自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

諸法実相と無量義は一法より生じるについて

久しぶりにこちらのブログの記事を更新します。

前の記事にも書きましたが、今年に入り、冒頭にアメリカがベネズエラへ侵攻し大統領を拘束し、その次はメキシコ政府の麻薬カルテルへの攻撃を後押しし、そして今度はイランへの攻撃をイスラエルと共に行いました。

これらの事について、日本国内では「戦争反対」を叫び、現高市政権を批判し、イランがホルムズ海峡を日本が航行する事を許可するという外交的な揺さぶりに賛同し、そこで日本政府の外交姿勢を批難する声が多くあります。

私も戦争は反対ですが、この今の世界情勢は日本一国の問題ではなく、様々な国が様々な思惑の下に進行している事でもあるので、これを機に今の日本政府の動きや政権批判をしても意味ないと考えているのです。

そんな事を考えながら、日々X(エックス)のPOSTを眺めていても、何か心がかき乱される様な感じもしているので、ここ最近は、以前よりもX(エックス)へのPOSTを控える様にしています。

あ、、、趣味の方のPOSTは逆に増えていますけどね。

X(エックス)に溢れかえる日本人のPOSTも、何か刹那的であり、表層的な事でしか反応していない事は、とても寂しい限りではありますが、それが今の日本人の社会へのモノの見方を端的に顕しているのでしょう。

しかしこのままでは、恐らく太平洋戦争になだれ込んだ時代と同じ事が招来してしまうのではないでしょうか。何故ならあまりに刹那的な言動が多すぎます。現状では保守もリベラルも、この世界で起きている事象の「奥」に考えを向ける視点というのが欠如していて、結局はオールドメディアに代表される様な、一部の表層的な言動に右往左往しているに過ぎない。私にはそう見えているのです。

◆無量義は一法より生じる

さて少し話を変えますが、最近、私はX(エックス)のPOSTを控える分、様々な事に思考を巡らしています。

そこで感じた事なのですが、この世界の姿というのは実に複雑怪奇で入り乱れています。そこには人々の思考であったり念であったり、組織の思惑もあれば、政治的な思惑もあります。また各企業やグローバル企業を始め、いわゆる巨大資本の思惑もあるでしょう。

そしてこの世界には様々な原理を元に、これら多くの思惑が絡み合う中で、人々は動かされ、その多くの人々の思考が結果として環境(社会)を創り出しているのです。

良く言う言葉で言えば「思考は現実化する」という言葉もあるでしょう。「集合的無意識」という言葉もあるでしょう。仏教で言えば「心如工画師」という言葉もあるでしょう。それは様々な言葉で語られていますが、この世界の環境を生み出しているのは、まぎれもない「人の心」であり、一人ひとりの心が積み重なり形成される「集団の心」であり、それによって人類社会の「集合的な意識」という事にもなっていると思います。

そして私達一人ひとりは、この「集合的な意識」や「集団の心」の働きのフィードバックを受けて「人の心」がざわめき動いていきます。そしてまたそれは「集団の心」「集合的な意識」へと反映されていくのでしょう。

この個から集団、そして大きくは人類という種族の意識と連動する動きの上で、人類社会の生きている環境なども創り出されています。

だから私は思うのです。

いま目の前に起きている事に、大きく自分の心を揺り動かされ、そこで仏教のいう「八風」に動かされたとして、それに一体、どの様な意義があるのか。ここでいう意義とは一人ひとりの人生にとっての意義です。

現代はとても激動する時代になってしまいました。
今から十年前には考えられないほど、世界は激しく動いています。

この様な時代にあって大事な事は、目の前に起こる様々な現象。これは仏教でいう「無量義」と言っても良いでしょう。その現象の奥深くで一体なにが動いているのか。そしてそれがどの様な仕組みで現在私達の目の前に現れてきてしまったのかという、「無量義は一法より生じる」で言う「一法」への思考を働かせる事が出来るのか。

そういう事だと思います。

ある意味で社会の動きとは、一人の働きではどうにも動かす事は出来ません。しかしそんな社会の中で、自分の人生を如何に有意義なものとしていけるのか。そこは自分の判断次第ですからね。

◆諸法実相について

この思考を働かせる上で大事な観点を与える言葉が「諸法実相」でもあります。

ここでいう「諸法」は、私達の眼前に起きる様々な事象の事を指します。そして仏教ではそこに「実相」を見て行きます。この実相とは様々な事象を起こす「実体」と言っても良いでしょう。

これについては、天台大師智顗は「一念三千」という教理を説き、日蓮はその「一念三千」を自身の生き方の上で体現する「事の一念三千」を重要視していました。

先ほど「無量義は一法より生じる」の「一法」とは、この一念三千であり、それはどういう動きとして「諸法」として現れるのか。その具体的な内容を一念三千は示しているのです。

今の時代は「智慧」がとても大事な時代に入りました。

「智慧」とは単にマントラを唱えたら得られるものでもありませんし、宗教組織の指導者が言う事を忠実にトレースする事ではありません。

自分自身の頭で考え、思考し、その上で自分自身がとれる行動をとっていく。そして行動の結果を自身の中でフィードバックしながら、さらに思考を深めて行く。

こういった自身の中で「思考の深化」を図らない限り、智慧というのは発動しないでしょう。

私はこの様に考えているので、X(エックス)でのPOSTも減らしています。やはりいま世界で起きている様々な事象の推移に目を凝らしていきたいですからね。

皆さんはどの様に思いますか?