自燈明・法燈明のつづり

思いついたら書くブログです

2025-11-01から1ヶ月間の記事一覧

創価学会の役職について(10)-副本部長時代

さて、創価学会の役職経験の事について続けていきます。 しかしこうして今から四半世紀以上前の経験を書こうとして、記憶の糸を手繰り寄せていますが、この当時は本気で「50歳まで生きたら御の字だな」なんて考えても居ました。とにかく休日も無いし恒常的に…

創価学会の役職について(9)-創価班班長の事(広宣部)

さて、創価学会の役職の件を続けます。 今回は広宣部の事を書いていきます。創価班と言う組織では当時「運営畑」「広宣畑」と呼んでいましたが、私の場合は組織の部長と共に創価班班長をやっていて、そこに広宣部というのが常に付いていました。だから周辺か…

創価学会の役職について(9)-創価班班長の事

創価学会の役職の事について書きます。 昔は「創価班大学校」「牙城会大学校」という二つの潮流があって、そこから「創価班」「牙城会」という人材グループの流れがありました。しかし最近では男子部世代が枯渇している事もあり、「創価班大学校」「牙城会大…

長州藩の動き

幕末の動きで、とても重要な動きをした藩があります。それは長州藩です。 「明治維新という名の洗脳」(苫米地英人著)には、とても興味深い内容が書かれていましたので、それを参考に少しこの長州藩について自分が感じた事を書いてみます。 ◆長州藩という藩…

敵国条項と軍国主義について

昨日は良い天気でしたね。 もう間もなく12月なんですが、昨日は比較的温暖な陽気で、箱根や丹沢、奥多摩なども紅葉で多く人出があった様です。 斯くいう私は、昨日は伊豆下田まで行って「下田バーガー」を食べていました。 昨日の伊豆下田もそこそこ人がい…

公武合体政策について

今回は幕末の歴史について取り上げます。 前回は日米修好通商条約の締結など、諸外国との通商条約を大老の井伊直弼の独断で締結した事を書きました。一般的な歴史では「独断」で締結と言われていましたが、実は井伊直弼自身は独断で締結するという強い意志が…

創価学会の役職について(8)-部長の事④「折伏」

男子部時代の部長の活動の中、今でも一番印象が残るもの。それは「折伏」です。 日寛師の御本尊授与が再開されたばかりの時には、この「折伏戦」についてはそれほど過激ではありませんでした。とにかく「常識的に」という言葉が良く語られていました。しかし…

創価学会の役職について(8)-部長の事③「御本尊授与や選挙など」

今から考えてみたら、私が男子部の部長という役職についた当時は、創価学会としても大きな変化を迎えていた時期だと思います。 まず一つ目は、国政選挙の活動がありませんでした。 これは1994年12月に新進党が成立し、公明党は分党した時期でもあったのです…

創価学会の役職について(8)-部長の事②

さて、部長の話を続けます。 部長になると「創価学会人事委員会」という名目の入った「任命書」が手渡されました。これは私が本部長になって知った事なのですが、男子部で部長もしくは副部長になると「幹部コード」というのが割り振られます。いわゆる幹部の…

創価学会の役職について(8)-部長の事①

創価学会の役職について書いてみます。 前回は地区リーダーであり、創価班での運営や広宣部の事も書かせてもらいました。 私は21歳から地区リーダーを5年ほどやりました。年齢にすれば21歳から26歳までの5年間です。この地区リーダーの期間は、当時の地元組…

高市総理の台湾有事の発言について

何かとネットの中で騒ぎになっている高市総理の台湾有事に関する発言ですが、今回は少しこの件について私見を述べてみたいと思います。 X上では様々な意見が湧き出していますが、この内容はあそこで語るには不向きだし、下手にあの場で触れられる事でもあり…

日蓮の入寂について

さて、日蓮の入寂について書いてみます。 一般的に日蓮宗や日蓮正宗、また関連する宗教団体ではこれを「入滅」と呼ぶ節がありますが、私は仏教において高僧や修行者が亡くなることを表す敬語的表現として「入寂」という表現を使わせてもらいます。 日蓮は仏…

弘安の役について

日蓮の時代の歴史について、書いていきます。 前にも書いた「文永の役」で、日蓮が立正安国論で予見していた「他国侵逼難」は現実なものとなりました。しかし文永の役では、結果として元軍では作戦失敗という事で、日本から撤退しました。 この時、鎌倉幕府…

聖人御難事と出世の本懐

さて、拙い内容で恐縮ですが、昨日の記事で「熱原の法難」について少しまとめてみました。 日蓮は弘安2年9月21日の「熱原の法難」の報告を受け、10月1日に四条金吾に対して「人々御中に報ず」として「聖人御難事」という書をしたため届けました。そしてこの…

身延入山後の日蓮について(熱原の法難)

日蓮が鎌倉を去り身延に入山した後、世の中は文永の役で特に九州方面では大変な苦難の時期を迎える事になりました。これについては前の記事で「文永の役」の事を簡単にまとめましたので、そちらを参照してください。 身延入山後の日蓮の行動を見ると、それま…

創価学会の役職について(7)-創価班の事③

今回は創価班の広宣部について書いていきます。 私が広宣部になったのは、23歳の時でした。この広宣部とは法華講や顕正会の対応をする部局として創価班の中にある組織で、そこで新規に部員を募集するという話しが先輩からあり、特に異論も無かったので広宣部…

創価学会の役職について(7)-創価班の事②

今回も創価班の経験について書いていきます。 ◆本山担当創価班 私が創価班になって間もなくの頃、第二次宗門問題が勃発しました。当初は宗門側でも一部僧侶の跳ね返りが起こしていたと末端組織では教えられており、問題勃発してから登山停止(1991年11月18日…

創価学会の役職について(7)-創価班の事①

ここで役職ではありませんが、創価班での事について少し書いてみます。 男子部で班長時代には創価班大学校でしたが、地区リーダーとなり、創価班でも現役の班員としての活動をしていましたので、そこで経験した事について紹介します。 ◆会館運営 当時は月一…

パレスチナ問題から考える事

今日(11/02)はちょっと一人でお出かけをしてきます。 その前に最近、「パレスチナ問題」を見ていて考えている事を、少し書いてみたいと思います。 この発端は2023年10月7日に、イスラム組織ハマスがイスラエル領内を奇襲攻撃し、その報復としてイスラエル…

文永の役について

日蓮が身延へと去ってから、約半年後に文永の役が起きました。 この文永の役について、日蓮の種種御振舞御書に以下の記述があります。 「同十月に大蒙古国よせて壱岐対馬の二箇国を打ち取らるるのみならず、太宰府もやぶられて少弐入道大友等ききにげににげ…