自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

はじめまして

はじめまして。

 

Hatena Blogを始めました、斎藤単己と言います。

単己とは法華経に「況んや復単己にして遠離の行を楽えるをや。」(従地涌出品第15)ある言葉から引用させてもらいました。

私は二十代から四十代までの四半世紀近く、創価学会の中で活動をしてきましたが、四十代半ばで組織活動から足を洗い、現在に至っています。

人生をそろそろ振り返りが必要な年齢になった今、別に組織で徒党を組んで生きていかなくても良いし、やはり自分の人生、考え思う事は自由でありたいと考えたからです。

ここでは創価学会で経験した事、学んだこと、そしてそこからの自分自身で考え思った事について書き連ねていきたいと思っています。

本ブログのカテゴリーとして以下の様に分類しています。

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もしお時間がある方がいたら、お付き合い頂けたら幸いです。

 

これからもよろしくお願いします。

 

創価学会の衰退について思う事

10月に入り、ようやく天候の方も良い感じになってきました。

とは言え、日本周辺には3つの台風があって、その影響で先日は太平洋沿岸でも大変だった様ですね。小田原では川の水が逆流し、街中に水があふれ出てしまい、高波の影響もかなりあったとニュースで観ました。

正直、この状況もそうですが、それ以外でも今年に入り発生した集中豪雨の被害を見ても、アラカンの私がこれまでの人生の中で、見た事のない景色を多くみる事となっています。

これはやはり地球温暖化をはじめとする地球規模の環境変化によるものなんでしょう。

「万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。」
(如説修行抄)

私が男子部で活動を始めた40年前、先輩からはこの御書を教えられ、創価学会の思想が広がって行くならば、この世界は平和で安穏な世界になる。広宣流布とはそういう世界を作る事なんだと教えられもしましたが、結果、四十年経った現在、日本と世界はどうなったのでしょうか。いやいや、日本や世界という話し以前に、創価学会も瓦解を始め、公明党の位置づけすら昔とは全く異なった存在となってしまいました。

ネット上のXでは、今の創価学会男子部員のPOSTで以下のものがありました。

まあこの男子部にしたら、未だに創価学会の掲げる希望を信じ、そこに自身の人生をかけているからこそ、こういった発言もすると思います。

しかしそんな幻想によって希望を語ったとしても、もう創価学会は時代の役割も負えたのですから、これから再起する事は出来ないでしょう。あるのは瓦解の速度を速めながら、日本国内にある新興宗教の一つとして、細々と続いていくのが精一杯なのは、現状を冷静にみれば解ります。

という事で、この創価学会の衰退について、今回は少し私の観点から考えている事を書いてみます。

◆衰退は何時頃から

私が未来部(中学生から高校生時代)の時、まだ当時の創価学会には未来があったと思います。

当時の支部では中等部や高等部で二十名を超えるメンバーもいて、小学生を含めると百名近いメンバーが未来部として在籍していました。当時の支部総会は地元の公会堂を借りて行いましたが、そこに支部の皆さんが集まって、未来部でも出し物を行い盛り上げていた事は今でも記憶に残っています。

まあ組織割の規模として考えると、当時はいまの2~3支部が一つの支部ではありました。

この当時、未来部には男子部の部長や支部の男女青年部の担当者もいて、仲良くワイワイガヤガヤとやっていました。

そして男子部になり活動を始めた頃も、男子部の統監は支部では100名前後あって、活動家も20名から30名はいる支部もざらにありました。私の支部は活動家も少なくて10名前後でしたが、その後に組織的にも盛り上がり、20名を超える活動家もいたのです。

私が支部の男子部長の時代。

統監は90名ほどでした。各地区には地区リーダや地区副リーダ、そして班長もいましたので、常時の活動家は10名前後の規模でした。そして大きな会合で結集を行うと、だいたい25~6名は参加してくれたものです。(統監の約1/3ですね)

また本部長時代には、統監が500名ほどいましたが、やはり大きない会合になると、200名以上は参加して貰っていました。

 

ただ流れが変わり始めたのは、やはり第二次宗門問題のあたりからではないでしょうか。

第二次宗門問題で、創価学会は「創価ルネサンス」という事を打ち出して、当時は御本尊授与も出来ないので、「会友」という名目で今でいう「友好拡大」に取り組んでいました。

この打ち出しの当時、私は部長でしたが部員や地区リーダの友人なども、気軽に支部の活動者会に参加してくれたり、支部総会の時には、企画モノについても一緒になって考え、制作も一緒に参加してくれたものです。ただ当時、壮年部や婦人部の一部からは「友人が来てくれるなら折伏すべきだろう!」なんて風潮もありましたが、当時は会員とか非会員の垣根にはあまりこだわらず、自分達の男子部の行動に共感してくれたら一緒にやろうというスタンスでしたので、そういった外野の言葉は一切無視も出来たのです。

当時は地域や社会問題を扱い、地域内でそういった情報を発信する「オープンハウス大学校運動」という事をやっていたので、そこに友人も共感し、参加してくれたと思います。

しかしそれから少し経って。

池田名誉会長が「日寛師の御本尊を授与出来る様になったよ、おめでとう」なんて事が言われ、そこから一気に組織の雰囲気が変化しました。

それまで垣根無しに友人も来てくれてはいましたが、その友人に対して「御本尊様を頂こう、創価学会に入会しよう」というスタンスに切り替わった途端、友人は創価学会の場には来なくなりました。

また幹部についても、評価軸として「御本尊授与でどれだけの成果を出せるのか」という事にシフトし、要は先祖帰りの様な雰囲気になっていったのです。

当時、私は部長という立場でしたが、同じ本部内の部長も、この組織の様変わりには不安を感じましたし同様の危惧を持っていました。要は組織の境目なく、理解・共感層を増やす事が「オープンハウス大学校運動」の主旨で活動をしていましたが、そこから明確に「内部・外部」と立分けする様になり、そうなるとそれまで共感をして来てくれていた友人は直ぐに創価学会からは離れて行ってしまのではないか。また組織も成果主義に逆戻りをするのではないかという危惧でした。

その後、組織全体として「成果(この場合では御本尊授与の数)」を求める方向にシフトしたのですから、現場の雰囲気は一変したのを覚えています。

要は「先祖帰り」ですね。

この御本尊授与ですが、当時は「入会基準の厳格化」という話しもあって、表向きはそれまでの「成果主義」を排する方向も打ち出しにがありました。幹部が仕切りにいっていたのは「昔とは違う」という事だったのです。

でも時間の経過と共に「成果(数字)を追う活動」に拍車がかかり、この厳格化のルールも形骸化していきました。

例えば座談会にはしっかり参加している事、入会に際しては壮年本部長の面接をしっかり受ける事など、決まり事は以前とは異なる事が決められていました。

しかしこの「入会基準の厳格化」も形骸化してしまい、座談会は友人宅に幹部同行で話す場を座談会と呼び、本部長面接と言っても、例えば会館で行われる本部幹部会同時中継の終了後に、入会者を本部長にあわせらだけで面接に代わりにするなど、まあとにかく成果を上げさせる為、それが軸となってズレていったのです。

この状況の中で、各組織の中では、それまで活動家だった班長や地区リーダがポツポツと消え始める事が増えて行きました。しかしそれでも折伏戦を軸として、人材を育成するというスタンスで組織は動いていましたので、そこそこ新しい活動家も出て来たりしていました。だからこの段階では組織が衰退するという事は、あまり実感としては感じてもいませんでした。

◆選挙への取り組み

この御本尊授与の変化(破門で御本尊流布が無くなり、創価学会の御本尊の授与が始まるまで)の時期と平行して、政治の世界では公明党が前進的解党され、新進党に合流し、そこで55年体制の崩壊と、あらたな連立政権が樹立するという事も、日本の社会の中で起きていました。

この当時は「もう俺達は選挙戦という活動はやらなくても良いんだ」と男子部の中でも喜んだものですが、結果、新進党も長続きはせずに解党してしまい、結果、公明党が再結成されたのです。またその後に「自民党は創価学会に詫びを入れてきた」と良い、自自公連立政権から自公連立政権へ移行しました。

こうなると、それまでの選挙戦は公明党だけ支援だったのですが、ここに自民党の支援という話しも組織内に出てきました。この事から必然的に選挙に関わる事も増えていったのです。

「選挙は組織の消耗戦である」

これは私が男子部になった頃から、多くの先輩が語っていた事なのですが、その消耗戦である選挙戦が、一時期は御本尊授与の代わりに「組織の引き締め」で行われる様になっていきました。その後、御本尊授与が再開した後も、この選挙への取り組みは創価学会の中で日常的な活動として定着もしていったのです。

これは私が男子部で県主任部長になった時の話です。

とある支部の活動者会に担当幹部で呼ばれ参加をしました。そこで地区リーダーからは、年金への取り組みで自分は公明党の政策に賛同できないので、今回の選挙戦は活動しません、という話しを受けました。

私は政治信条の自由は大事な人権の一部でもあるので、それで問題無いと言う話をし、でも日々の勤行だけはしっかりやれよ、と話をして終わりましたが、その日の深夜、県男子部長から連絡がありました。それは私が参加した支部の部長からのクレームが県男子部長の処へ入ったとの事。

要は部長はその地区リーダを、公明党支援にひっくり返してくれる事を期待していた様ですが、意に反して私が地区リーダの言を受け入れ、結果として支部内にもそんな雰囲気が広がってしまうでは無いか、という事だったそうです。

確かに部長は本部や区からは、選挙戦では数字で詰められます。支援の数字が上がらなければ部長は常に責め立てられますので、その思いは理解できます。しかし政治とはあくまでも個人の政治信条に基づくもので、それをひっくり返す役割は、本来は公明党側の問題であって、そこが信仰とオジヤ状態になっているのがおかしい話なのです。

信仰と政治信条は違う。

だから諸先輩は「選挙戦は消耗戦だ」と呼んでいた筈なのに、今ではその選挙戦で票を集める事自体が、人口活動の中軸になっているのですから、組織は疲弊をしてしまったのではないでしょうか。

◆教義を軽視した姿勢

あとは教義というものを組織的に軽視した事も、組織の衰退につながって居ると思います。

私が男子部の頃には、「教学は信心の背骨だ」とよく言われました。

だから会合には御書全集を持ち歩き、会合の合間には先輩幹部を中心に御書を読みあったものです。また私が部長になった時、先輩からは「思索の時間は必ず作れ」と言われました。要は活動方針が出た時に、部長はその活動方針を御書と池田先生の指針を以って、しっかりと方向性を語れるだけの力を付けなければならないと、良く言われたもので、私も会合前には御書を読みながら話す内容を考えたものです。

しかし私が区男子部長の頃でしょうか。

東京巣鴨の戸田記念講堂で「首都圏男子部幹部会」が開催され、私は参加しました。

その時の担当幹部は、後に理事長となり消えて行った正木正明氏(当時、副会長)でした。その会合の幹部指導の中で正木氏が語ったのは、要旨としては以下の内容でした。

「最近、池田先生は”この先の100年”という言葉を良く語る。それを私なりに思索をして解った事は、この先も創価学会の組織は永続させなければならない。そして世界の宗教を見た時、多くは指導者が亡くなった後に分裂しているが、それは教義論争で分裂している。だから池田先生亡きあとを考えた時、大事なのは師弟であり教学では無い」

だいたいこんな内容を語っていました。

また正木氏は先の記事でも紹介した様に、とある大きな壮年部の会合では、日蓮大聖人の御書は難しいから無理して学ばなくても良い。池田先生のスピーチを学べば充分である。そんな事も指導していました。

そしてそれ以降、組織内では「師弟不二」が全面的に語られる様になり、当時まだ同時中継に出席していた池田氏も「仏法の究極は師弟なんです」と強い言葉で指導をしていたのです。

その為もあってか、創価学会は教学を学ばなくなっていきました。

確かに創価学会には教学試験というのがあり、その度に基礎教学を学ぶ事はあるでしょう。しかしそれが実生活にリンクして語られる事は無くなりました。またこの実生活にリンクするというのは信仰体験の事を云っているのではありません。この事について日蓮は述べています。

「法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」
(減劫御書)

法華経に説かれている内容はけして世間から遊離したものではなく、社会の動向(一切世間の治生産業)も、それに即して説かれているのですから、そこから学びえる事も多くあるのです。

しかしこの様に教学を学ばなくなった創価学会は、組織内の動きが社会と遊離し始めて行ったのかもしれません。

最近、何気に私は地元の地区部長と話す機会もありましたが、地区部長に壮年部の人材が消えている現状を聞くと、私が男子部時代に活動していたメンバーも、今では組織に顔を出さなくなっている事、そしてその理由として幹部が壮年部員の疑問に対して的確に回答できていない現状も聞きました。

要は近年になり、選挙ばかりの活動や形骸化した活動を見て、壮年部が幹部に疑問をぶつけるのですが、当の幹部がその疑問に答えられるだけ当意即妙な答えが出来ず、「池田先生との約束」とか「池田門下ならば」を連呼するので、辟易してしまったようなのです。

これも創価学会が教学を軽視した結果としての姿なのかもしれませんね。

 

まあ様々思う事を書いてみましたが、創価学会はそもそも「ボトムアップ組織」ではありません。創価学会はどこまでいっても「トップダウン」の組織文化が根付ています。

本部幹部会でよく池田氏は「下から上を変えていけ」とハッパをかけましたが、実際に現場で意見を言っても採用される事はありません。何故なら創価学会の組織とは「数字至上主義」の文化が根付いていますので、数字に貢献していない者の意見を採用するだけの器量が無いのです。

他にも様々な要因があると思いますが、私が創価学会の衰退について思う処を少し書いてみました。要は途中で変革するタイミングはあったのかもしれませんが、創価学会としてそのタイミングを逸してしまったので、もう戻る事はないでしょう。あとは瓦解の速度を速めながら、昭和の時代に出来上がった新興宗教の一つとして、社会の中で残滓が残るだけと私は思っているのです。

 

謗法についての考察

先日、創価学会系の仏壇屋の「金剛堂」が、実は別法人で他宗派の仏壇や仏具、そして仏像も販売していて、他宗派の僧侶の派遣業をやっている事をXで知り、私自身、その内容にちょっと過敏に反応してしまいました。

ちなみにその企業のホームページは以下のものです。

obutsudan-tetote.com

 

でも何故、この会社が「金剛堂」と関連しているか、それは代表者が小嶋 剛となっていますが、これは金剛堂の代表者と同じ名前です。またTe to Teの実店舗が金剛堂の店舗の場所と重なっている事からもこの事が判ります。

私もこれを知った当初は、驚きと共に「創価学会の周辺もここまで来たか」という事を感じ、多少感情的になってもしまいましたが、まあ「仕事」と割り切った場合には、そんな事もありだろうし、いくら創価学会の周辺企業とは言っても、創価学会の組織がこれだけ瓦解を始めていれば、創価学会の会員以外にも顧客を開拓し、企業としての生きる道を探すのは、ある意味で当然の事だと思いました。

ただし金剛堂も同じ店舗内でこういった他宗派の仏壇や仏具、そして仏像から他宗派の僧侶の派遣に関する「商売」を行う事は出来なかったのでしょうか。わざわざ別の法人を立ち上げ、別ブランドとして営業をしていますが、恐らくそこには顧客としての創価学会の会員への配慮もあったのでしょう。

金剛堂ブランドで他宗派の仏像を販売するというのは、主たる顧客の創価学会の会員にとっては「謗法」に映る行為になりますし、そうなると幾ら少なくなったとは言え、金剛堂は顧客に対して大きな裏切り行為を行う事になりますからね。

そしてネット上には、この金剛堂の社長の行った企業活動について、理解を示す創価学会の活動家も多くいますが、それとて心の中には、「謗法」という言葉と共に、忸怩たる感情を持ったのではありませんか?

さて、ここで問題になる事は「謗法」です。

今回はこの「謗法」という事について少し書いてみます。

◆謗法とは

そもそも「謗法」とは「誹謗正法」という意味があり、そこには「正法を謗る事」という意味があります。この事について日蓮の御書をひも解くと以下の言葉があります。

「謗法とは法に背くという事なり法に背くと申すは小乗は小乗経に背き大乗は大乗経に背く法に背かばあに謗法とならざらん謗法とならばなんぞ苦果をまねかざらん」
(顕謗法抄)

つまり小乗教においては小乗経典に背く事、大乗教では大乗経典に背く事は謗法になり、その行為は謗法を犯した個人だけではなく周囲にも苦しみの結果をもたらすと言うのです。しかしここで留意すべきは、例えば大乗の教えの中では、小乗経では個々の救いを与えるが、そこには決して他者を救済するという行為はなく、得られる結果も阿羅漢(声聞界の最高の悟り)は得られはするが、それは究極の悟りでは無いと言います。

これは大乗経典の中で、舎利弗等の二乗が「永不成仏」と断呵されていたという事から判ります。
つまり小乗教の教えというのは、大乗経にとっては謗法と成りうる訳です。

また外道に於いても天界の悟りは得られるが、結果としてそれは悪道に堕ちてしまうと言っていますが、これは仏教全般から見たら、外道の信心とは謗法に成りうると言っても良いでしょう。

つまりここでいう「法」とは「信じる法」を謗る行為を「謗法」と呼んでいるのです。

日蓮が述べた謗法とは、南無妙法蓮華経に背く行為を指していました。

戦前、創価学会の初代牧口会長が治安維持法で逮捕された犯罪行為とは、神道の神棚を破却した事だと特高尋問調書にありましたが、これは神道の立場から見たら不敬に当たる大罪行為で謗法にもなりますが、牧口会長自身は、大石寺の謗法厳戒の教えに基づいて行った事で、この神棚への信仰とは、南無妙法蓮華経に背く行為と信じていた事から、これは「謗法払い」であっても「謗法では無い」という信念の行動となっていました。

要は「謗法」と言っても、そこには「正法」として信じるものに差がある訳であって、この「正法(正しい法)」という事が絶対的かつ普遍的なものとして確立されない場合、一言で「これは謗法だ」と言っても、そこは片方では正義であっても、もう片方では単なる言いがかりか犯罪行為にもなってしまうのです。

その様な事からあるから、日蓮は「五重の相対」という教相判釈に重きを置いて、その比較相対の上から「正法」を南無妙法蓮華経としたうえで、謗法に対する様々な指摘を行ったものと思われます。

しかしこの「五重の相対」に於いて、日蓮正宗では「種脱相対」を定め、一方の日蓮宗では「教観相対」となっており、日蓮正宗では文底下種の南無妙法蓮華経であるのに対して、日蓮宗では本門寿量品の事の一念三千となっています。

要は日蓮は謗法厳戒の教えと言われていますが、その日蓮宗派内に於いても「正法」を規定する事にも大きなブレが生じているのが解ります。

また、例えば立正安国論でも謗法という事を責めていますが、日蓮がこの立正安国論を上奏した段階では、「法華経」に対して幕府や当時の鎌倉仏教界に対して謗法と責めましたが、この段階では「法華経=南無妙法蓮華経」とはなっていません。

日蓮は後の「上野殿御返事」(弘安元年四月)に於いては「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と語っていますが、立正安国論の段階ではその様な事にまで至っていなかったのかもしれません。

◆謗法への捉え方

この謗法について、厳しく追及するのは日本国内の宗教では、日蓮宗や日蓮正宗系の宗派の一部、そして特定の宗教団体に限られていると思います。私は日蓮正宗系の教団以外の他宗派や他宗教団体から、こういった謗法という言葉自体を聞いた事がありません。

あと最近ではイスラム教徒の一部でも「アラーの教えに背く」という事で、例えば近年、日本国内にある地蔵等の仏像破壊をしたり、神社仏閣の施設に対する破壊行為があったりしますが、あの行為もイスラム教からみたら「謗法払い」と同じ感覚なのでしょう。

この謗法を語る際、自分達の信じる教義に対する厳格な姿勢を、対外的に示すというのは教団的には意義があると思われている節もありますが、実は創価学会が日本国内で忌み嫌われて来た理由の一つに、この謗法に対する厳格な態度、そしてそれに対する行動があった事も事実です。

私が男子部時代、職場の後輩と話す中で、たまたま仏法対話となった事がありました

その時に後輩からは「私は創価学会に入会するのは良いけど、母親は絶対に許さないから無理です」と言われました。理由を尋ねると、その後輩の家庭はシングルマザーの家庭で、母親が昔、創価学会の折伏を受けた時には、後輩はまだ母親のお腹の中に居たそうです。当時は近所にいた高齢の婦人部から勧誘されたものの、母親は創価学会に入会する気にならなかったので、やんわり御断りすると、その高齢の婦人部からは「謗法の罰は子供に出るからね!」と言われ、それで物凄い傷ついたとの事でした。

それはそうですよね、シングルマザーで出産や育児で不安のある中、そんな言葉を言われたら、誰でも傷が付きます。斯くいう私も活動を止めた時、子供が嫁のお腹の中にいた時に「親の宿業は子供に出る」なんて言われ、物凄い腹が立った事がありました。

いまネットにいる創価学会の活動家の中には、安易に「昔と今は違う」と、この過去の行いを切り捨てる事を云う人がいますが、それはあまりに虫が良すぎる話でしょう。

私は個人が信仰する上で、自分自身の行動を律するために、この「謗法」という言葉を自分自身に向かい言う事は構わないと思います。しかしこれを安易に他者に向ける言う言葉ではありません。何故なら万人が納得できる「正法」が無い限り、この言葉は単に自分達の宗教団体に都合の良い言葉でしょうが、それを他者にぶつけると、それは他者を傷つける言葉にもなってしまいます。

例えば日蓮正宗は過去に「針金宗と呼ばれた」なんて自負していました。教えに厳格な姿勢を持っている宗派という意味だそうです。

しかしそもそも日蓮門派の中でも、その正法を定める教相判釈すらまとめられていないではありませんか。もし日蓮正宗が謗法という言葉を言うのであれば、まず日蓮宗と徹底して議論を行い、「教観相対」の考え方を「種脱相対」に破折屈服させるべきでしょう。

また創価学会についても同様で、他者を謗法と言う以前に、教学要綱とこれまでの日寛教学の何れかが正しいのか、そこはきっちりとケジメを付けると共に、自分達の教義について真摯な姿勢の下で、多くの人に対して「納得と共感の対話」が出来る様に努力すべきでしょう。

ちなみに私個人の考え方としては、そもそも他人に対して謗法という言葉を投げつける考えを持っていません。何故なら人々が同じ認識、同じ理解で同じ信仰や信念を持つ事は不可能だと考えていますので、「正法」すら一つに出来ないものに対して「誹謗正法=謗法」という言葉は投げつけられませんからね。

 

以上、謗法という言葉について考えている事を書かせて貰いました。

 

ディスクロージャー・デイを見てきました

早いもので10月になってしまいました。

そういえば東京では2か月間、雨模様が連続していると言われています。確か先週あたりは一度、天気も持ち直したと思いましたが、夕方に少し雨が降ったので、この連続記録となったそうです。

今年の天候は例年のものとは明確な違いがあると感じています。

例年であれば、この時期には西から東へと天気は動き、移動性高気圧と低気圧が交互に来ることで、天気はある程度周期的に変化するものと思いますが、先々週もそうだし、今週もそうですが、南方から台風が北上し、それが日本付近に停滞している秋雨前線を刺激して、この様な天候不順を起こしているのではないでしょうか。

この要因は、太平洋の東側で発生している「スーパー・エルニーニョ」と、今年はモンスーンの季節風も強くなっていると言われていますので、その影響なんでしょうか。

さて、そんな事を思いながらの日々ですが、今回は昨日封切りされた、スティーブン・スピルバーグ監督の作品「ディスクロージャー・ディ」を見てきましたので、その事について少し書いてみます。

偶にはこんな話題も良いかと思いましたので、お時間のある方はお付き合いください。

◆ディスクロージャー・ディについて

この映画は当初、7月公開を予定されていましたが、アメリカの公開スケジュールの変更もあって延期されていました。

ざっくりとした内容(ネタばれしないレベル)で映画の中身を言うと、大枠以下のストーリー展開となっていました。

 ・サイバーセキュリティ専門家ダニエルが、政府と秘密企業が隠してきた 地球外生命体との
  接触記録 を盗み出す

 ・気象キャスターのマーガレットが突然「未知の言語」を話し始め、能力が覚醒

 ・二人は巨大組織に追われながら、世界に真実を開示する放送(Disclosure Day) を行う

 ・70年以上隠されてきたUFO/UAPの機密情報が全世界に公開される

本年はアメリカのトランプ大統領が、UFO(UAP)と異星人の情報公開をするのではないかと話題になっていましたので、それにあわせて一部界隈では、この映画はかなり注目をされていました。

そんな前情報なんかもあったので、私も封切り当日、20:40上映開始の映画を見てきましたが、一言で言えば「スティーブン・スピルバーグの映画らしい内容だ」と感じました。要は「未知との遭遇」+「E.T」みたいな内容で、この過去の映画をミックスして「UFO(UAP)の情報公開」をスパイスに組み入れた内容で、この映画は一度観れば充分で、二度観たいかと言われたら、別に良いかなという感じでした。

ただ幾つか興味深い内容もあって、ストーリーの中で修道女が出て来るのですが、その修道女の女性は、異星人が存在する情報を公開すると、人々の信仰が破壊されると述べたシーンもあったのですが、その修道女の上の人がその修道女に、神が造り出したこの広大な宇宙に、その創造物が人類だけであるはずが無いでしょうと諭すシーンがありました。

これは以前によく言われていた事ですが、現在の世界の基本的な仕組みは、キリスト教がベースとなっていて、そこでは宇宙に知的生命は人類しか存在しない事が前提となっていると言うのです。そしてもし人類以外の知的生命体が存在したのであれば、全世界の経済的な仕組みが崩壊する危険性もあるというのです。

しかし映画の中で、それとは異なる内容を修道女に語らせているのは、中々興味深いと思いましたし、現在の人類の中では異星人の存在というのは、否定的では無くなってきている事を描いたものと感じました。

まあ2014年にフランシスコ教皇が、異星人の洗礼に言及したという事もありましたからね、欧米でもかなりこういう事は浸透してきているのでしょう。

また終盤では「ディスクロージャー」として、様々なUFO映像、異星人映像などが流されましたが、もしかしたら一部、あの映像の中にはリアルなものもあったのかもしれませんね。

でもこの異星人周辺の事を30年間ほど見ていると、この映画の中では純粋無垢で、人類に対して極めて好意的な異星人の姿が描かれていますが、現実にはそれほど綺麗ごとでは済まない話だと感じているので、ちょっとその点でシラケを感じてもしまいました。

◆ディスクロージャーについて

ディスクロージャーとは「情報公開」の事を指す言葉です。

私が子供の頃には、UFOとか宇宙人の話題は、どちらかというとミステリー的な話題で、この広い宇宙には人類以外にもいろんな知的生命がいて、かれらが地球を訪れているという様な、まだ夢のある話題でした。

しかし私が二十歳頃なので、いまから四十年程前あたりから、この件にはアメリカ政府や軍が絡んでいるという話題が主流になってきたのです。これは知っている人はいるかもしれませんが「MJ-12(マジェスティック・トゥエルブ)」という話しです。

要は政府には裏の組織があって、その組織がこういった情報を隠蔽・統制しているという話しです。

要はそれまで夢のある話題であり、バラエティー番組的な話題であったものが、この時期になると、何やら政府や軍も関係した、陰謀論的な話題へと変化していったのです。

そしてその中では、例えばアイゼンハワー大統領が異星人との間で条約を締結、これは「グリーダ条約」と呼ばれていて、その条約の中では、異星人から高度の技術力を提供される見返りに、一部の人類を異星人が誘拐して実験と調査に利用する事を許容するというものだと言われています。

まあ真偽の程は定かではありませんが、これについては状況証拠の様な出来事は幾つもあって、その上で語られていたりしました。

こういった事から、政府が秘匿している情報を公開しろという話しあり、ディスクロージャー(情報公開)という事にもなっているんですね。

ただ私がこのディスクロージャー(情報公開)という事で、一番最初に思い浮かぶのは、アメリカの救命医であるスティーブン・グリア氏です。

スティーブン・グリア氏は1955年にアメリカのノースカロライナ州に生まれた人で、元々は救急医として、ノースカロライナ州にあるカルドウェル・メモリアル病院の救急医療長として勤務していました。

しかしグリア氏は青年期に異星人に遭遇した体験をした事で、救急医を辞め、現在はUFO情報公開活動に転じています。

彼の主な活動は、1990年に立ち上げたThe Disclosure Project(ディスクロージャー・プロジェクト)と、CSETI(Center for the Study of Extraterrestrial Intelligence-異星人コンタクトプログラム)があり、特筆すべきは2001年5月9日に、ワシントンDCのナショナル・プレスクラブで大規模な記者会見を行った事です。

そこには軍人や政府関係者や情報機関職員など20名以上が証言台に立ち、「地球外知性体の存在」「クラフトの逆行分析」「政府の隠蔽」の事について証言しました。

この記者会見は世界で10億人が視聴したとも言われています。

この会見模様はYoutubeにも残っていましたので、以下に掲載しておきます。

www.youtube.com

この記者会見ですが、ワシントンのナショナル・プレスクラブは大統領の会見にも使われた様な場所にも関わらず、アメリカの主要メディア(MSBCやCNN、ABCなど)では一切取り上げる事をしませんでした。ちょっとニュースで触れただけで、その内容についてはけして国内でも取り上げすらしなかったのです。

結果、この様な活動について多くのアメリカ国民には知られる事なく、当然、日本を始めとして世界でも大きな話題になる事はありませんでした。

しかし今年になり、アメリカのトランプ大統領の命令で、国防総省により以下のサイトが公開され、アメリが軍の保有しているUAP情報が公開され始めています。

www.war.gov

しかしこれでアメリカ政府が異星人やUFOの存在を公式に認めたかと言えば、UAPとは「未確認空中現象」の事であって、まだ異星人とか、その異星人の乗り物としてのUFOという事では認めていない事となっています。

あくまでも「摩訶不思議な空中現象はあるよね」というレベルで認め、その情報を公開しているという事に留まっているのです。

しかし1950年代に「プロジェクト・ブルーブック」という機関がアメリカ空軍の中に設立され、その結果をコンドン委員会では「UFO現象は国防上の脅威ではない」と締めくくり、以降、アメリカ軍や政府は調査や止めたという事は、実は真っ赤な嘘であった事がこれで判明したのです。

◆ディスクロージャーは可能なのか

ここからは私の私見の話をします。けして信じて欲しいという事ではなく、今の段階で私が得ている話の中での事です。

軍事の持つテクノロジー、これは主にアメリカを指していますが、おそらくそれは世間で一般公開されているよりも三十年以上先のレベルを進んでいると言われています。

例えばこのインターネット。これは私が1980年代の頃、知人でAT&Tで仕事をしている人から概要は聞いていました。当時はアーパネット(ARPA.NET)と言われ、サーバー分散方のネットワークを構築しているという話しを聞いていました。でも概要は解りましたが、具体的な事は今一理解出来なかった事を覚えています。

しかし東西冷戦が終了した事を受けてでしょうか、1990年代にはこのネットワークが一般公開され、そして1995年にリリースしたOSである「Windows95」では、誰もがこのインターネットを利用できる様になったのです。とは言え、当時はナローバンド(低帯域)のネットワークしか国内には普及しておらず、唯一次世代のネットワークとして期待をされていたのはISDN回線だけでした。

しかし2000年代にADSL回線が普及し始めると、このインターネット利用は一気に拡大を始めたのです。またそれに合わせる様にFTTH(Fiber To The Home-光回線)の利用も普及し始めました。また基幹ネットワークの高速化に合わせる様に移動体通信の高速化も進み、いまでは5G(第5世代)となり携帯端末もスマートフォンが主流になった事から世界的にこのネットワーク環境は変化し、今では当たり前の様に皆が利用しています。

これは軍事技術の民間転用の例ですね。

これと同じ様に、恐らくアメリカ軍を中心として、最先端にある技術力は恐らく私達の認知するレベルを超えたものを持っていると思われます。

そしてこの技術の高度化の一部には「異星人のテクノロジー」が存在している事が、まことしやかに囁かれています。

要は「リバース・エンジニアリング」により取得した、高度技術力ですね。

そしてこういった高度な技術力の公開も、実はディスクロージャー・プロジェクトでは求められてもいるのですが、こういった事は当然、一切語られる事すらありません。

ではそれを公開させるには、政府(この場合、主にアメリカ政府を指しますが)を叩けば出て来るのかと言えば、恐らくこういった技術力に関する情報は、今はアメリカ政府が持っているのではなく、恐らく多国籍軍事産業が持っていると言われています。(ロッキード・マーティン、ボーイング、ノースロップ・グラマン、ゼネラル・ダイナミクス等)

もし情報を国家機関が持っている場合、法律により公開を求められた場合には、公開をしなければならなくなりますが、これが多国籍企業の場合には「企業上の機密事項」という事で保護されますし、別に一つの国家の枠には収まっていませんので、機密情報の保護には国家よりもこの多国籍企業の方が向いているのです。

そういう事からも、実際に本当の意味でのディスクロージャーというは、まだまだ起きないのではないでしょうか。

 

そうは言いながら、今回の様な映画を見ると、こういった機密にされている情報が公開される事には興味も湧きますが、恐らくいま機密事項として扱われている情報は世界に出た場合、その情報は何も耳障りの良い話ばかりではなく、恐らく普通の人達には拒絶される情報も多く含まれている事も想定されますので、やはり難しいのではないか。

いや、そもそも多くの人達にとっては、常識との乖離が激し過ぎるので、受け入れられる事も無いかもしれない。

そんな事を、今回の映画を見ながら考えてしまいました。

 

創価学会の教学について

これまで私が思索し考えている事をブログに書いてきましたが、今回は教学について少し思うことを書かせて頂きたいと思います。

◆教学と私

私が教学、いわゆる日蓮仏法に触れたのは高校生の時、任用試験の勉強会の時でした。とは云いながら中学生の頃に、自宅にあった「教学研究」(東洋哲学研究所)を読みふけっていましたので、その基礎的な事を懇切丁寧に教わったのが高校生の頃だったのです。

当時の創価学会では、高校生(高等部)でも活動家は御書全集を持ち歩き、例えば高等部員会でも御書を開き拝読をしていましたが、御書は鎌倉時代の文言なので、高校生で古文を学んでいてはいたとはいえ、中々難解なものでした。

任用試験の後、男子部で青年教学3級を受け、そこで五重の相対や宗教の五綱を学び、その後、部長時代に青年教学2級を受けましたが、この時には一度、不合格となり、その後にリベンジで合格できたのです。

そんな感じなので青年教学1級は、区男子部長時代に受けて合格しましたが、当時の青年教学1級では面接試験があり、面接の場で御書のページが指定され、その場で通解と御書の意義を問われるので、かなり冷や汗モノでした。

青年1級に合格していたので、組織の決まりとしては、壮年部に移行した時、教授認定の面接がありましたが、その時は私も広宣長でした。この当時の私は創価学会の在り方に疑問を覚えていて、その事で先輩(支部長)からの地区部長の打診をされた際にこの疑念の一端を伝えたところ、先輩からは「お前、イラネ!」と言われていたので、もう学会活動はやっていませんでした。

面接時に当時の区長からは「お前、そろそろ学会活動にしっかり取り組め!」と言われましたが、私は「そのうちやる様になるかもしれません」と答えた処、今に至るまで教授の認定に関しては音沙汰なしとなっています。

ただこれ以外に、私の男子部時代は創価班の広宣部をしていましたので、そこでは様々な御書を読み込みながら、時によっては富士宗学要集を読み込んだり、あとは日蓮正宗の宗史に眼を通していたりしました。そこでは日蓮の歴史や文字曼荼羅の意義、また広宣流布の意義についても男子部内で様々な議論をしていましたので、其れ等が今の私の基礎になっています。

また創価学会の組織を離れ、自分自身のこれからの生き方を得ようと、様々な書籍を読み込んだり、日蓮に関する事を調べなおしたり、仏教の考え方についても幾人かの人達と語るなかで、創価学会では知る事が出来なかった事も教えて頂く事が出来ました。

◆創価の教学への姿勢

私は広宣部で法華講や妙観講、また顕正会等と多くの対論を行って来ましたので、やはり論理の一貫性を持つための学び方を主体にしてきた傾向が強くありました。これ、一言で言えば相手の発言の矛盾を突き、その矛盾点を明らかに示す文献としての教学を学ぶというもので、いわば「対論の為の教学」だったのです。

これは言葉の所在場所(原典)や、その言葉の前後の整合性については詳しくなりますが、その言葉の本来求めている意義については理解を深めるのが出来ないものです。

創価学会の活動を離れた当初、私は「理の通じない硬直化した組織、またいつも何かしら常に問題が発生する原因は何なのか」を考えた時、やはりそこには長きに亘る創価学会としての在り方から醸成されてきた組織文化、またそういう組織文化を作り出してきた思想(教学)に問題の根っ子があると考え始めていたのです。

活動を離れた時、幾人かの活動を止めた先輩と語り合った際、多くの先輩が主張していたのは「池田先生の御心を忘れ、幹部が官僚化した事が問題だ」という事でしたが、私は「そもそも創価学会の思想性がおかしかったのでは?」と考え始めていたので、そこは活動を止めた先輩とは意見が別れた処です。

またこの当時、私は創価学会の教学に対する姿勢に対して、疑念を持ち始めていました。

当時、創価学会の中では「師弟不二」という事が盛んに言われ始めていました。これは私が区男子部長時代、正木(当時)副会長が「池田先生の亡きあと師弟が大事になる。宗教とは指導者が亡くなると教義論争が起きて、分裂するという歴史を繰り返してきた。だから教学ではなく師弟こそが大事なのである」という指導をしていました。そしてその指導が組織内に広がり「師弟不二」という事が、盛んに組織の中で語られ始めたのです。またそれを後押しする様に、池田氏も本部幹部会の同時中継で「師弟こそ仏法の究極だ」という事をスピーチしていました。

これを同時中継で聞いた時、私の中には大きな違和感を覚えました。何故なら私が広宣部の時、法華講や顕正会に対しては「依法不依人(法に依って人に依らざれ」が根本だと主張していました。これは涅槃経にある一節で、要は仏法はあくまでも経典や御書に書かれている事を中心にすべきであり、例え師匠であろうと経典や御書に反した指導に従ってはならないというものです。

しかし師弟不二とは、この「依法不依人」の原則を蔑ろにする事ではないのか、現にその後に理事長となった正木氏は、壮年部のとある大きな会合の指導で以下のように指導をしていました。

「日蓮大聖人の御書は難しい、読んでも中々理解できるものではない。だから私達は池田先生のこれまでの御指導を学んでいけば良いのである。(要旨)」

これはその会合に参加した壮年部から聞きましたが、その壮年部員も、この正木理事長の指導のは大いに反感を抱いていました。

そしてそれ以降、創価学会の中では御書を持ち歩く人も減り、座談会でも御書講義は「大白蓮華」により行われる様になっていきました。

しかしこの「大白蓮華」という機関紙に掲載される御書は「切り文」とも言うべき扱いが多くあります。日蓮の御書を拝読する際には、時代背景と対告衆と言いますが誰に与えられたのか。そしてその対告衆はどの様な状況であったのかを知る事がとても大事なのです。そして当然、御書とは多くが手紙でもあるので、全体としてどの様な内容が書かれているのか、そこを理解する必要があるのです。

創価学会のこの様な教学に対する姿勢の変化もあって、創価学会の中では池田氏のスピーチは学ぶ事があっても、日蓮の語った仏教について学ぼうとする人は減少していました。そんな組織に変成していく中で、教学に対しては以前にもまして軽視する風潮が強くなってきたと感じたのです。

◆教学とは何か

創価学会にとって教学とは何か。

私が男子部になった時、教学は信心の背骨であると教わりました。また教学を学ぶ際には、剣豪の修行の様に行わなければならないとも言われたものです。また日蓮は教学に関して以下の様に述べています。

「あひかまへてあひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」
(諸法実相抄)

ここで日蓮は「行学」という事の重要性を述べています。ここで行とは修行を言い、こちらは仏法を学ぶための行いを指しますが、それとともに教学、つまり教えを学ぶ事も同じように重要だと述べています。しかし創価学会はどうかと言えば、学はともかく行に重きを置く文化が組織の中には根付いています。もう少し言えば、行こそが大事であり、学というのは「刺身のツマ」程度のものと考える文化が根付いてしまっているのです。

しかし宗教として自分達が信じているのは、どの様な教えなのか。本当ならばその点こそが重要なのですが、そこへの視点があまりにも軽んじてしまう文化が定着しているのです。その為に例えば「仏界」と一言で言いますが、ではそもそも「仏界とは何か」と問われた場合、会員を指導する幹部でさえ「それは負けじ魂だ」とか「諦めない心だ」という風に、言う事に統一感もなく明確に回答できる幹部はほぼ皆無でしょう。

中には「仏界ばかりは現じ難し」と言って、表には出てこないが尊極な生命なんだと言う人も居ますが、それでは日蓮が開目抄で言う「本門の因果、九界即仏界、仏界即九界とは何か」と問われると、答えに窮する幹部が殆どでしょう。

要は自分達が何を信じ、何を求めているのか、そこが実は明確に定まっていない事から、結果として組織の中の解釈もブレてしまい、結果として現在の様な状況に陥っているのではないでしょうか。でもまあ、その方がこの今の日本の混乱した政治情勢の中でも、公明党を「信仰心」により票集めをさせる事には好都合な事ではありますけどね。

だからと言って、私は創価学会の会員全員が、しっかりと御書を学び、日蓮の御書や教学を学べとは言いません。実際にこれにはかなり無理がある事は理解しています。しかしせめて壮年部であれば支部長以上は、昔の教授レベル位の教学力は付けるべきであり、その教学力を基礎として会員と話が出来なければいけないと思うのです。

とは言っても創価学会も既に瓦解の姿を見せ始めているので、そんな理想論を語ったところで、人材不足の為にあまり意味を為さないという現実もありますので、求めるだけ無駄な事は百も承知です。

◆戻るべきは日蓮なのか

では戻るべきは日蓮なのか。

実はそこもあまり意味がないのかもしれません。何故なら創価学会や日蓮正宗も教学の基礎として日蓮仏法を語りますが、実はここで言う日蓮仏法とは、江戸時代の中興の祖と言われている堅樹院日寛師の教学が基本となってしまっています。

ここで言う教学とは、主に日蓮の御書に対する解釈論の話でもあります。

この堅樹院日寛師の教学は、実は天台宗恵心流の流れを汲んだものとなっていて、実はそれ以前に日興門流の中心であった日辰師(要法寺13世)の教学とは異なるものなのです。この日辰師の教学とは、第二次宗門問題の時には「京都要法寺の教学」とも言われていて、これは日蓮正宗に入り込んだ異流儀の様に言われていましたが、そもそも日興門流では、堅樹院日寛師以前の主流の教学とは日辰師の教学でした。

ではそもそも日興師の流れの教学はどの様なものだったのか。それ以前に日蓮の語った教えとはどの様な事だったのか、そこについては私自身、少しづつ見返してはいますが、未だに明確な答えは持ち合わせていないのです。

またそれ以上に最近の仏教の研究で判明した事は、大乗仏教の最高経典であり、天台大師や日蓮が重要だとした法華経自体、釈迦の直説の経典ではなく、釈迦滅後500年前後にあった大乗仏教成立期前後に経典として成立したという事です。

もうこの様な状況の中では、日蓮仏法だから日蓮に立ち返れという。そんな単純な話でも無くなってきている時代だと私は感じています。天台大師の時代、また日蓮の時代には、この様な事は広く語られてもいない時代でした。

そうは言っても、私は人生を生きる為にはやはり、自身の信仰の基礎ともなる思想や哲学が必要だと思っています。その事から現在では、一つの足掛かりとして、鎌倉時代の日蓮の言葉を辿りながら、この事について思索を続けています。

考えてみれば大乗仏教であっても、その内容は釈迦の言葉を起点として、多くの人師や論師が研鑽を積み重ねる中で構築してきた哲学体系であり思想です。またそれを元にした様々な修行もあります。だから釈迦の言葉では無いから邪義だとか、天台大師の言葉だから重要だ、また日蓮がこの様に御書に書いているから、それが正義の論なのだとは、けして単純に言い切れるものでもありません。

それと同様に、私は日蓮を起点としてこういった事に思索を重ね、自分自身の人生を如何に有意義なものとして行けるのか、その為の教学を模索していけたらなと考えているのです。そしてこれは単なる宗教の枠の中の話でも無いと考えています。

◆これからの事

この様な事に思いが至った時、私は創価学会の教学には、何も期待を持たなくなりました。また同時に創価学会そのモノにも、実はあまり拘りを持っていません。確かにX上で創価学会や公明党の事について私はPOSTをしていますが、それはネット上に居る創価学会の活動家に対する「アンチテーゼの提示」の為なのかもしれませんし、そもそも四半世紀にわたり、そんな組織について生きて来た事に対する反発心があるのかもしれません。

しかし大事な事は、自分の人生をどの様に捉えて行けるのか、また残り人生、二十年あるかないかの時間ですが、その中でも自分自身への課題として、この事に対する思索を課すつもりで、そこで思った事などをブログでは書いていこうと思っています。

考えてみれば仏教の教えとは、信じる事も大事ですが、常に思索する事も大事であると言っているのではないでしょうか。信仰とは何も組織や指導者の言葉を鵜呑みにする事ではなく、常に学び、常に思索する事によって、自分自身の人生を理解する為の事だと私は考えているのです。

また仏道修行と言いますが、それは単に日蓮の文字曼荼羅の前で、マントラの様にお題目を唱えるとか、新聞の販売拡大や新規会員の獲得、ましては公明党の票集めでは無いと思います。それよりも日常生活の中で、様々な事を経験し、そこで得た事を思索の糧とする事も大事な修行にあたるのではないでしょうか。

現在、私はその様に考えているのです。

 

 

功徳と御利益について

 

さて、今回は功徳と御利益の事について話をします。

よく創価学会や日蓮正宗系で「功徳」という言葉が出てきますが、これ、大抵は病気が治ったとか、収入が上がった、希望の仕事場について等々、個々の願望が成就した事や、成就する事を「功徳」と呼んでいますよね。

私が男子部活動家の時代から、ネット(当時は掲示板が中心でしたが)ではよく「創価学会は現世利益を求める宗教だ」という指摘があり、当時の私は「それは違う」と反論をしたものですが、いまアラカンとなり、四半世紀以上、創価学会と関わってきた中で改めて見返してみると、確かに創価学会や日蓮正宗系は「現世御利益」を求める信仰であると思います。

これに関連する内容として、以前に以下の記事を書きました。

tango-saito.hateblo.jp

今回はこの功徳と御利益について、少し考えている事を書いてみます。

◆日蓮の言う功徳

日蓮が功徳について述べているのは御義口伝下にあります。

「御義口伝に云く法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄の果報なり」

ここで言う「六根清浄」とは何かと言えば、“六つの感覚器官と心の働き(六根)から生じる迷い・執着・汚れを断ち、心身を清らかにすること” を言います。これをもっと噛み砕いて言えば、五感(五識)+意識(六識)が清浄となり、曇りなく事象を認識して生きていけるという事なのでしょう。

人は何かを感じると、そこに様々な感情が湧き出し、その感情によって周囲への認識力も混乱し、場合によっては感じた事象を正確に把握出来なくなります。

例えば病気になった、リストラされた、身内に不幸があった。

そんな事に巡り合った時、人は心がかき乱される中で正常に物事を判断する事が出来なくなります。今何が必要なのか、大事な事は何なのか。しかし六根清浄の状態であれば、如何なる時であっても、周囲の事象を正確に認識し、落ち着いた意識で、最善の対応と行動を取る事が出来ます。

つまり仏教で言う「功徳」とは、その様な心を得る事が出来る事を云い、それを「功徳」と呼んでいるのです。

また人は生きていく中で様々な情報に触れますが、それら情報についても正確に本質を掌握する事は難しいものです。人は理解する際に過去の経験や情報と比較しますが、何故ならその過去の経験から持ち合わせている情報自体、やはりそこには既に様々なバイアスが掛かっていますので、それを除いて正確に認識する事も困難な事なのです。

しかしそういう心を、もし清浄に保つ事が出来れば、人生にとってこれほど有意義な事は無いのではありませんか。

ちなみに日蓮の御書を振り返って見ると、実はこの「功徳」という言葉について、それほど多く語ってはいないのです。ただ堅樹院日寛師は、この功徳について六巻抄の中では以下の様に述べています。(以下は要旨です)

「功徳とは、南無妙法蓮華経を受持する身口意の三業に即して、
仏の随縁真如の智が衆生の生命に働き出すことによって現れる具体的な利益である」

ここで日寛師が述べたのは、功徳とは、御題目を唱えると自身の中に隨縁真如の智が湧き出してきて、そこで具体的に得られる御利益だというのです。

今の創価学会や日蓮正宗系でいう「功徳(御利益)」という考え方の誤謬は、恐らくこの堅樹院日寛師の教学から出てきているのではないかと思います。ちょうど江戸時代は、例えばお伊勢参りとか、様々な御利益信仰も語られ始めた時代なので、日寛師もそんな時流の中で、こういう事を語ったのかもしれません。

仏教の「功徳」とは六識を清浄とし、人々がその心を以って人生を正常な認識の元で生きていける事を指した言葉ですが、それが日寛師によって、その心が変わる事で得られれる果報の事を「功徳」と読み替えられてしまった。そういう事ではないでしょうか。

◆御利益求める創価の信仰

創価学会では、この「功徳」という単語を前面に出して、会員にひたすら祈祷師の様に文字曼荼羅に祈らせて、馬車馬の様に学会活動に奔走をさせています。

この画像はネットに出回っていた画像です。私も男子部時代、この様な事を紙に書いて仏壇の前に置き、朝晩必死に祈った事もあります。

こういった祈りは叶う事もありますが、大抵は叶う事はありません。

例えばですが、私が学生部時代の先輩で、教職についた先輩がいました。その先輩も確かに祈ってはいましたが、具体的には、学生時代の恩師の中に教育委員会に入っていた人が居て、その伝手を通じて教職員採用試験に合格していました。

これはけして不正試験という事ではなく、具体的なアドバイスをその恩師である教育委員会の人から得た事が、合格に向けては大きかったと言っていました。

つまるところ、日蓮の文字曼荼羅を信じて、そこへの「信力・行力」により「仏力・法力」が出現して、奇跡が起きる事を端から期待している様では、自分自身の祈りなんて叶う事は、ほぼ無いという事なのでしょう。

ただ悩ましいのは「ほぼ無い」と書きましたが、人生の中で偶にこういった奇跡が起きてしまう事もあるのです。

この事は、このブログでは幾度も引用しましたが、華厳経の中に「心如工画師」という言葉があります。これは「心は工みな画師の様に環境を描き出す」という事を説いたものです。最近でもこれについては一部界隈で話題にもなっていますが、実は私達の生きているこの世界は、自分自身が描き出している世界だと言う事で、これは量子力学の中の概念を元に良く語られています。シュレーディンガーのネコとか、月は私達が観察するから存在するという類の理論ですね。

理論はともかく、こういう事は実際にあると私は思います。これは何も創価学会に限らず、世界にある数多の宗教の中でも「奇跡体験」として語られている事もありますし、私自身の考えからしても、人というのは恐らく環境を創り出す能力というのは存在しているのでしょう。「ザ・シークレットー秘密の法」という本の中で、著者であるロンダ・バーンが「引き寄せの法則(Law of Attraction)」と語った内容なんかは、まさにこの事なのです。以前に創価学会の川田師範も、かなり昔ですが「教学研究」という学会系の小冊子の中で似た事は語っていました。

ただこの「心如工画師」の理論にしても、ここでいう「心」とは、八識以下の奥深い心の働きを指すので、それは私達が日常の中で感じる心(表層の六識である意識レベルの働き)ではありませんので、実際に今ある願望を祈って見ても、得られる結果が違うと感じる事が大半なのかと思います。何故なら奥深い心のレベルで、自分自身が本当は何を考求めているのか、そこを認識出来る人はそうそういないのです。

◆本来求めるべき事

私は仏教を信仰して得るものとは、こういった御利益では無いと考えています。

では何を求めているのか、それは六根清浄だとして、具体的にどの様な事を求めるべきなのか。そこについては「ゴータミーの芥子の粒の説話」の中に、その片鱗があると思いますので、ここで紹介いたします。

キサー・ゴータミーは若い母親でしたが、ある時大事な一人息子を亡くしてしまい、悲しみのあまり街中をさまよい歩いていました。

そして会う人々に懇願するのです。

「この子を生き返らせてください」

しかし誰も彼女の悲痛な願いを聞き届ける事が出来ません。しかしある時、町の人から

「釈迦という聖者がいまこの町に来ているそうだから、釈迦に相談したら何とかしてくれるかもしれない」

この話を聞いたゴータミーは、藁をもすがる思いで釈迦の元に駆け付け、釈迦に対して必死に懇願したと言います。

「この子を生き返らせてください」

それを聞いた釈迦は言いました。

「それでは死者を出したことのない家から芥子の粒をもらってきなさい。それができれば、子を生き返らせよう」

これを聞いたゴータミーは喜び勇んで町の中で芥子の粒を求めて必死に歩き回りました。しかし芥子の粒は手に入れる事が出来るのですが、釈迦の言う「死者を出したことのない家」は一軒もありませんでした。ゴータミーが家々を回る中で聞くのは、どの家でも「死者」は必ずいたのです。恐らくゴータミーは回る中で、人々が身内から死者を出し、そこで嘆き悲しみを抱えながらも必死に生きている話を多く見たのでしょう。彼女は思いました。

「死者を出したことのない家”は一軒も存在しない。」

人生におけるこの現実を覚ったゴータミーは、そこで漸く、息子を亡くしたという現実を受け止め、釈迦の元に戻ってその事を語ったというのです。そして釈迦の下で出家し、後に阿羅漢となりました。

以上が簡単ではありますが、「ゴータミーの芥子の粒の説話」です。

ゴータミーは悲嘆にくれる中で混乱し、亡くなった息子を生き返らせる事だけに囚われ、自分自身を見失っていたのでしょう。そんなゴータミーを見て、釈迦は一つの方途として方便で「死者を出したことのない家から芥子の粒をもらってきなさい」と彼女に語り、彼女は亡き息子を生き返らせられるのであればと必死に街中に飛び出し、人々の中で芥子の粒を求めました。しかしそんな彼女は、街中で人々と語らう中で、人生の中の四苦のうち、「死苦」の苦しみを逃れる事が出来ないことを理解したのです。

つまりここでゴータミーは、人生の中にある真理の一つを身を以って経験し、理解出来たのでしょう。そこから人生への洞察を更に深める為に出家し、最後に阿羅漢になったという事に、私は功徳(六根清浄)の片鱗を感じるのです。

これは一例ですが、仏教の本来求めているのは、こういう事ではないでしょうか。

何も祈祷師の様にお題目をマントラの様に何時間も唱え、必死に創価学会の支持通りに組織活動をして求めるものが功徳ではなく、折伏の時には手あたり次第に勧誘し、選挙の時には必死に公明党の票集めをする事で得られるものではありません。

 

以上が私の考えている功徳と御利益についてです。

でも創価学会ではよく言います、「力ある宗教、正しい宗教は、必ず祈りを叶える事が出来る」と。しかしそんな事を仏教は求める教えでもなく、日蓮も時々の門下を励ますために、それに近い事は述べたと思いますが、それはけして目的などではありません。

しかしどうしても「功徳(御利益)」を得たい、祈りを必ず叶えたいというのであれば、私は「稲荷信仰」をお勧めします。この稲荷信仰は経営者でもやっている人が多く居るようです。聞くところによれば、稲荷信仰の力は凄いと言いますから、御利益を得たいのであれば、そちらの方がより近道になるかもしれませんよ。

ただし、、それなりの対価が必要だという話しも耳にしますけどね。

人生、目先の願望ばかりを考えていても、そこで叶えて得たものは、死を越えて持ち越す事は出来ません。この死を越えて持ち越す事の出来るものは、人生で得た経験と思い出であり、自分自身の心の状態では無いでしょうか。

宗教を実践するというのであれば、まずはそういう事を少しは考えて実践された方が良いと思いますよ。創価学会は「自分達は力のある正しい宗教だ」と言いますが、それは耳障りの良い戯言なんですからね。

 

御題目の因果倶時について

お題目は日蓮の専売特許ではなく、既に天台宗の勤行要典にもあったものです。だから日蓮がこの世界で初めてお題目を唱えたというのは、少し語弊のある事だと私は考えています。

天台宗の勤行要点には、南無釈迦牟尼仏、南無多宝如来、南無妙法蓮華経とありましたが、日蓮はそこの中からお題目を肝心として捉え、天台宗より一段深く捉えたものとしてお題目を唱えたのではないか。私はその様に考えているのです。

この御題目の意義について、私は御義口伝で述べられている内容が、日蓮の捉えていた題目の意義だと思います。

この事は前にも書きましたが、まずは簡単に振り返りの意味を含めて、ここで少し書いてみます。

御義口伝を振り返る前に、まず口伝は邪義だと嫌う節もありますが、私は日蓮の御書でも後世に書かれたもの(いわゆる偽書)でも、日蓮の本義に則っていれば、それは学ぶべきものだと考えています。仏教の大乗経典でも、法華経は釈迦の直説ではないにも関わらず大乗経典の最高峰と呼ばれています。その事を踏まえ、日蓮が書いてないから偽書だといい、それらを捨て去るのは少し乱暴なものです。但し偽書の中でもやはりおかしな御書もあるので、そこは捨て去れば良いだけです。例えば産湯相承書や百六箇抄という、いわゆる相伝書の類のなかにそんな御書は多くあります。

◆御題目の意義

御義口伝によれば。

御題目の「南無」とは梵語(古代インド語)の音訳として漢訳時につけられたもので、ナマスという言葉の音感を漢字に当てたものです。その意味は「帰命」というもので、要はその教えを信じて敬う事を言います。またこの「帰命」には、心での帰命と身体での帰命があります。日蓮はこれを「色心」と述べてますが、人は心で信じても行動が伴わなかったり、行動はあっても心が伴わない事はよくあります。御題目の「南無」は色心共に帰命する事を云い、この様に信じて帰依する事を意味しています。

また帰命には「人」に対する帰命と、「法」に対する帰命があります。日蓮はこれについて、人とは教主釈尊に帰命する事であり、法とは妙法蓮華経に帰命するとあります。日蓮はここで教主釈尊と述べていますが、日蓮自身である事を述べてません。しかし堅樹院日寛師の教学では、そこを忖度して末法本仏の日蓮と読んでいますが、日蓮の開目抄の流れで見ても、この釈尊とは釈迦である事は間違いありません。

また帰命の「帰」とは迹門不変真如の理に帰する事を言うと述べています。ここで言う迹門不変真如の理とは、法華経の迹門で示された一念三千という理に帰する事を云います。そして「命」とは本門隨縁真如の智に命(もと)ずく事で、これは本門で示された久遠実成の釈尊で示される姿を示しています。つまり久遠実成の釈尊も、一念三千で示された理による姿を体現しており、ここでは理論(不変真如の智)と実際の姿(隨縁真如の智)の二面を示していて、「帰命」とはその様な両面に対して帰命するという意義を示してい ます。そして天台大師が述べていた「随縁不変一念寂照」とはこの意義を述べたものだというのです。

また「妙法」の「妙」とは法性、これは悟りの実体を示す事で、「法」とは無明で、私達が悩み苦しむ根本を示しています。そして「妙法」という事は、悟りと悩みのは共に一つである事を示しているのであって、別々に存在する事では無い事を示しています。

また「蓮華」とは蓮華の華の姿の様に、華の中には既に種子が具わる事から、原因と結果は常に同時にある事を示し、この事を因果俱時と言います。一往としては修行と悟りは同じ時にある事を示していますが、具体的には私達の人生の姿もこの「蓮華」の様に、様々な苦楽を感じる出来事(結果)とは、それは目的(原因)も既に内在している事を示しているのです。

そして「経」とは、私達が生きていく中で発する声の意義を示しています。ここでは「声」と言いますが、声を発する時には、そこには考える事や感じる事があり、その先の行動の中で私達は声を発しますので、そういった姿の事を「経」という一文字の中に意義が込められているのです。

この様に私達の心の実相(本当の姿とも言えるかと)を明確に説き現されたのが妙法蓮華経という経典であり、私達はそれに帰命するという意義が、この御題目に込められていると、先ずは理解すべき事なのです。

◆因果倶時について

この御題目に込められらている意義の中で、今回は因果倶時について少し話をすすめてみます。

先にも述べましたが、因果倶時とは原因(修行)と結果(悟り)は共に同じ時にある事を述べたものです。創価学会もそうですが、例えば「宿命転換」とか「人間革命」と言いますが、それらは学会活動を必死に行った先に得られるものと教えています。

これは因果異時ですね。

選挙の度に「今回の戦いで宿命転換を成し遂げよう!」と幹部たちは会員に鞭打って活動に走らせ、それを聞いた会員も、この選挙の活動で祈りが叶うと信じて必死に票集めをしていますが、この考え方はそもそも因果倶時ではありません。ただそもそも創価の云う宿命転換や人間革命が選挙で出来るのか、そもそも法華経を信じる信仰が、そんな事を求めているのか、そこは置いといての話ですが。

また仏教一般でも成仏とは修行の先に得られる境涯だと信じられています。だからその得難い境涯を得るために、激しい修行に打ち込む修行僧も居るわけで、それはその先に素晴らしい境涯を求めての行動でしょう。

そもそも大乗仏教に於いても、長い間、多くの仏の下で修行に励んだ結果、仏になれると教えていたので、これは当然の解釈なのです。法華経の迹門で二乗と呼ばれた舎利弗や目犍連等に与えられた「記別」についても、即身成仏という事ではなく、未来における成仏の約束を与えた事に過ぎません。

ただ提婆達多品では龍王の子女である龍女が即身成仏を果たしましたが、それは法華経の展開から見てとても異端な事であり、そこもあって私は提婆達多品は後世に組み入れられたものだと捉えています。

話が少し逸れましたので、元に戻します。

さて、法華経の如来寿量品で久遠実成の釈尊が説かれると、実はこの因(修行)と果(成仏)という事について、時系列が変えられました。久遠実成では数字的に計り知れない久遠という事を示しましたが、これは単に時間の長遠を示した言葉ではないのです。それは弥勒菩薩がこの久遠について、算術譬喩する事が出来ず、二乗や菩薩の智慧をもってしても理解できない事だと釈迦に返答している事から明確に示されています。

日蓮正宗では久遠元初と、その更に大昔があると云い、日蓮は久遠元初の釈迦よりも、もっと大昔に成仏したと言いますが、これは如来寿量品の弥勒菩薩の言葉を無視した暴論なのです。

久遠とは数字的な遠さを示す言葉ではなく、根源的な事を示す譬喩で、ここで人は根源的に仏の悟りを持っている事を明かしました。つまり久遠実情の釈尊は既に成仏は本源的にしていて、修行も成仏も同時に存在しているわけです(因果俱時)。また仏としてこの娑婆世界に出現するのは、人々を導くための姿ではありますが、その仏の下で修行をしていた人達も共に久遠実成の釈尊である事を、如来寿量品の燃燈仏の話を通して示してもいます。

しかしこれを聞いても、多くの人達は理解に苦しむでしょう。私達は本源的に既に悟りを得ているんだと言われたところで、日々の生活の中、私達は様々な悩みや苦しみに遭遇していて、そこを抜け出せずにいます。これでどこが「悟り」を得ているんだと。ましてや生死に関わる様な重病で苦しんで居たり、経済的に困窮し、明日食べるコメも無い人にとっては、信じろと言われた処で、ハイソウデスカなんて事にはならず、むしろ逆鱗に触れてしまうかもしれません。

久遠実成の釈尊、因果俱時とはそういう事なので、だからこそ日蓮も「難信難解」と言っているのでしょう。

◆因果俱時から捉えたお題目

私は唱題行について、この様な法華経の意義を理解した上で、自分自身の中に答えを求めるために唱える事には、大いに意味があると想います。しかし単に祈りを叶えたい、現状を何とか祈りの中で変えていきたいと、まるで祈祷師の様に、お題目をマントラ(呪文)の様に唱える事は不必要だと考えています。

さて、この因果倶時ですが、ここでいう因果の因とは原因を言いますが、これを聞くと「悩みや苦しみの原因」とい捉え、そこに宿業論を持ち込んで考えてしまい、過去世の悪行の結果だと言う話にもなってしまいます。しかしそれでは本当の意味で、この因果倶時の原因を理解した事にはなりません。

私はこれを「原因」という言葉ではなく「目的」と捉えています。つまり人生に起きる幸不幸には、そこに必ず目的が存在すると。ではその目的を持ったのは誰か、それこそが心の奥底にある久遠実成の仏であり、日蓮はこの事を「九識心王真如の都」と呼び、仏界即九界、九界即仏界という本門の因果で示した心の本源なのではないでしょうか。

九識論で少しひも解くと、人は六識(意識)より深い層にある心(深層心理)を認識する事は出来ません。これは前に書いた通り、心理テストを行うと、自分の思っていた事とは違う結果に驚かれる人が多いですが、それはこの事を表しています。それより深くある意識層、過去世の自分自身の記憶さえ思い出せない人間が、更に奥深くにある心の働きは、到底認識できるはずもありません。

しかしこの「目的」を定めているのは、あくまでも意識レベルの「自我」ではなく、より深く、本源的に存在している九識(久遠実成の釈尊)のレベルの心の「仏界」とも言うべき存在です。

この事から私は人生に起きる問題とは、基本的には全て解決できる出来事であると私は考えているのです。ただし、人生の問題にぶつかった時、一番問題になるのは、表層的な心の意識レベルで感情として動揺し、狼狽えてしまう事なのかもしれません。そうなると本来の目的以前に、人生により混乱を来してしまい、結果として「目的」すら見失った状態にもなってしまうのかもしれませんね。

以前に高須クリニックの高須院長は上手い事を云っていました。

「人生何があっても死んではならない。何故なら生きていれば全ての問題は必ず乗り越えられる」

そんな時こそ、実は時間の多寡に関係なく、自分自身を見つめる為の御題目が必要になると思います。そしてそれが本来の「唱法華題目」という事にも繋がるのではないでしょうか。

その意義もあるので、日蓮は日女御前御返事(本尊相貌抄)にも以下の言葉を述べたのかもしれません。

「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」

文字曼荼羅には悪鬼魔民から全ての諸尊が認めてあるという意義を持ちますが、それらは私達の心に出現するそれぞれの姿です。そしてその姿は「妙法の五字(お題目)」に照らされる事で、本有(本来あるべき)の尊形(尊い姿)として現れると。