自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

創価学会の役職について(13)-区男子部長①

創価学会の中での役職経験で、次は区男子部長時代の事を少し書いてみたいと思います。

当時の創価学会男子部の中では、男子部で面白いのは部長か区男子部長だという話しがありました。これは自分の思い通りの活動が出来るという観点からなのかもしれません。

それ以外の本部長や書記長は、どちらかと言うと組織の事務屋的な側面が強くある役職でしたし、副役職というのはあくまでも正役職者を支える立場でもあったので、その言動はあくまでも正役職者の考え方に沿う必要があります。

この中で部長というのは支部の男子部組織の方針を考えて動き、区男子部長は区の男子部組織の方針を考えて動く役職になります。
そして地区リーダーや班長と云った男子部役職の任命権者でもあって、区男子部長の一存で地区リーダの任免を行う事も出来るのです。

また区男子部組織は統監では大体1800名~2000名程の組織のトップであり、当時は約三割の男子部員が活動していたので、そこから考えても600名~700名近い組織のトップという事になります。またそれだけではなく、地元から選出された公明党の地方議員がいた場合、何時でもその地方議員とサシで話が出来る立場でもあるのです。

だからある総県幹部の先輩は「区男子部長は名刺があってもおかしく無い立場だ」という事も言っていました。

◆内示について

区書記長を一年近くやっていた私は、少し疲弊をしていました。

例えば区地区部長会や区支部長会等の時には、事前に配布資料を準備して、会合当日は創価班と同じ時間、これはつまり夕方の5時半から6時の間には会館に着いて準備をしなければならず、公明党の時局講演会では事前準備から当日の運営まで取り廻す立場であり、その活動内容の大半は組織運営が主たるものでした。

だから折伏なんて言って部員と一緒に動くと、叱られる事もあった訳です。

あと区記念行事の場合には会館への利用申請も行いましたし、男子部の区の会合の場合には開催報告を創価学会本部の第一庶務に送る役目もしていました。

そんなある時、県書記長からまた夜に会館に呼び出されました。

この時は「ようやく区書記長は終わりか」と思いましたが「次は県主任部長にしてくれないかな」と僅かな望みを持っていました。

県主任部長には区男子部長か区書記長が上がる事ができる役職で、その立ち位置は県男子部長の補佐役とも言うものですが、要は副役職なので、区書記長ほど組織運営に拘束されずに済みます。

そんな事を思いながら会館に行くと、そこには区主任部長も一人いました。

彼は横田氏としておきますが、私が区書記長時代に転入し、区主任部長で受け入れされていましたが、何かと私をサポートしてくれたメンバーだったのです。

正直、これを見た時に嫌な予感がしましたが、その後お得意の会議室に呼ばれて告げられたのは「区男子部長」の言い渡しでした。そして横田氏は区書記長になるとの事。

もうこの段階で気落ちしましたね。まだまだこき使われるのかと云う思いが強かったのです。

創価学会では役職を「仏意仏勅なんだ」と良く教えます。

しかしその実態とは、上に行けば行くほど属人的なもので、要は私の場合には時の総県男子部長の意向が強く働いて本部幹部から区幹部までほんの3年の間で経験する事になりました。それ以前は県主任部長に嫌われていたので、区の中でも異例なほど部長を長くやっていたのです。

そしてその総県男子部長は、どうやら総々県男子部長となり、今回私も区男子部長になったという事もあるのでしょう。

要は「役職は仏意仏勅なんだ」という言葉は、そういう思いで役職を自覚しろという言葉でもある訳です。実質的には極めて属人的な役職なんですからね。

この内示を受けた後、当時の区男子部長と会った時にこれを話題としましたが、笹原氏は苦笑いしながら言いました。

「お前は区男子部長で良いじゃねぇか、俺は今度、県男子部長になるんだぞ」

これを聞いた私は「はぁ??」が最初の言葉でした。
この笹原氏とは区男子部長・書記長の関係で1年間動いてきましたが、今度は県男子部長・区男子部長の関係でまた一緒に動くのかと。これは腐れ縁にもなってしまうよな。

それが当時思った事です。

とは言え、区男子部長には責任も重く圧し掛かります。

自分の感情は胸の中に押し込んで、さっそく次期の区書記長となる横田氏と共に、新体制の発足に向けた準備を着々と進める事にしたのです。