
高市総理の衆議院解散で現在、国内では総選挙の真っ最中ですが、この総選挙も明日の深夜には大勢が判明する事になります。
今回の選挙で公明党と立憲民主党が「野合」して中道改革連合という政党が出来ましたが、そこの話題の一つに彼らの考えている「戦争と平和」について、XのPOST上に多く散見されます。
代表的なものは以下の様なPOSTです。

私が思うに戦後の日本人というのは戦争をまともに学ぶ事なく、ここまで来ました。
日本人の中で戦争を語る時、それは戦場等で起きる悲惨な状況を語りますが、戦争の本質というのは戦場にはなく、国家間の外交にあると私は思っています。
つまり日本人の多くは戦争の本質を知らないという事なのでしょう。本質を知らずに戦争を語っていれば、当然それはピント外れな議論に終始してしまいます。
例えば高市総理の台湾に関する発言にしても、あれは集団的自衛権に基づく個人的な見解についての発言であり、けして日本が台湾や中国に侵略を行うという話しではありません。この台湾有事とは中国共産党が武力で台湾に侵攻したケースの話をしているのです。
要は日本が侵略戦争をする内容の発言ではなく、中国共産党が台湾に侵略したケースを想定していて、その際、中国共産党が台湾と認識している部分には日本の領土である尖閣諸島も入っている状況の話なのです。
日本の領土が入っているという事は、これは詰まるところ中国共産党が日本の領土を侵攻したケースの話をしている訳です。
ここに多くの日本人が戦争や高市総理の発言について、事実誤認いている事が解ります。

戦争については、19世紀のプロイセン(現在のドイツ)の軍人であり思想家であるカール・フォン・クラウゼヴィッツが著した「戦争論(Vom Kriege)」に以下の言葉があります。
「戦争とは、他の手段をもってする政治の延長である」
このクラウゼヴィッツの戦争論は世界中の軍人(主に士官)が学んでいると言われていますが、これはつまり戦争についての基礎的な理論と言ってもいいでしょう。
この著書では戦争を構成する基本的要素としては、以下の3つが挙げられています・
・主体が集団(国家・武装集団)である。
戦争とは個人同士の争いではなく、組織化された集団が戦う。
・武力の組織的使用がある
軍隊・武装組織が計画的に暴力を行使する
・政治目的が存在する
領土、政権、資源、安全保障、独立など明確な目的がある。
つまり要約して言えば、国家間が政治目的を完遂するために行う計画的な暴力の事を戦争というのです。そして国家が行う以上、そこに居住する国民は当然、巻き込まれてしまう訳ですね。
ではこの戦争を回避する為には、どの様な行動が国家として必要になるのでしょうか。
日本国内では共産党や立憲民主党、また創価学会でも多くの会員が考えているのは、この戦争を回避する為に「日本国憲法」の「憲法第九条」を死守する事だと言います。しかしこれを戦争の要素の上で考えてみると、この憲法第九条では「武力の組織的使用」を制限しているに過ぎないのです。
戦争とはけして日本国が必ず引き起こす事ではありません。例えば近隣諸国で言えば、日本の場合には中国共産党や北朝鮮、そしてロシアがあります。そしてこれらの国が日本の持つ主権(領土、専権、資源、安全保障、独立)を侵す、何らかの政治目的を持った場合には戦争が起きる可能性が出て来るのです。
この事実について見落としていませんか?
そしてその状況が発生した場合、日本とその国との間では「外交交渉」が始まりますが、その「外交交渉」が決裂すれば戦争が起きてしまいます。
現在の日本にも「武力」があります。これは自衛隊ですね。しかしそれはあくまでも「専守防衛(守り専用)」の武力でしかなく、専守防衛の大前提として日本が攻撃を受けるという事でしか動かす事は出来ない武力なのです。
過去の戦の歴史を見てみると、国家間の戦争もそうでしたが、日本の歴史で例えば戦国時代を振り返って見ても、先制攻撃を受けるという事は、初めから劣勢に立つことになりますので、「専守防衛」で国を護る場合には、そこにはより周到な準備と体制を常に整えていないと、この劣勢を挽回する事は出来ないのです。
つまり実際の戦争に置いて、自衛隊は初めから不利な戦いを強いられる組織なのですが、この事実を日本国民はどれだけ理解しているのでしょうか。
そこでこの戦争を起こさないために必要な事は何だと思いますか?
それは他国よりも優勢な外交を取るだけの外交力であり、そこには当然、タフネゴシエーターである外交官や政治家が必要になります。しかし過去を見た時、例えば岸田内閣や石破内閣の時代の政治家に、それだけの外交に指導力を発揮できる政治家がいたとは思えません。
岸田総理はG7の広島サミットでも他国首脳にまともに相手にされていたとも思えませんし、石破総理は同じくイタリアで開催されたG7サミットでは、欧州の首脳がアメリカのトランプ大統領との交渉をどうするのかについて打ち合わせを行っている中、そこに呼ばれもしませんでした。
要はあまり外国首脳からも当てにされない政治家だったんですね。
少なくとも高市政権では高市総理やその周辺に、若干の人材はいる様に思えますが、しかしこれでも全然足りていないと思いますよ。
この事から考えてみるならば、国民が本気でこれからの日本の平和を望むのであれば、この日本の政治家の人材不足にこそ危機感を感じるべきであり、あわせて日本の外交官の人材不足に危機感を感じるべきなのです。
またこの平和を得るために「対話しお互いを尊重し、平和な日本を作る」という言葉もありますが、戦争を回避する為に必要なのは「対話力」ではなく「交渉力」なのです。
「対話」と「交渉」の違いを理解している人が、今日本の中で平和を語る人たちの中で、どれだけいるのでしょうか。
戦争が「政治目的が存在する」以上、これは互いの国家間の利害が存在する訳です。その利害を相手国との間で、どれだけ互いの権利主張の中で、落としどころを探して互いに納得できる形に出来るのか。そこは「交渉(ネゴシエーション)」でしか無いのです。
「対話」とは互いの想いや心情、そして立場を理解しあう為に行う事ですが、「交渉」とはそんなレベルの話ではありません。それはお互いに国家という組織とその権利を背負った上で行う「言葉の戦争」と言っても良い事なのです。
今の日本の政治家の中で、特に中道改革連合の政治家に、そんな交渉を行える「タフ・ネゴシエーター」が居るとも思えませんし、これは自民党の政治家でも同様な事が言えるでしょう。
また外務省の外交官僚の中でも、そんなネゴシエーターが居るのでしょうか?
これが不在であるという処に、実は日本の国の抱えている平和へのリスクは存在するのであって、そこを「日本国憲法」「憲法第九条」「対話で相互理解」で回避できると認識している事自体が、今の日本社会が事実誤認をしていると私は感じているのです。
いま選挙では各政党が様々な主張をしています。
日本人としては、これからも平和な日本でありたいのであれば、この政治家を真剣に選択をしなければなりません。政治家を鍛えるのは、選挙毎に行う政治家の選択であり、良い政治家は当選させながら、資質の無い政治家は厳しく落とせる国民でなければなりません。
そしてその真蹟眼を国民が持つためには、情報リテラシーを持つことも大事ですが、その基礎となる歴史観と哲学性を持たなければならないのです。
でも今回の総選挙でXに見える様々なPOSTを見ていても、そこが醸成されているとは全然感じえないのです。
私はそこにこそ、大きな危機感を感じているのです。