自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

人間主義という言葉について

高市総理が衆議院解散を決断し、日本の国内政治が賑やかになってきました。

こんな中で立憲民主党は自分達の議席の生き残りをかけて、公明党の軍門に下り「中道改革連合」に参加しています。

立憲民主党支援者の人の中には「公明党が解党して重い看板を下ろして中道改革連合に参加したという重い決断」なんて誤解して発言している人もいますが、今回の中道改革連合については、公明党は確かに看板を落としたものの、その「中道」という思想の大元は創価学会池田大作氏が提唱した「中道」という事であり、いわば公明党は看板よりも実を取り、まんまと立憲民主を取り込んだ事に成功したと言っても良いでしょう。

特に立憲民主党で中道改革連合に合流した議員達の中には、あまりこの事を理解せず、「渡りに船、創価学会から票が貰える」と安易に参加している人も多く見受けられます。

何故「見受けられるか」って?

だって国家安全保障の考え方とか、原発再稼働に関する考え方について、結成前に徹底して議論を尽くしておらず、ある立憲民主党の議員は安保法制反対、原発再稼働反対を主張してきていたにも関わらず「参加したら中から変えていきます」なんて平気に発言している人もいますよね?

「中から変える」というのは、中で議論を巻き起こすつもりなんでしょうが、政策の基本的な事で議論を巻き起こしたのであれば、結果、政党としては解党してしまうのは、過去の「新進党」をみれば明らかではありませんか。

この結党時の齟齬は、いずれ政治活動の中で「中道改革連合」の中で細かいヒビとなり、いずれは決裂する事を暗に暗示していると私は感じています。

何しろ「新進党」もそんな感じで解党しましたらかね。今の人はもう三十年以上前の「新進党」の事を忘れてしまったのではありませんか?

 

私が今回、ここで書きたいのはそういう事ではありません。

ちょっとネットで拾った以下の言葉を見てください。

 

おそらくこの人は中道改革連合の支持者ですが、公明党の支持者でもある人でしょう。この中に「【中道】って、人間主義なんだ」とあります。

人間主義」とは創価学会が良く使う言葉ですが、恐らく創価学会の中でも言葉として「人間主義」を使いますが、学会ではその言葉の意義を深堀せずに使用しています。

今回はこの「人間主義」という言葉について、少し掘り下げてみながら、政治の上における「人間主義」と、これから先の人類社会における「人間主義」について思いを馳せてみたいと思います。

お時間のある方は、お付き合いください。

人間主義の核心

人間主義とは「人間の尊厳や理性を重視」するという事と言われていますが、まず一般的な事から言うと以下の事がその核心にはある様です。

 ・人間は価値ある存在である
 ・理性、良心、創造性を信頼する
 ・神や権威ではなく、人間自身の判断を重視する
 ・個人の尊厳、自由、教育を重んじる

この人間主義とは、何もいきなり発生した思想ではありません。そこには歴史的な背景の上で、人類が思考を重ねて来た歴史があるのです。

古代ギリシャ・ローマ時代
ソクラテスプラトンアリストテレスなどが「人間の理性」や「徳」を探求した事が人間主義の源流となる。

・中世の神中心社会への反動
中世は神の意思が絶対で、人間性は二の次に扱われました。しかしそこからの離脱として人間主義が登場しました。

ルネサンス人文主義
古典研究を通じて「人間の価値」を再評価した運動。この運動ではエラスムス(「痴愚神礼賛」と言い、教会や社会の愚かさをユーモア交えて風刺するもの)等が代表的な事でした。

・近代の啓蒙思想
カントらが「人間の自律」「人間は目的であって手段ではない」と主張し、これが現代の人権思想の基礎となりました。

一般的に言われる「人間主義」では、こういった歴史的背景の下で提唱されている事で、現代では以下の分野などに展開されています。

 ・人権
 ・民主主義
 ・教育
 ・対話
 ・科学的合理性などを支える価値観

またこの「人間主義」については「宗教的ヒューマニズム」「世俗的ヒューマニズム」「実存主義ヒューマニズム」と多様な分野に展開されているのです。

創価学会のいう「人間主義

さて、そもそも「人間主義」という明確な概念は、東洋思想の中にはありません。東洋思想の基本である仏教では「縁起思想」はあっても「人間主義」というのは存在しないのです。

先の述べた人間主義とは、基本的にキリスト教を思想の基盤(要は人間は神によって創造された存在である)として派生したものであり、そもそも仏教には存在しない概念です。

またジャータカ伝説を見ても解りますが、仏教では「輪廻転生思想」もありますので、人は必ずしも人に転生する訳ではなく、動物にも転生する事もあると言われているので、殊更「人間」だけを取り上げて、それを「最高尊極な存在」とする思想では無いのです。

ここを解っている創価学会の会員は実に少ないですよね。

しかしそこに池田大作氏は「人間の尊厳」を絶対的価値とする考え方を提唱しました。そしてそれは「人は仏性を内在する」という法華経の思想を根底にして展開したのです。

(まあ、実際に池田大作氏が考えた、と云うよりも周辺側近の人が組み上げた思想だとは思いますが。。。)

この池田大作氏のいう「人間の尊厳」とは
 ・国家
 ・イデオロギー
 ・宗教組織
 ・経済的利益
といった事よちも最終戦される最高価値として「人間」があるという思想になります。

人間主義から中道思想への展開

そして池田大作氏はこの「人間主義」をベースとして、仏教の「中道思想」を捉えなおしました。

仏教の中道とは
 ・苦行主義
 ・享楽主義
この両極端を越えた「悟りの道」として「中道」という事を説いていますが、池田氏はこれを「社会・政治・教育・平和」に応用したのです。

この池田氏の中道思想(中道主義と呼んでも良いでしょう)では、以下の事をその価値観の中心に据えています。

・人間の尊厳
政治・社会の判断基準は「人間の幸福」に置く

・平和主義
対立をあおるのではなく、対話と協調を重視する

・民衆中心
権力者ではなく、庶民・生活者の視点を基準にする

・合理性と柔軟性
イデオロギーに縛られず、現実に即した判断を行う

そしてこれが公明党の「中道主義」の思想的基盤にもなっていると言うのです。

一般的な政治用語としての「中道」とは、左右の中間であり穏健派という意味合いで使われますが、そこが大きく異なるところなのです。

 

とまあ、ここまで「人間主義」と公明党のいう「中道主義」について簡単にではありますが、まとめてみました。

しかしこれって先のネットの言葉で言う「人に優しく、あたたかな政治」の実現に寄与できる思想なのでしょうか。

公明党創価学会の文化部から始まり、公明政治連盟、そして公明党として日本の政治の世界で動いてきました。しかしそこで提唱した「中道政治」が日本の政治に根付き実現してきたかというと、これがまた全然実現していないのが現実なのです。

例えば「人間の尊厳」という事で、全ての判断基準は「人間の幸福に置く」と言っていますが、この幸福という概念も実に曖昧模糊な内容ですよね。これは創価学会でも過去から言っていた様に「相対的幸福」と「絶対的幸福」なんて言いますが、人がそれぞれ幸福を感じる事にも大きな差異があります。

例えば極端な例ですが、公明党議席を増やして「幸福感」を感じる人も居れば、逆に「敗北感」「絶望感」を感じる人が居る訳です。

要は人が幸福感を感じる基準すらままならないのに、そこに「人間の幸福を置く」なんて事が出来る訳がありません。

また「平和主義」と言い、対立をあおるのではなく対話と協調を重視する、なんて言っていますが、果たして公明党議員や創価学会の会員が実践できていますか?

また民衆中心と言いますが、政治の世界では「最大多数の最大幸福」を求めますよね。その上で必要であればマキャベリズムの思想も必要となってきます。これに近い考え方には「共産主義」もありました。そこでは人々の貧困格差は富の格差によると言う事で、それが起きない様に国家が富を分配すると。でもこの共産主義は失敗しているではありませんか。
「民衆」とひとくくりにしますが、その民衆の中には多様な価値観があるのですから、全てを余さず幸せにするなんて出来ないのです。政治が民衆に行えるとしたら、富の分配を出来るだけ公平公正に行う努力をする事でしょう。

あと合理性と柔軟性を言いますが、政治の世界ではイデオロギー(世界の見方、価値観の枠組み)で動きます。そんな政治の世界でイデオロギーを超える事を、果たして公明党は結党以来、実現できているのでしょうか?

また政治では国家の運営を執り行いますが、昨今でも言われる「環境問題」「資源問題」の解決は、人間中心の思想だけで解決する事は出来ません。共存する多様な生物種や環境の事を考慮するのに「人間最優先」だけで解決できる事では無いのです。

 

要は端的に言えば、「人間主義」「中道思想」をスローガンとして公明党は利用してきましたが、それを本気で政治や社会に展開するという「思想戦」を蔑ろにしてきたのです。結果として耳障りの良い言葉で民衆を扇動し、特に自公連立政権の時には創価学会の会員を扇動して様々な政局で利用してきたに過ぎません。

そして今度は立憲民主党の政治家を巻き込み、ここでも創価学会を同じく扇動して利用しようと目論んでいるのは見え見えではありませんか。

公明党議員もそうですが、創価学会の会員も、もう少し賢明にならないと、この流れを止める事なんて難しいのではありませんか?

 

今回の衆議院選挙を迎えるにあたり、この事をもう一度考えて欲しいものですね。