自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

私の中の戦争への矛盾

今年は年初の1月3日にアメリカがベネズエラを急襲し、マドゥロ大統領の身柄を拘束に、裁判に掛ける為にアメリカへ連行しました。

その後、2月22日にメキシコの麻薬カルテル指導者のエル・メンチョが殺害されましたが、その際にメキシコ軍に対してアメリカはCIAが指導者の位置特定に深く関与していました。

そして2月28日にアメリカはイラン攻撃を実行しましたが、この時にはイスラエルとの共同作戦で大規模攻撃を実施し、現在もこの戦闘は継続しています。

前ローマ教皇のフランシスコ教皇は、世界各地え同時多発的に起きている紛争を指して「部分的な(断片的な)第三次世界大戦は起きている」と発言しましたが、まさに今の世界情勢はその姿を如実に示していると思います。

私が一つ疑問に思う事なのですが、トランプ大統領は前期に大統領であった時、それまでの民主党の大統領とは異なり「戦争をしない大統領」を誇っていましたが、今年に入ってからは、トランプ政権は幾つもの地域紛争に関与し、今回のイラン攻撃についてはイスラエルと共同歩調を取り攻撃を展開しています。

この背景にトランプ大統領の心境の変化に、一体何があったのでしょうか。

私が今一番気にしている事は、実はその事でありトランプ大統領の背景に一体なにがあったのか、そこを知りたい思っています。

私は若い時から創価学会の活動に身を投じたのも、この世界を少しでも平和な社会に出来るのであればと言う想いもあっての事でした。「私の子供や孫の世代には、戦争の悲惨な経験はさせたくない」。だから昨今の世界情勢を見ていると、とても大きな不安を感じています。

このまま世界は「第三次世界大戦」へと突入してしまうのか。その時、日本政府はどの様な判断を行い、この世界情勢の中、日本をどの様な立ち位置に持って行こうとしているのか、そこがとても心配なのです。

◆日本の戦後の平和

私の世代もそうですが、いわゆる「戦争をしらない子供達」の世代が今の日本を動かしています。先の太平洋戦争で日本はアメリカを中心とした連合国に敗れ、それまでの日本の歴史を隠蔽され教育される中、昭和の奇跡的な経済復興の中を生きて、戦争を知らないまま大人になってしまいました。

誤解しないで欲しいのは、戦争を知らないとは戦場を経験していないという事ではありません。人類社会が紀元前から営々と続けて来た戦争という事の本質を学ばないまま、戦後の東西冷戦の世界の中で、国防に関する事は全てアメリカにおんぶに抱っこの状態で、日本人は戦争を身近に経験せずにここまで来たしまったのです。

そしてこの戦後の平和な期間は、日本国憲法の就中第九条に定められた「戦争の放棄」「武力の不保持」という事で守られて来たと誤解してしまいました。

しかし世界の情勢は常に動いています。

東西冷戦も1989年11月9日に起きたベルリンの壁の崩壊をきっかけとして終わりをつげ、それまでのアメリカの資本主義と、ソビエト社会主義連邦の共産主義という対立軸が崩壊し、その後の世界は民族主義と宗教による分断、そして新たなブロックに別れています。この間に世界で起きた事はけして平和な出来事ではありません。

その中で日本は自国の安全保障に正面から取り組む事もなく、現行憲法の許容する範囲内で活動をしてきました。これが平成時代に言われた「国際貢献」という行動でした。

カンボジアの平和維持活動から始まり、自衛潭のイラク復興支援などがこれに当たります。

しかしロシアが2022年2月24日にウクライナに侵攻して以降、世界の様相は更に大きく変化をしてしまったのです。簡単に言えば「武力による現状変更」を大国が起こす時代になりました。

この様な国際情勢の変化の中で、今の日本は現行憲法が抱え込んでいる矛盾を無視できない状況となり現在に至っている。私はその様に世界を見ています。

◆国際連合(連合国)の限界

本来であれば、国際連合(連合国)がこの「武力による現状変更」に歯止めをかけ、世界の平和秩序を維持する働きが出来れば良いのですが、この国際連合の中でそれを担う安全保障理事会では、常任理事国(アメリカ・ロシア・中国・イギリス・フランス)が拒否権を持っているので、小国間の紛争であれば解決の道筋を見つけられると思うのですが、今の世界ではこの常任理事国が武力による現状変更を行っていたり、また行う事を画策しているので、いくら多くの国々が反対しようが制止を掛けようが、実際にはそれは出来ない状況となっています。この安全保障理事会で非常任理事国が意見を述べようと、採決を求めようと、常任理事国により拒否権が使われたら、そういう意見は一切水泡に帰してしまうのです。

要を言えば、今の国際連合には、常任理事国の行動を止める権限は無いのです。

本来であれば、如何なる国家においても権利は平等に与えられ、そういう場の中で国際的な平和を求められる組織があれば良いのですが、悲しいかな未だ人類はそのレベルには達していません。

実は第二次世界大戦前にあった国際連盟という組織は、そういう世界観を模索して創設された組織だった様です。

しかしそんな国際協議の場では、大国は自らの主張を押し通す事が出来ない事から、この国際連盟というのは、早期に瓦解してしまいました。当時、大日本帝国が国際連盟から脱退した事は歴史で学びますが、この1930年代にソビエト連邦やドイツ、イタリア等の主要国は次々と離脱したのも、こういった制度上の問題だったと言われています。またアメリカは当時「モンロー主義」を掲げていて、初めから国際連盟には参加すらしていなかったのです。

いまの国際連合は、この国際連盟の失敗から、大国を協議の場につなぎ留めておく意味もあって常任理事国という制度を設けたと言うのですが、その結果が今の国際連合の姿が示しています。

簡単に言えば、第二次世界大戦前の当時と、何も変わっていないのです。

◆私の中に感じる矛盾

こんな時代の中で、私の中には大きな矛盾が存在します。

戦争という国家が起こす行為というのは、私自身は求めていません。出来る事であれば戦争なく、多くの人達が平和で生きていける社会でありたいと願っています。

しかしその一方で、世界はまた過去の歴史をトレースするかの様な「武力による現状変更」を求める姿になってきました。

歴史学者の井川元彦氏は、今の日本について「戦争を学んでいない国」と指摘をしていました。戦争の無い平和な世界を求めるのであれば、やはり戦争を学ばずに平和を求める事は出来ません。

そして戦争を学ぶという事は、戦争を正面から捉える事であり、そこには当然武力(軍)と外交を理解しないとなりません。そしてその視点で考え直してみた時、単に自国の武力や戦争という事から目を逸らす事は出来ないのです。

平和を求める為に、あえて戦争を直視して向き合わなければいけない。これが私の中に抱える大きな矛盾なのです。

私の子供の頃は「日本国憲法」と「憲法九条」に定められた「武力の放棄」「戦争の放棄」を忠実に大事にすれば、この平和は未来も守られていくという事でした。

しかし現実には、日本は独自の軍隊を持たない代わり、アメリカ軍の傘の下にあって、自国の安全保障は日米安保条約に拠っています。国家の安全保障を他国に依存するという事は、その国の自主独立は完全なものにはなりえません。昨今では高市政権の動きを「アメリカのポチ」と揶揄する人も多くいますが、この高市政権の姿勢は今の日本の現実の姿を見た時、アメリカ従属に成らざるを得ない現実があるのです。

この日本がアメリカの絆(ほだし)から逃れる為には、日本として独自の武力を持ち、国家の安全保障体制も自国独自に持つべきなのです。そして自国の安全保障体制を独自に持つという事は、当然政治家や官僚もそれなりのレベルの人材が必要になってきます。しかし今の日本の政治家のレベルとは、まさに今の日本国民のレベルそのものであり、未だそのレベルにはありません。

またこういった議論を今の日本人は拒絶するでしょうし、アメリカにしても地政学的に考えて、日本という国が独自の行動をとれる国になる事は望んでいない状況です。

これについても、私の中に抱える矛盾となっています。

いま世界は新たな動きを始めていますが、その中で日本が国として生き残る為には、まだまだ越えなければならない課題が山ほどありますよね。悩ましい限りです。

 

まあ、、、そもそも今の人類社会があと何年持ちこたえられるのか。そこもありますけどね。