自燈明・法燈明のつづり

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戸田城聖について③

創価学会が「永遠の指導者」としている戸田城聖について、私なりに資料を読み込み見てきました。まず人格的には真面目で堅物な牧口常三郎と、大いなる俗物で実業家の戸田城聖では真反対な人物に見えます。

しかし創価学会という組織は、この2人によって作られ現在に至る事は間違いありません。

ただ戦前の創価教育学会の中の戸田城聖は、牧口常三郎パトロンであり、どちらかというと表にには出てきていない様に思えました。創価教育学会の中での戸田城聖は、実業家グループを率い、組織を経済的な側面で支えていた存在だと言っても良いかと思います。

しかし牧口常三郎は獄死しましたが、戸田城聖は翌年7月に生きて拘置所を出獄してきたのです。そこから12年間の間、この戸田城聖の奮戦によって、昭和から平成、そして令和に至るまでの創価学会の基礎が作られたと言っても良いでしょう。

◆獄中の悟達

今の創価学会では戸田城聖という存在について、かなり薄められていると感じますが、その様な中でも「獄中の悟達」という事は語り継がれています。何故ならその悟達こそが創価学会の原点となっているからです。

この「獄中の悟達」は、戸田城聖拘置所の中で法華三部経を読み始めたと言いますが、その中で開経である無量義経徳行品第一にある三十四の否定という部分。

「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず……」

これは仏の身についての記述ですが、これが何を意味しているのか戸田は一向に分からず、思索をする中で「仏とは生命である」と理解できたと言います。

これが一つ目で、池田氏も「生命論」という言葉を使っていましたが、その根拠になっているものです。

もう一つは、その後に唱題する中で、金色に光る大御本尊に向かう自分を発見し、周囲には多くの地涌の菩薩もいたので、自身も虚空会に参加していた身である事を確信し、生涯、広宣流布にまい進する決意を固める事が出来たというのが二つ目です。

これにより創価学会法華経にある地涌の菩薩の組織だという根拠になっている訳です。

私はこの二つ目の部分を人間革命第4巻で読んだ時、とても感銘を受けて「自分もこういった事を経験できるのだろうか」と考えた事もありました。

しかしそれから二十年以上、創価学会の中で活動していると、部員や一部の幹部の中で、必死に御題目を長時間唱えている中で、摩訶不思議な経験をしたという人を幾人か見かける事がありました。

「夜中にお仏壇が金色に光り輝き、御本尊から強い金色の光が出ていた」
「御題目を唱えていると、御本尊様に二つの”目”が出て自分を見つめていた」
「御本尊様から火の玉が飛んできて大変だった」

何れも不可思議な経験なのですが、これはどういった事なのでしょうか。

まず一つ目の悟達ですが、無量義経にある「三十四の否定」から、その存在を「生命」と定義してはいますが、この生命という単語は実に範囲が広く、表現はあまり適切では無いように思えます。また如来寿量品の中で「久遠実成の釈尊」について明かされますが、今の社会の中で言う「生命」が指し示す内容と、この「久遠実成の釈尊」とは異なった存在です。生命という言葉は昭和三十年以降には、いかにも世の中受けをする言葉であったと思いますが、それをそのまま仏教の説く仏の存在に当てはめるのは、そこに大きな錯誤を引き起こす事にもつながって来るのではないでしょうか。

また二つ目の悟達、「虚空会の体験」について考えてみます。

これは如何にも神秘体験であり、確か人間革命の中でも、若い会員が戸田城聖にこの神秘体験の事を突っ込んで聞いてきた時、戸田がそれを𠮟りつけたという記述もありました。要は「興味本位で聞く事では無い」という事だったと思います。

思うに御題目を長時間唱え続けるという行為は、瞑想行に近い行為であり、これにより人は変性意識(通常の覚醒状態とは異なる、心理的、生理的、薬物的などの手段によって引き起こされる、意識状態の変容のことーWikipedia「変性意識」)の状態に入りこんでしまいます。近しい例としては、オウム真理教が修行者にマントラ(呪文)を唱えさせるというのもこれが目的でした。

この瞑想を主な修行として禅宗は行っていますが、中国唐代の禅僧である臨済(後の臨済宗の開祖)はこの状態を「魔境」と呼んでいました。この魔境では瞑想中に仏陀如来が現れると言いますが、その場合に臨済は。

「瞑想により仏陀如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」「仏見たなら仏を殺せ」

この様に教えていたと言います。

これには理由があって「瞑想中に神格を持つものとの一体感を持った結果「自分は優れた人間だ」と思い込んでしまい、エゴが肥大してしまうのを防ぐ、すなわち魔境に入ってしまう状態を防ぐため」と言うのです。

戸田城聖は獄中という、非日常的な環境の中で、数珠を持ちながら長時間にわたり御題目を唱えていました。恐らくこれは瞑想と言っても良いでしょう。しかしその中で「虚空会の儀式を経験した」とは、恐らくこの臨済の言う「魔境」の経験をしたという事にしか過ぎないのではありませんか?

しかしこの経験か結果として臨済の言う「瞑想中に神格を持つものとの一体感を持った結果「自分は優れた人間だ」と思い込んでしまい、エゴが肥大した」という事につながり、出獄後の七十五万世帯の折伏という、これは後に紹介しますが多くの人を熱狂と狂気の中で走らせてしまう結果につながったのではないでしょうか。

◆獄中の悟達周辺の論争

いまSNSを中心に、この戸田城聖の獄中の唱題という事で話題になっている事があります。

それは人間革命の中で、戸田城聖は「牛乳瓶のふた」をつづり、それを数珠として用いて唱題し、獄中の悟達につながったという話について、「当時の拘置所では瓶入り牛乳は支給されていない」「牛乳瓶の蓋に穴を開けるのに千枚通しを使ったが、そんなもの当時の戸田が入手できるわけではない」という事から、この獄中で戸田城聖が唱題したのは虚言であるという話です。

それに対して瓶入り牛乳は当時もあったというエビデンスを出したり、千枚通しではなく針の入手は可能だったという事から反論していたりもしていますが、私はそんな些末な事はどうでも良いと思っています。

私は最近、「若き日の手記・獄中記(戸田城聖著)」を入手して目を通し始めていますが、そこには以下の記述がありました。

「(夫人宛て)-[中略]-両全会ノ滋養剤ノ差シ入レニ苦心シテ下サルコト有難ク思イマス。滋養剤ハ皆差し入れナリ肉トナリ再起ノ元気トナルノデス」
(昭和19年2月8日)

これを読むと、拘置所内でも滋養剤の差し入れは可能であったわけで、牛乳だけが滋養の元ではない事が解ります。

「(夫人宛て)-[中略]-御書(日蓮聖人遺文集)ダレカラカ借リテ下サイ。数珠ノ差シ入レ願ウ。法華経ノ講義書、千種先生カ堀米先生カラ借リテ入レテ下サイ」
(昭和19年2月23日)

これを読むと、入獄当初に数珠の差し入れと法華経の講義書の差し入れを夫人にお願いしていますので、もしかしたら牛乳瓶の蓋で数珠を作る必要も無ければ、法華経の白文を読み込み思索をしたと言われていますが、その前に講義書を読み込んでいた事も考えられるのです。

こういった事ですが、戸田城聖の手記等には明確に描かれていますが、現在、創価学会では戸田城聖全集も出版していなければ、この戸田城聖の「若き日の手記・獄中記」についても出版が終わり、再版は行われていないという現実があります。

やれ牛乳瓶の牛乳があったとか、無かったとか。また千枚通しが使えたとか、針なら使えたという話はどうでも良く、一番の問題は創価学会を形作った「戸田城聖」の人間性が解る資料の多くを、現在の創価学会は隠しているという現実をどう考えるのか。

問題はそこだと思うのですが、皆さんはどう思われますか?