自燈明・法燈明のつづり

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創価学会の役職について(12)-区書記長②

私がこの区書記長をやっていて良かったなと思う事は、今の仕事にも多少、その経験が役立っていると感じる事です。

今の仕事はIT関連の仕事で、機器メーカーと協力してサービス提供を進めるのですが、その際の間の取り方やスケジュール感を考える時、この書記長時代の経験が物凄く役立っています。要は組織としてふるまう時には、それなりの手順をしっかり踏まないと組織は動かせないんですよね。

そんな感じで書記長というのは、事務屋的な性質がとても強い役職でした。

あと区書記長は区男子部長とは密接に関係する立ち位置でもあります。
私が書記長時代、区男子部長の笹原氏とはほぼ毎日連絡を取り合っていました。彼が言うのは「嫁より斎藤さんと会って話している時間が多いなぁ。。(苦笑)」という感じでいましたからね。

◆ちょっとした改革

笹原氏との体制の中で、私達はちょっとした組織改革をしようと決めていました。それは。

「もう部長とかを叱り飛ばして、結果を追う様な活動は止めよう」

という事でした。

当時はまだ、区部長会などで選挙戦や折伏戦という活動の時、何かと部長を叱り飛ばしてプレッシャーを与え、そこで数字的な事を追っていく風潮というのが、まだかなり残っていました。

そこで区主任部長(当時は4名いました)にも意見を求め、区部長会では数字で部長を詰めるという風習は御終いにしようと相談しました。要はその分、区幹部以上が支部や本部に入って、活動の意義をひざ詰めで話をして、少しでも納得の中で自発的な活動へと変革してみようと話をしたのです。

区主任部長も賛同してくれたので、それを区執行会議で本部長にも伝え、まずはこれまで毎週行っていた区部長会は隔週開催に変えました。そしてそこは各本部長の采配で、本部毎に部長会をやっても良いし、支部毎に任せても良い。そして必要ならば区主任部長以上を呼んで貰えば、本部や支部に入って話をして行くという方向性にしたのです。

そして半月が過ぎた頃、この時はちょうど前にも説明した新体制で初めての折伏戦の期間でしたが、区全体の活動の数量として、入会決意数(入決数)や御本尊授与数(本受数)が、がたっと落ち始めました。そもそも折伏を行った人数や、現場数と呼んでいましたが、部員が友人と対話した数も減少して来たのです。

そんなある時、仕事をしていると私の携帯電話に電話が入りました。電話主は本部職員の県書記長からでした。どうやら区男子部長の笹原氏に電話してもつながらないからと、私の携帯電話に連絡をしてきたと言うのです。

「斎藤、最近の〇〇区(私の区)だけどさ、折伏が全く進んでないじゃんか」

それはごもっとも。ある意味で自主性に任せている部分もあり、従来の様な過大なプレッシャーをかけていないから、変化している時だと私や笹原区男子部長は理解していましたので、それを伝えました。

「これからの創価学会は、活動の意義を理解して主体性を持つ人が増えないと、やはり厳しいと思いますので、区男子部長ともその方向で進んでいる中での状況だと区では理解していますが」

すると県書記長は言葉を荒げて言うのです。

「お前さ、何をそんな主体的とか甘っちょろい事を言ってんの?良いか、部長はな鞭をいれてシバかないと動くわけ無いだろう!そんな意義を理解するとか主体的とか言ってて広宣流布なんて出来る訳ないだろう!!俺も県男もお前の組織から出ているんだからさ、あまり恥をかかせるんじゃねぇよ!!良いか、次の報告ではきっちり数字を上げた報告をだせよ!!」

こういうと県書記長はお得意の電話ガチャ切りです。

何を言ってんだと。その「部長をシバかないと」という姿勢で、部長や本部長を馬車馬にしたのはどこのどいつなんだ。私のはらわたも少し煮えくり返りました。だいたい平日の午前中に電話をしてくるなんて、まったく職員幹部というのは暇なものだと、つくづく思ったものです。

この事は一応、区男子部長の笹原氏にも伝えましたが、区としての方針は変えるつもりは更々ありません。県男子部長や県書記長の面子の為に活動している訳では無いですからね。

この活動方針では、私や区男子部長、そして区主任部長の活動量をかなり上げる事になりました。何故なら支部や地区にまで入って行って、折伏は何故やらなければならないのか、そして広宣流布とは何なのかを徹底してひざ詰めで語る事に区幹部以上は徹底して行ったからです。

この時の期間活動の折伏戦では、私達の区の結果は惨憺たるものでした。分県で4区あったのですが、常に最下位で、県で行われていた区男書記長会では常に吊し上げを区男子部長は受けていましたが、笹原氏はそんな事は一切、意に介さない姿勢を崩さずに進んだのです。

しかし面白いものですよね。

このスタンスで半年間ほど進めると、以降の活動では逆に組織が活発化してきたのです。選挙戦や記念会合の結集など、ジワジワと数字が上がる様になってきました。そして部長や本部長、そして区幹部の間の風通しもかなり変わってきました。

かなり昔の区部長会で吊し上げられた部長が夜逃げした時代もありました。
その後、多少変化したとは言え、区部長会というのは、常に部長からしたら憂鬱な会合だったと思います。

しかしこの笹原氏が区男子部長をして以降にはそんな光景も見えなくなり、結構笑顔で部長会で報告する部長も多くなったように感じました。でも一方で、部長などからは歯に衣着せぬ言動も上がる様になったので、本部長や区幹部も常に活動に際しては、その意義などを語る力を前よりも持つ必要になったのは言う迄もありません。

◆ちょっと悲しかった事

ちょっとここで書記長時代、少し悲しく思った事があったので、その事についても書いていきます。

笹原区男子部長体制となってから半年ほど経った頃、区主任部長の一人が組織に顔を出さなくなりました。携帯電話に連絡しても、自宅に行っても会う事が出来ません。笹原氏は多忙なので、私の方で継続的に連絡を試みると、何日かして主任部長から返事があり、近所のファミレスで会う事になりました。

待ち合わせの時間になると、区主任部長が来ました。名前は一応、飯塚氏とします。

飯塚氏は年齢は私の一歳下でしたが、とにかく熱い人でした。

「飯塚ちゃん、最近どうしたのよ、何かあった?」

私が彼に話をすると、「心配かけて申し訳ありません、ちょっと思う事があったんで」と答えます。これは何かあるなと思い、ちょっとそこを聞いてみました。

「なに、何があったの?良かったら聞かせてくれないか?」

すると飯塚氏は話し始めました。

「斎藤さん、創価学会の信心って何の為にやるんすかね?」

ここから語られた内容は、この様な事でした。
彼には奥さんと子供2人が居ます。かれが入会したのは20代前半で、今の奥さんに折伏されて入会し、その後結婚しました。
彼は彼女が「この信心をやれば、必ず幸せになる」という言葉と「一家和楽の家庭を作れる」という言葉を信じて入会したと言います。

そして飯塚氏は家族が幸せになれると言うので、組織活動も一生懸命頑張り、奥さんも結婚後にも婦人部で一生懸命頑張っていたそうです。

飯塚氏の奥さんは、私の地元でも名前が知られる幹部の娘として生まれ、未来部からは鼓笛隊もやり、女子部時代には常に組織の中で元気いっぱい活動をしていました。この当時は私も若い時代には見ていたので良く知っていますが、常に明るい女子部でした。

そんな奥さんも婦人部になって、白ゆり長に任命され、活動には日々頑張っていました。そして飯塚氏もそんな奥さんを見て、本当にこれで幸せな家庭を作っていけると実感していたと言います。

しかしここ最近、その奥さんの様子がどうもおかしくなって来たと言います。

何かふさぎ込み、どこか無理している姿が見て取れる様になったと言うのです。そこで奥さんと話をすると、どうやら地区で「新聞長」「書籍担当」「民音担当」を一人で兼務していたと言うのです。要はそれらを担当する人が地区にはおらず、結果として一人で三役を受ける事になっていたそうです。

結果どうなったかと言うと、聖教新聞の多部数購読、書籍の大量購入、民音の各種コンサートチケットの購入などを、地区の割り当て数を全て一人で背負いこんでいて、子供が二人いる中で生活費もカツカツとなる中で、貯金を切り崩しながら活動をしていたと言うのです。また押し入れの中を観ると、新聞と共に大量の同じ書籍が積まれていたと言うのです。

飯塚氏は自分が知らぬうちに、組織の中で奥さんがそんな状況まで追い込まれていた事をその時になり始めて知り猛省、直ぐに地区部長に嫁がやっている担当者の役を降ろして欲しいと相談をしたそうですが、どうやら地区ではなり手が居ないと相談は拒否されたそうです。

壮年・婦人部でもそんな損な役割は誰もやらず、結果真面目な飯塚氏の奥さんが「広宣流布の為」と背負いこんでいるのが現状だったと言うのです。

その後、奥さんをメンタルクリニックに連れて行くと、初期のうつ病と診断されたので、現在は組織から離して、奥さんは自宅で静養していると言うのです。組織からは聖教だ書籍だ民音だの連絡が未だにあるそうですが、それは一切無視をしているそうです。

これ等の事があったので、飯塚氏自身も今の創価学会の組織の在り方に疑問が出たので、ここ最近は活動に対するモチベーションが下がってしまい、電話にも出なくなっていたと言うのです。

「斎藤さん、この信心って幸せになれるんですよね?でもこういった事はどうなんですか?結果うちの嫁は壊れてしまいました。僕は正直、今の創価学会は信じられなくなりましたよ。」

恐らく飯塚氏もこんな話が相談できる人もおらず、一人で苦悩していたんでしょう。

でももし私が相談を受けたとして、これを即座に解決出来たのだろうか。
例えば私が婦人部の本部長を通して相談したとして、果たして飯塚氏の奥さんは状況改善されるのか。この類で責任の押し付けというのが、地区やブロックという単位では在る事は聞いています。常に組織で「ノルマ」として与えている事を、地区部長や地区婦人部長などがフォローできると言えるのか。もしかしたら私が上から落とす事で、余計、飯塚氏の奥さんを追い込む事になってしまわないのか。

何よりも男子部の幹部とは言え、壮年部や婦人部に物言いをして、直ぐに改善する事を実は私も過去の経験から確信は持てずにいました。

「申し訳ない、そういう事だったのか。」

私にこの状況を語るうち、飯塚氏の眼には涙が溜まっていました。彼も一番悔しい事だと感じているのでしょう。

「そういう事なので、申し訳ありませんが、少し放って置いて貰えますか?」

この飯塚氏の言葉には、私は反論なんて出来る訳がありません。

「判った。であればもしまた復帰できる状態になったら、連絡貰えるかな?」

そういうと飯塚氏は軽く頷き、ファミレスを後にしました。

この状況を笹原区男子部長に伝えると、笹原氏は深いため息をついて「判った。後で俺も行ってみるよ」と言いました。しかしその後、飯塚氏は転居をしてしまい、転居先も解らなくなったので、その後の状況は知る事も出来なくなりました。

この飯塚氏とは男子部の組織では、十年近く共に活動した仲ではありましたが、何も力にはなってやれない自分を実感し、区書記長なんて役職も、実はたいした事では無い事を実感し、自分自身の不甲斐なさを感じた出来事だったのです。