
今日は少し似つかわしくない記事を書きます。
よく欧米では「LOVE(ラブ)」という言葉を使いますよね。私は映画を見るのが好きなので、暇な時には、配信サービスで様々な映画を物色しては見ています。
そんな中で、欧米の映画のなかでは至高の考え方として「LOVE」という言葉を使います。それは恋人への気持ちだったり、家族や身内、壮大なストーリーの中では人類に対する気持ちとして、この言葉を良く使います。
この欧米の「LOVE」というのは、その淵源はキリスト教にもあると思いますが、この単語は日本では「愛」として訳されています。
この日本には昔から「愛」という言葉はありました。戦国の世では、武将の直江兼続が自身の兜に「愛」という文字を付けていたのは有名な事です。
この「愛」という言葉ですが、その淵源を辿れば仏教に行き着きます。日蓮の文字曼荼羅にも梵字で認められている「愛染明王」なんていうのも、そのまま読めば「愛に染め上げられた明王」なのかなんて思ったりします。
仏教において、この「愛」という概念は、どちらかと云うと「執着」という意味が含まれています。例えば道具や物に「愛着を持つ」とか、「愛憎」なんて言葉には相手を思うばかりに、それが憎しみに変わっていくさまを表現している言葉だったりします。つまる処、好意的な意味合いが含まれる言葉ではありますが、そこの底辺にはどうしても執着という感じが残る感じがあるのです。
そこから考えてみると、欧米で語られる「LOVE」という単語を「愛」という文字に当てはめるのも、少し違うのかもしれないなと最近考える事が度々あります。
何故こんな事を考えているかと言えば、例えば欧米の映画で、「DEEP IMPACT」とか「アルマゲドン」なんかを見ると、そこでの登場人物の言動の中には「LOVE」という言葉がとても多用されていますが、果たしてそれは日本人が「愛」という単語に感じるニュアンスとは少し異なるのではないかと、最近になり感じることがあるからです。
また近年、特にYouTubeに上がる動画の中には、2027年や2030年に人類が滅びるなんて動画もよく見かけますが、そこで今の人類を救済できるのは「愛」なんだ、なんて言葉も多く見かけますが、これとて欧米からの情報を日本に引っ張り紹介している内容も多く、そこで欧米の予言者や未来予知する人が語る「LOVE」という言葉を単純に「愛」と訳しているに過ぎません。
しかし欧米の人達が語る「LOVE」というのは、そこに執着というのは無いようです。ある意味で純粋に見返りを求めずに相手を受け入れ抱擁するというニュアンスをとても強く感じるのです。
ではこの「LOVE」という言葉を「愛」ではなく、もっと的確に表現できる単語というのは、日本に無いのでしょうか。
そこ昔、創価学会の書籍(本の名前は忘れました)の中で、この「LOVE」というのは「慈悲」という言葉であると語っていた内容がありました。この「慈悲」という言葉は成る程「愛」という言葉のような執着という意味合いはありません。
また慈悲とは抜苦与楽という言葉もありますが、相手の持つ苦を取り除き、そこに楽を与えるという意味もあるので、その分、「愛」という言葉よりも「LOVE」という言葉の意味により近しいように思えます。
ただこちらにしても、日本の中では仏や菩薩が衆生に対する想いという意味合いもあるので、この言葉を真に理解する場合には、単に仏や菩薩を救済者の様に考え、そこにお縋りする様な考え方がある内は、やはり欧米の「LOVE」という言葉の意味合いとは異なってしまいますよね。「LOVE」とは単に相手から与えられるだけの事ではなく、それを自分も理解して、周囲に対しても等しく同質な想いを持つことという意味合いもありますからね。
今の人類社会は、実は有史以来、最大のターニングポイントを迎えつつある状況です。日本国内では、テレビや雑誌を観ていても、そんな事は露も感じる事は無いかも知れません。テレビを付ければ芸人の空騒ぎの様な番組や、世界の情勢を「コメンテーター」という解説者の恣意的な角度付きの情報で多少は報じていますが、そんな番組ばかりです。いま世界で起きている事を、日本のなかに居て、政界や財界、ましてや特定国の思惑に沿ったマスコミの垂れ流す情報の中に浸っていたら、それを認識する事も出来ないでしょう。
しかし欧米社会の中では、この世界のターニングポイントを迎える中で、大事な概念として「LOVE」という言葉が語られていますが、日本の中では、それも少し違う感覚で認識されてしまいますよね。
そんな取り留めのない事ですが、今回は少し記事として書いてみました。