仏像や絵を安置しても良いと述べています。

しかし一方で「観心本尊抄」で日蓮は文字曼荼羅の意義を明かし、門下や信徒に文字曼荼羅を授けました。この文字曼荼羅は「観心の本尊」と言っていますが、唱法華題目抄では「お題目を唱えるには観心を先とせず、もし観心するならばしっかりと学んでから取り組む事」を述べています。

ではそもそも観心とは何かといえば、ザックリ言うと自分の心の中に一念三千があると言う事を観る修行を言います。そもそも一念三千という教理自体、日蓮観心本尊抄で明かした様に、天台大師の魔訶止観や様々な文献には明確に明かしておらず、観心の修行をする際の手解きとして教えている事だったと言うのです。

天台大師在世の時代、天台宗の別名は「禅宗」と呼ばれ、今の禅宗は当時の中国では「達磨宗」と呼ばれていました。つまり天台宗はそれほど座禅による瞑想を中心に行っていた宗派であり、そこで修行者は己心の中に一念三千がある事を求めて修行をしていました。

その観心の本尊が文字曼荼羅日蓮は述べているので、それを「幸福製造機」とか「なんでも祈りの叶うお札」の様に信徒に教え、そこで十万遍だ百万遍だと教える創価学会の信仰の姿は、果たして日蓮の本意に叶っているのかどうか、今の時代、教学要綱なんかで騒いでいますが、そもそも日蓮の教えを中心として標ぼうするのであれば、まずはそこから見直すべき時代に入ってきているのではないか。

私は友人に対してそんな事を語りました。

そもそも戦後八十年、創価学会はそんな教えを会員たちに教え、そんな教団が拡大する事を「広宣流布」と呼んで取り組んできましたが、今の日本を見ると国威は衰退し、社会は混乱の度を増しています。こういった現証から見ても、創価学会は亡国の教えかもしれないという事を付け加えましたけどね。